4 / 16
第3話「最強のα、勘違いの恋に落ちる」
しおりを挟む
食堂の静寂は異常だった。食器の触れ合う音ひとつしない。誰もがイグニスの放つ圧倒的なプレッシャーに喉を詰まらせ、生存本能に従って首を垂れている。
そんな中、咀嚼音が響いた。
もぐもぐ。
イグニスの足が止まる。
鋭い視線が、食堂の隅に向けられた。そこには、一人の華奢な男がいた。黒髪に黒目、どこにでもいそうな平凡な容姿だが、その態度は不敬なほどに自然体だった。
イグニスは目を細めた。
(なんだ、あいつは?)
イグニスは幼い頃から、孤独だった。膨大すぎる魔力と、最高ランクのαとしての質。彼の前に立つ者は、恐怖に顔を歪めるか、媚びへつらって股を開くかの二択しかなかった。
自らのフェロモンは凶器だ。制御しているつもりでも、漏れ出るだけで脆弱な精神を破壊しかねない。
だというのに。
あの男は、まるで春風の中にいるかのように、平然とシチューを食べている。
イグニスは興味を引かれ、足を踏み出した。護衛たちが慌てて止めようとするが、手で制する。
コツ、コツ、コツ。
軍靴の音が近づくにつれて、周囲の騎士たちは泡を吹いて気絶しそうになっていた。圧力が増していく。意図的に出力を上げたのだ。
「……おい」
頭上から降ってきた低い声に、ルッツは顔を上げた。
「はい? 何か用ですか?」
敬語だが、そこには怯えも媚びもない。まるで近所の兄ちゃんに話しかけるような気安さだ。
周囲の時間が止まった。
イグニスは眉をピクリと動かす。
「貴様、俺の気が平気なのか?」
「気、ですか?」
ルッツは首を傾げた。
「少し香水がきついかなとは思いますが、食事の邪魔になるほどではありません」
香水。
国を揺るがすほどの覇気を、こいつは香水と言ったのか。
イグニスの喉の奥で、ククッという音が鳴った。それは次第に大きくなり、盛大な笑い声となって食堂に響き渡った。
「ハハハハハ! 香水だと! 俺のフェロモンを!」
周囲の騎士たちは絶望的な顔をしている。「終わった、あいつ殺される」という心の声が聞こえてきそうだ。
しかし、イグニスの瞳に宿っていたのは殺意ではなく、強烈な歓喜だった。
彼は身を乗り出し、ルッツの顔を覗き込んだ。至近距離。整いすぎた美貌が迫る。
そこで初めて、イグニスは鼻を鳴らした。
「匂いが……しないな」
「ええ、まあ。薬で抑えていますから」
ルッツは平然と嘘をつく。
イグニスは納得したように頷いた。
(なるほど。強烈な抑制剤を使っているのか。だが、薬だけで俺の威圧を防げるわけがない。つまり、こいつ自身の精神力が、俺の格に匹敵するほど強靭だということか)
凄まじい論理の飛躍だった。
イグニスの中で、ルッツの評価が爆上がりしていく。
ただのΩではない。自分の支配を受け付けない、気高き魂を持ったΩ。
退屈な世界に、突然現れた異物。
イグニスの胸の奥で、燻っていた狩猟本能が火を噴いた。
「名は?」
「ルッツ・アークライトです」
「ルッツか。……いい名だ」
イグニスは獰猛な笑みを浮かべ、ルッツの顎を指先でクイと持ち上げた。
「覚えておく。これほど滾(たぎ)るのは久しぶりだ」
そう言い残し、イグニスは踵(きびす)を返した。嵐のように去っていく背中を見送りながら、ルッツは首をひねった。
「……なんだったんだ?」
「お、お前ぇぇぇぇ!」
カイルが涙目で飛びついてきた。
「死ぬかと思った! なんだあの対応! 心臓がいくつあっても足りねえよ!」
「そうか? 別に普通だったろ」
「普通じゃねえよ! 殿下が笑ってたぞ! あの『氷の処刑人』が!」
ルッツは残りのパンを口に放り込みながら思った。
(やっぱり、この世界のαってのは情緒不安定なのが多いな。関わらないようにしよう)
しかし、その決意は即座に崩れ去ることになる。
翌日から、ルッツの日常は一変した。
「ルッツ、決闘だ」
朝の訓練場に、当たり前のように第一王子が現れたのである。
そんな中、咀嚼音が響いた。
もぐもぐ。
イグニスの足が止まる。
鋭い視線が、食堂の隅に向けられた。そこには、一人の華奢な男がいた。黒髪に黒目、どこにでもいそうな平凡な容姿だが、その態度は不敬なほどに自然体だった。
イグニスは目を細めた。
(なんだ、あいつは?)
イグニスは幼い頃から、孤独だった。膨大すぎる魔力と、最高ランクのαとしての質。彼の前に立つ者は、恐怖に顔を歪めるか、媚びへつらって股を開くかの二択しかなかった。
自らのフェロモンは凶器だ。制御しているつもりでも、漏れ出るだけで脆弱な精神を破壊しかねない。
だというのに。
あの男は、まるで春風の中にいるかのように、平然とシチューを食べている。
イグニスは興味を引かれ、足を踏み出した。護衛たちが慌てて止めようとするが、手で制する。
コツ、コツ、コツ。
軍靴の音が近づくにつれて、周囲の騎士たちは泡を吹いて気絶しそうになっていた。圧力が増していく。意図的に出力を上げたのだ。
「……おい」
頭上から降ってきた低い声に、ルッツは顔を上げた。
「はい? 何か用ですか?」
敬語だが、そこには怯えも媚びもない。まるで近所の兄ちゃんに話しかけるような気安さだ。
周囲の時間が止まった。
イグニスは眉をピクリと動かす。
「貴様、俺の気が平気なのか?」
「気、ですか?」
ルッツは首を傾げた。
「少し香水がきついかなとは思いますが、食事の邪魔になるほどではありません」
香水。
国を揺るがすほどの覇気を、こいつは香水と言ったのか。
イグニスの喉の奥で、ククッという音が鳴った。それは次第に大きくなり、盛大な笑い声となって食堂に響き渡った。
「ハハハハハ! 香水だと! 俺のフェロモンを!」
周囲の騎士たちは絶望的な顔をしている。「終わった、あいつ殺される」という心の声が聞こえてきそうだ。
しかし、イグニスの瞳に宿っていたのは殺意ではなく、強烈な歓喜だった。
彼は身を乗り出し、ルッツの顔を覗き込んだ。至近距離。整いすぎた美貌が迫る。
そこで初めて、イグニスは鼻を鳴らした。
「匂いが……しないな」
「ええ、まあ。薬で抑えていますから」
ルッツは平然と嘘をつく。
イグニスは納得したように頷いた。
(なるほど。強烈な抑制剤を使っているのか。だが、薬だけで俺の威圧を防げるわけがない。つまり、こいつ自身の精神力が、俺の格に匹敵するほど強靭だということか)
凄まじい論理の飛躍だった。
イグニスの中で、ルッツの評価が爆上がりしていく。
ただのΩではない。自分の支配を受け付けない、気高き魂を持ったΩ。
退屈な世界に、突然現れた異物。
イグニスの胸の奥で、燻っていた狩猟本能が火を噴いた。
「名は?」
「ルッツ・アークライトです」
「ルッツか。……いい名だ」
イグニスは獰猛な笑みを浮かべ、ルッツの顎を指先でクイと持ち上げた。
「覚えておく。これほど滾(たぎ)るのは久しぶりだ」
そう言い残し、イグニスは踵(きびす)を返した。嵐のように去っていく背中を見送りながら、ルッツは首をひねった。
「……なんだったんだ?」
「お、お前ぇぇぇぇ!」
カイルが涙目で飛びついてきた。
「死ぬかと思った! なんだあの対応! 心臓がいくつあっても足りねえよ!」
「そうか? 別に普通だったろ」
「普通じゃねえよ! 殿下が笑ってたぞ! あの『氷の処刑人』が!」
ルッツは残りのパンを口に放り込みながら思った。
(やっぱり、この世界のαってのは情緒不安定なのが多いな。関わらないようにしよう)
しかし、その決意は即座に崩れ去ることになる。
翌日から、ルッツの日常は一変した。
「ルッツ、決闘だ」
朝の訓練場に、当たり前のように第一王子が現れたのである。
1
あなたにおすすめの小説
オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない
子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」
家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。
無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。
しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。
5年後、雪の夜。彼と再会する。
「もう離さない」
再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。
彼は温かい手のひらを持つ人だった。
身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。
本当に悪役なんですか?
メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。
状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて…
ムーンライトノベルズ にも掲載中です。
「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」
星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。
ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。
番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。
あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、
平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。
そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。
――何でいまさら。オメガだった、なんて。
オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。
2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。
どうして、いまさら。
すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。
ハピエン確定です。(全10話)
2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
美人なのに醜いと虐げられる転生公爵令息は、婚約破棄と家を捨てて成り上がることを画策しています。
竜鳴躍
BL
ミスティ=エルフィードには前世の記憶がある。
男しかいないこの世界、横暴な王子の婚約者であることには絶望しかない。
家族も屑ばかりで、母親(男)は美しく生まれた息子に嫉妬して、徹底的にその美を隠し、『醜い』子として育てられた。
前世の記憶があるから、本当は自分が誰よりも美しいことは分かっている。
前世の記憶チートで優秀なことも。
だけど、こんな家も婚約者も捨てたいから、僕は知られないように自分を磨く。
愚かで醜い子として婚約破棄されたいから。
聖女召喚の巻き添えで喚ばれた「オマケ」の男子高校生ですが、魔王様の「抱き枕」として重宝されています
八百屋 成美
BL
聖女召喚に巻き込まれて異世界に来た主人公。聖女は優遇されるが、魔力のない主人公は城から追い出され、魔の森へ捨てられる。
そこで出会ったのは、強大な魔力ゆえに不眠症に悩む魔王。なぜか主人公の「匂い」や「体温」だけが魔王を安眠させることができると判明し、魔王城で「生きた抱き枕」として飼われることになる。
愛などもう求めない
一寸光陰
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる