2 / 24
第1話「雨中の追放」
しおりを挟む
リヒトハイム侯爵家の朝は、いつも光に満ちていた。
窓から差し込む陽光は磨き上げられた床に反射し、壁に飾られた歴代当主の肖像画をきらきらと照らし出す。その誰もが、神に仕える「光」の聖職者として、国に多大な貢献をしてきた者たちだ。
僕、ノア・リヒトハイムも、その血を引く長男としてこの屋敷に生まれた。けれど、僕の周りだけはいつも薄暗い闇が纏わりついているようだった。
双子の弟であるユリウスが、一族の期待を一身に受ける眩い「光」の力をその身に宿したのとは対照的に、僕が持って生まれたのは「影を操る」という不吉な力だった。
その力が発覚した日から、僕の人生は光の当たらない日陰へと追いやられた。
「忌み子め」
「お前のような者が、なぜリヒトハイムの名を名乗っているのだ」
家族からの罵声は日常だった。食事は使用人用の厨房の隅で冷たい残飯をあてがわれ、与えられた部屋は北向きの埃っぽい屋根裏部屋。誰も僕の名前を呼ばず、「あれ」とか「影」と呼んだ。弟のユリウスだけが時折心配そうに様子を窺いに来てくれたが、彼が僕に優しくすればするほど、両親の僕への当たりは強くなった。だから僕は、弟とも距離を置くようになった。
息を潜め、気配を消し、まるで屋敷に染み付いた古い染みのように生きる。それが、僕がこの家で生き延びるための唯一の方法だった。
そして今日、僕とユリウスは成人の儀を終えた。
華やかな衣装を身にまとったユリウスは、祝福の光の中で一族や来賓から称賛を浴びている。僕はと言えば、儀式への参加すら許されず、いつもと同じ屋根裏部屋の小窓から、その光景をぼんやりと眺めていただけだ。
夜になり、祝宴の喧騒が遠くに聞こえる頃、部屋の扉が乱暴に開かれた。そこに立っていたのは、厳しい顔をした父だった。その後ろには、不安そうな顔のユリウスと、冷たい目を僕に向ける母の姿もある。
「ノア。お前も今日で成人だ。これ以上、この家に置いておくわけにはいかない」
父の言葉は、まるで汚物でも吐き捨てるかのような響きをしていた。
「お前のような一族の恥は、もはや我慢ならん。これを持って、今すぐこの家から出ていけ」
そう言って投げつけられたのは、一枚の金貨。チャリン、と乾いた音を立てて床を転がった。それは僕の存在価値のすべてであり、同時に、この家との縁を切る手切れ金だった。
「父上、お待ちください!兄さんは……!」
ユリウスが悲痛な声を上げるが、父はそれを一喝する。
「ユリウス、お前は黙っていろ!こいつに関わるとお前の輝かしい未来まで穢されるぞ」
母はただ、冷ややかに僕を見下ろしているだけだった。
絶望が、冷たい水のように体の芯まで染み渡っていく。わかっていたことだ。いつかこうなることは。それでも、心のどこかで微かな期待を抱いていたのかもしれない。いつか、家族として認めてもらえる日が来るのではないかと。
だが、その淡い夢は、床に転がるたった一枚の金貨によって無残に砕け散った。
僕は黙って金貨を拾い上げ、ふらつく足で立ち上がった。父を、母を、そして涙を堪えるユリウスの顔を順に見る。彼らの目に、僕という存在はもう映っていない。
「……お世話に、なりました」
か細く絞り出した声は、誰の耳にも届かなかったかもしれない。
僕は背を向け、着の身着のまま、人生のほとんどを過ごした屋敷を後にした。重厚な扉が閉まる音は、僕の心を世界から完全に切り離す宣告のようだった。
外は、冷たい雨が降りしきっていた。
天が僕の代わりに泣いてくれているのだろうか。そんな感傷に浸る余裕もない。雨は容赦なく僕の体を打ち、体温を奪っていく。
一枚の金貨を握りしめ、僕は当てもなく歩き始めた。ぬかるむ道に足を取られ、何度も転びそうになる。背後を振り返ることはしなかった。もう、僕に帰る場所はないのだから。
雨音がすべての音をかき消す世界で、僕はただ一人、絶望の闇の中を彷徨い始めた。
窓から差し込む陽光は磨き上げられた床に反射し、壁に飾られた歴代当主の肖像画をきらきらと照らし出す。その誰もが、神に仕える「光」の聖職者として、国に多大な貢献をしてきた者たちだ。
僕、ノア・リヒトハイムも、その血を引く長男としてこの屋敷に生まれた。けれど、僕の周りだけはいつも薄暗い闇が纏わりついているようだった。
双子の弟であるユリウスが、一族の期待を一身に受ける眩い「光」の力をその身に宿したのとは対照的に、僕が持って生まれたのは「影を操る」という不吉な力だった。
その力が発覚した日から、僕の人生は光の当たらない日陰へと追いやられた。
「忌み子め」
「お前のような者が、なぜリヒトハイムの名を名乗っているのだ」
家族からの罵声は日常だった。食事は使用人用の厨房の隅で冷たい残飯をあてがわれ、与えられた部屋は北向きの埃っぽい屋根裏部屋。誰も僕の名前を呼ばず、「あれ」とか「影」と呼んだ。弟のユリウスだけが時折心配そうに様子を窺いに来てくれたが、彼が僕に優しくすればするほど、両親の僕への当たりは強くなった。だから僕は、弟とも距離を置くようになった。
息を潜め、気配を消し、まるで屋敷に染み付いた古い染みのように生きる。それが、僕がこの家で生き延びるための唯一の方法だった。
そして今日、僕とユリウスは成人の儀を終えた。
華やかな衣装を身にまとったユリウスは、祝福の光の中で一族や来賓から称賛を浴びている。僕はと言えば、儀式への参加すら許されず、いつもと同じ屋根裏部屋の小窓から、その光景をぼんやりと眺めていただけだ。
夜になり、祝宴の喧騒が遠くに聞こえる頃、部屋の扉が乱暴に開かれた。そこに立っていたのは、厳しい顔をした父だった。その後ろには、不安そうな顔のユリウスと、冷たい目を僕に向ける母の姿もある。
「ノア。お前も今日で成人だ。これ以上、この家に置いておくわけにはいかない」
父の言葉は、まるで汚物でも吐き捨てるかのような響きをしていた。
「お前のような一族の恥は、もはや我慢ならん。これを持って、今すぐこの家から出ていけ」
そう言って投げつけられたのは、一枚の金貨。チャリン、と乾いた音を立てて床を転がった。それは僕の存在価値のすべてであり、同時に、この家との縁を切る手切れ金だった。
「父上、お待ちください!兄さんは……!」
ユリウスが悲痛な声を上げるが、父はそれを一喝する。
「ユリウス、お前は黙っていろ!こいつに関わるとお前の輝かしい未来まで穢されるぞ」
母はただ、冷ややかに僕を見下ろしているだけだった。
絶望が、冷たい水のように体の芯まで染み渡っていく。わかっていたことだ。いつかこうなることは。それでも、心のどこかで微かな期待を抱いていたのかもしれない。いつか、家族として認めてもらえる日が来るのではないかと。
だが、その淡い夢は、床に転がるたった一枚の金貨によって無残に砕け散った。
僕は黙って金貨を拾い上げ、ふらつく足で立ち上がった。父を、母を、そして涙を堪えるユリウスの顔を順に見る。彼らの目に、僕という存在はもう映っていない。
「……お世話に、なりました」
か細く絞り出した声は、誰の耳にも届かなかったかもしれない。
僕は背を向け、着の身着のまま、人生のほとんどを過ごした屋敷を後にした。重厚な扉が閉まる音は、僕の心を世界から完全に切り離す宣告のようだった。
外は、冷たい雨が降りしきっていた。
天が僕の代わりに泣いてくれているのだろうか。そんな感傷に浸る余裕もない。雨は容赦なく僕の体を打ち、体温を奪っていく。
一枚の金貨を握りしめ、僕は当てもなく歩き始めた。ぬかるむ道に足を取られ、何度も転びそうになる。背後を振り返ることはしなかった。もう、僕に帰る場所はないのだから。
雨音がすべての音をかき消す世界で、僕はただ一人、絶望の闇の中を彷徨い始めた。
47
あなたにおすすめの小説
『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる
レイ
BL
「出来損ない」と捨てられた場所は、私の居場所ではありませんでした。
ラングリス王国の第三王子・フィオーレは、王族の証である『聖種の紋様』が現れなかったことで「偽物の番」と罵られ、雪降る国境へと追放される。
死を覚悟した彼の前に現れたのは、隣国アイゼン帝国の「冷徹皇帝」ヴォルフラムだった。
【完結】悪役に転生したので、皇太子を推して生き延びる
ざっしゅ
BL
気づけば、男の婚約者がいる悪役として転生してしまったソウタ。
この小説は、主人公である皇太子ルースが、悪役たちの陰謀によって記憶を失い、最終的に復讐を遂げるという残酷な物語だった。ソウタは、自分の命を守るため、原作の悪役としての行動を改め、記憶を失ったルースを友人として大切にする。
ソウタの献身的な行動は周囲に「ルースへの深い愛」だと噂され、ルース自身もその噂に満更でもない様子を見せ始める。
婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。
零壱
BL
自己肯定感ゼロ×圧倒的王太子───美形スパダリ同士の成長と恋のファンタジーBL。
鎖国国家クルシュの第三王子アースィムは、結婚式目前にして長年の婚約を一方的に破棄される。
ヤケになり、賑やかな幼馴染み達を引き連れ無関係の戦場に乗り込んだ結果───何故か英雄に祭り上げられ、なぜか嫁(男)まで手に入れてしまう。
「自分なんかがこんなどちゃくそ美人(男)を……」と悩むアースィム(攻)と、
「この私に不満があるのか」と詰め寄る王太子セオドア(受)。
互いを想い合う二人が紡ぐ、恋と成長の物語。
※諸事情により、本編、番外編「嫁溺愛大将と幼馴染み達」「イザームさんとルーカスくん」のみ再掲します。
「羽化」
「案外、短気」
「飴と鞭」
は未公開のままで失礼いたします。
追放オメガ聖帝の幸せな結婚〜クールなスパダリ騎士に拾われて溺愛されるまで〜
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。
行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。
異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り
結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。
そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。
冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。
愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。
禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。
追放された悪役令嬢、規格外魔力でもふもふ聖獣を手懐け隣国の王子に溺愛される
黒崎隼人
ファンタジー
「ようやく、この息苦しい生活から解放される!」
無実の罪で婚約破棄され、国外追放を言い渡された公爵令嬢エレオノーラ。しかし彼女は、悲しむどころか心の中で歓喜の声をあげていた。完璧な淑女の仮面の下に隠していたのは、国一番と謳われた祖母譲りの規格外な魔力。追放先の「魔の森」で力を解放した彼女の周りには、伝説の聖獣グリフォンをはじめ、可愛いもふもふ達が次々と集まってきて……!?
自由気ままなスローライフを満喫する元悪役令嬢と、彼女のありのままの姿に惹かれた「氷の王子」。二人の出会いが、やがて二つの国の運命を大きく動かすことになる。
窮屈な世界から解き放たれた少女が、本当の自分と最高の幸せを見つける、溺愛と逆転の異世界ファンタジー、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる