残された私

双葉

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今日もアイツは生きている
あの人を殺したのに、安全にぬくぬくと
なぜあの人は生きていないのに、あの人を奪ったアイツが生きているのだろう
この国は、加害者に優しすぎる
アイツに殺されてしまったあの人も私の事も守ってもらえないのに
それどころかあの人の事は「死人に口なし」だと言わんばかりに報道で辱められたし、国に訴えても対処なんかしてくれなかった
救いは、人の噂は75日と言いながら二ケ月も経たずに収まった事
それでもご近所であらぬ噂が立ち私の居場所は消されていった
買い物に行こうとすれば、仲の良かったはずのご近所の方々がこちらの様子を伺い情報を得ようとする
「こんにちは」から始まり「最近どうです?」につづく
私の情報に価値なんてないのに、私の何が知りたいのだろう
「あの人が居なくなって悲しいけれど、頑張ります」と聞きたいのだろうか?
「寂しくて」だろうか、「もう一年たつのに・・・」だろうか
世間から見たら私は"悲劇"で片付けられるのだろう
でも私は自分が悲劇の人物なのかも分からない
ただアイツが生きている事が許せないし、あの人が生きていたらと夢に描く自分が許せない
『法治国家』
聞こえはいいが、被害者家族はその言葉でどれだけ救われるだろう
「刑期を終えました」
まだ聞かない言葉だが、その言葉にどれだけの絶望が与えるだろう
あの人の命を奪っても数年で刑期というものを終え自由になる
私がアイツの命を奪ったらどうなるだろ
アイツの家族は私を許すだろうか、それとも負の連鎖になるだろうか
刑期は加害者にとっては救いになるかもしれない
でも私からすれば「刑期を終えたからなに?あの人が生き返る?それだけで罪が償える?」しかない
頭では理解している
法治国家だからこそ守られている命もある
刑期を終えれば社会では許される
それでも私は許せないし被害者家族として、、、憎しみが消えない
法治国家にとって命の重さは数年、私は一生
同じ人の命でも思いが違えば、命の重さも変わる
他人事だった時は「へー」で片付けられたのに、どうしてこれほど憎しみが消えないのだろう
命の重さに違いがあるとは思わない
ただ私が思う他人の命が軽かっただけで、あの人の事も他人からしたら「へー」で済まされてその日の天気の方を気にするのだろう
あの人の事を皆に知って貰いたい訳では無いが、天気予報よりも軽いだろうと思うと辛く、知らない人を逆恨みしそうにすらなる
私はただ喧嘩をしてしてご近所で愚痴を言い、鬱陶しくなりながらのんびり過ごす未来を送りたかっただけ
有名になりたかった訳でも時の人のようになりたかったわけでもなく、ひっそりでも良いからこんな気持ちを持たない生活がしたかった
この思いは消えないとわかっていても、いつか消えるのでは無いかと期待と不安がよぎる
この気持ちが消えたら、楽になれるのだろうか
この気持ちが消えてしまったら、私にとってのあの人はどうなってしまうのだろうか
他人までは行かなくても好きだった気持ちも薄れていってしまうのだろうか
忘れてしまいたいと思う事もある、そう願う自分を嫌悪する時もある、加害者に対して進む為に少しは歩み寄るべきだと思う時もある、許してしまったらどうなるのだろうと思う時もある
ぐるぐる、ぐるぐる
いくつもの気持ちが落ち着きなく巡っている
疲れた
楽になりたい
でもアイツが生きている事がどうしても許せない
アイツが死んだら、私も楽になろう
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