天使様の愛し子

東雲

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フォルセの果実

71

「……アドニスとは違う魂───アドニスあの子とは、別の子だ」



静かに響き渡った声に、空気が止まった。

(……別の、子…)

ゾクリと背筋を駆け上がった言葉にできない感情に、全身が粟立った。
言われている内容は理解できているはずなのに、現実味のない事実は蜃気楼のようで、手を伸ばすことを躊躇ってしまう。
そうしている間にも、心臓の鼓動に合わせ、じわじわと広がっていく熱が唇を震わせ、言葉を吐いた。

「……わ、たしは……ちがう…子…?」

今にも消えてしまいそうな潰れた声。小さな小さな声は、それでも目の前にいるバルドル神にはきちんと届いていた。

「…そうだ。お前は、あの子とは違う子だ。お前の中に刻まれていた一番最初の記憶は、アドニスに罰を与えた、あの後からだった。…あの瞬間にお前は生まれ、あの子は……アドニスは、その時には既に、いなくなっていたのだろう」

美しいかんばせを歪め、頬を撫でるバルドル神の指先は、泣いているようにずっと震えていた。

(……いない…?)

サワサワと体の内側を撫でるような、不安とも戸惑いともつかない感情に口を開こうとした瞬間、再び強い力に腕を引かれ、抱き寄せられた。

「わっ!?」

二度目のことだからだろうか、先ほどのような大きな驚きや動揺はなかった。ただ先ほどとは違う抱き締め方に、目を瞬いた。

二本の腕で、全身を包むようにキツく抱き寄せられた体。
その大きな掌に後頭部を引き寄せられ、髪の毛がくしゃりと乱れたのが分かった。
厚く温かな肩口に鼻先が触れ、陽だまりのような、どこまでも優しく、懐かしい匂いが鼻腔を擽る。

「っ…」

吸い込んだ息から
頭を包み込む掌から
背中に回された腕から
寄せ合った互いの頬から

体の外側からも内側からも包まれているような安心感は、知らないはずの温もりによく似ていて、心の奥底で、ずっと前に置き去りにされてしまった幼い自分が、わんわんと大声で泣いた。


───みつけてもらえた! きづいてもらえた! うれしい! うれしい! うれしい…!


歓喜に震える産ぶ声が、魂を揺さぶるように泣き続け、勝手に涙が零れた。
一粒落ちた雫が、バルドル神の服に吸い込まれ、消えていく。たったそれだけのことが、何故かどうしようもなく嬉しくて、ひくりと喉が鳴った。


「……怖かっただろう」


数秒の沈黙の後、抱き締める熱を伝って聞こえた声に、ドクリと心臓が脈打った。

「怖かったな……お前はなにも悪くないのに、ずっとずっと、怖い思いをさせて、本当にすまなかった」
「…ッ!」

その声に滲んだ後悔と懺悔、自責の念に胸が締め付けられ、目を見開いた。

「痛かったな……すまない。その傷が、どれほどお前を苦しめただろう」
「っ……、ふ…っ」

バルドル神が言葉を紡ぐたび、歓喜とは異なる涙が、ボロボロと零れ落ち、吐く息は荒くなった。

「苦しかったな……たくさん、たくさん…アドニスの遺した過去が、お前を傷つけてしまった」
「う…っ、ふぅ…っ」

我慢できず、行き場を失っていた両手が、バルドル神の広い背中にしがみつく。
怖い訳ではない。悲しい訳でもない。ただ堪らない気持ちになって、無条件で安心できるその身にしがみ付けば、抱き締める腕に更に力が籠った。

「寂しかったな……悲しかったな……幼き子達が、お前を守ってくれて、本当に良かった。我が子の誕生にも気づけず、ただ傷つけるばかりの愚かな父で、本当にすまなかった…!」
「は…っ、うぅ…っ」

そんなことない───そう伝えたいのに、口を開けば嗚咽が漏れそうで、しがみ付いた腕に一層力を籠めることで返事をした。
そうしながら、記憶だけでなく、記憶に刻まれた様々な感情までも、バルドル神と共有していることに唇を噛んだ。


怖かった。痛かった。苦しかった。


侮蔑と憎悪に恐怖し、怯えて泣いて、「なぜ?」「どうして?」と、答えの分からない疑問に苦しみ、訳も分からず傷ついた。
苦しくて泣いて、悲しくて泣いて、与えられた『生』の重さに堪えられず、生きることを諦めたこともあった。
だからこそ、胸の痛みを堪えるようなバルドル神の言葉に、あの頃の自分が救われたような気がして───同時に、あの辛い感情に触れさせてしまったことに、胸が苦しくなった。

「ご…ごえ…っ、ごめん、なさ…」
「…困ったな。どうしてお前が謝るんだ? 良い子だから、謝らないでおくれ。…お前は、私のことを恨んでくれていいんだよ」
「ぅ…っ、な…で…っ、しなぃ…っ、そんな、こと…しなぃ…!」
「ああ……ああ、そうだったな。お前はそんな子じゃなかったな。…すまない。何度も泣かせて、本当に、不甲斐ない父ですまない」
「ひっ…ぅぐ…っ」

泣き声を噛み殺すように、肩口に顔を埋めれば、ゆるゆると頭を撫でられた。


「すまない…すまない……お前にも、にも…私は取り返しのつかないことをしてしまった…っ」


呟くようなその声は、きっと自分にしか聞こえていなかった。
僅かに震えていたその声を聞いた時、バルドル神が、“自分”と“自分ではないアドニス”の二人を想い、心を痛めて苦しんでいるのだと気づき、また一筋、涙が流れた。

(……ああ…『アドニス』はもう…いないんだ…)

ストンと胸に落ちた真実は、自分の一部を失ってしまったかのような物悲しさを含んでいた。
あれほどなりたくないと願っていた自分は、もういない───それをどう受け止めればいいのか、今はまだ分からず、儚く消えた知らない面影を見送るように、そっと目を閉じた。

「……愛しい子、顔を見せておくれ」
「っ…、…ん…」

涙でぐしょぐしょに濡れた頬もそのままに、ゆっくりと顔を上げた。

「ああ、こんなに泣いて…」
「ひっ…、っく…っ」

なんとか息を整えようとするも、しゃくり上げ、ひくりと鳴る喉を抑えることは出来なかった。
その間、バルドル神の滑らかな手の平が頬を拭い、指先が濡れた睫毛に残った雫を払った。

「…アドニスと同じ顔、同じ身体でも、お前はお前で、あの子はあの子…別の魂だ。アドニスの遺したものに怯えることも、あの子に向けられた感情も、お前が心を痛め、傷つく必要なんてない。それは、お前のものじゃないからね」
「……ッ」

単語一つ一つを噛み砕いて語るような、ゆっくりとした口調に、きゅうっと胸が切なく鳴った。



「───愛しているよ」



「───」

刹那、目が眩むほど美しい微笑みと、低く穏やかな声が鼓膜を揺らし、体の奥底で溢れた感情が、瞳から雫となって零れ落ちた。

「愛しているよ。大事な、大切な、私の子」
「ふっ…ぁ…」

慈しみに溢れた温かな声が、独りぼっちで泣いていたいつかの自分を包み込み、掬い上げた。

「大丈夫だ。もう、大丈夫だよ。お前を傷つけるものは、もう何も無いよ」
「はっ…、ぁ…っ」

歪んだ視界の中、一緒に泣いているような顔が、優しく微笑んでいる…それが嬉しくて、切なくて、後から後から涙が溢れた。

「すまなかった。本当に……生きて、私の元に帰ってきてくれて、ありがとう」
「っ…! ぁ…あぁぁ…っ!」

その言葉に堪えきれず、赤ん坊のように泣き声を上げた。

『自分』という存在に、ずっと疑問を抱いていた。
間違えて生まれてきてしまったのだろうかと思うと、怖くて堪らなかった。



「愛しい私の子。生まれてきてくれて、ありがとう」



でも、そうして怯える日は、もう二度と来ないだろう。


「あぁぁぁ…っ、っ…、あぁぁっ…!」

誰にも届かず、自分すら理解できなかった誕生は、とても歪だった。
誰にも祝福されず、苦痛の中で生まれた命は、とても孤独だった。

その生命いのちが、生まれて初めて祝福された様で、涙腺が壊れたように涙が溢れ続けた。


「愛しい子、愛しい子や、愛しているよ」


声の形をした愛情が、何度も何度も、胸の奥底で泣いていた幼い自分に降り注ぐ。

───いつしか泣き止んだ幼な子は、ニコリと笑うと、どこか遠く、優しく温かな場所へと向かい、姿を消した。







どれほどか時間が過ぎた頃、トン…トン…と背中を優しく叩く振動に、涙はいつの間にか止まっていた。

「…起きてるかな?」
「……ん…」

長く張っていた緊張が解け、安心感に包まれていた体と意識は、とろとろと眠りに落ちそうなほど緩んでいた。

「疲れたな。早く休ませてやりたいが、もう少しだけ、頑張れるか?」
「ん…」

困ったように笑うバルドル神に、コクリと頷き返すと、のそりと上体を起こす。体を抱き締めていた両腕は解かれ、大きな両手に頬を包まれた。

「もう少し、これからのことについて話しをしよう。…いいかな?」
「…ん」
「良い子だ。そうだな……まずはもう一度、お前の願い事を聞こうか」
「……願い、事…」

『願い事』という単語に、ふわふわと揺蕩っていた意識がパチリと覚醒した。

「そうだ。先ほど聞いた願い事は、お前とアドニスが同一人物であることが前提の願いだった。だが今は、その前提が崩れた。アドニスとお前は違う子だ。…もう、叶えてやることは出来ないよ」

優しい声音で拒絶された願いが、ゆっくりと形を失い、ポロポロと崩れていくのが分かった。
同時に、『自分』という個に気づいてもらえたこと、慰め、宥め、愛してもらえたことで胸が満たされたからか、自分とアドニスが別人であることへの意識が、少しだけ置いてけぼりになっていたことに気づく。

(……もう…怖くならなくて、いいんだ…)

誰かを傷つけてしまうことへの恐怖も、そんな自分になってしまう恐怖も、もうどこにも無い───遅れてやってきた現実に、胸の奥底にこびり付き、重くのし掛かっていた不安や恐怖は、溶けて消えていった。

「先ほどの願いは無効だ。改めて、お前の願いを聞かせておくれ」
「…私の……願い…」

そう問われ、ゆるりと背後を振り返った。
そこには変わらず、ルカーシュカとイヴァニエ、エルダかいて、心配そうに、それでいてどこかホッとしたような、柔らかな笑みで見守ってくれていた。

「…ッ」

目が合った瞬間、バルドル神の膝の上に座ったまま、しがみついて散々泣きじゃくった自分の姿を思い出し、ボッと顔に熱が集まった。
嬉しいという気持ちと、恥ずかしいという気持ちが同時に込み上げ、慌ててバルドル神に向き直ると、服の端をギュッと握り締めた。

「…あ、あの…っ」
「うん」
「…お願い、なんですけど…」
「うん」

口にしようとすれば、それまでとは違う緊張感にドキドキと心臓が高鳴ったが、一度深く息を吸い込むと、固く手を組んだ。

願い事は、もう決まっているのだ。


「…っ、わ、私は…みんなと、もっと…もっと、ずっと…一緒にいたいです…!」


憂いや枷がすべて無くなった今、願い望むことは唯一つ。

エルダと、ルカーシュカと、イヴァニエ、そして幼い天使達。『彼らと共に生きたい』と湧き上がる感情が、今の自分が心から望む、なによりの願いだった。
組んだ指先が白くなるほどギュッと力を込め、真っ直ぐにバルドル神を見つめれば、その瞳がふっと柔らかに細められた。

「愛らしい願い事だな。その願いは、私が何かをせずとも、お前がお前のまま、思うままに生きるだけで叶うだろう」
「っ…、で、でも…!」
「うん?」
「わ、私……なんにも、できないん…です…」
「…なんにもできない?」

ゆっくりと首を傾げるバルドル神に、僅かにたじろぐ。
皆と共に生きたいという願いは変わらない。ただ一つだけ、自分が『アドニス』と別人であったこととは別の心配事が残っていた。

「…あの……しゅ、粛法が…使え、なくて…」

ポソポソと呟くような小声になってしまい、声の大きさに比例して、思わず体を縮こめた。

そう、『粛法』と呼ばれる、天使ならば誰しもが扱える術を、自分は何一つ扱うことが出来なかった。
今までもエルダから粛法について学ぶたび、力の使い方を教わってきた。
だがどれだけ学んでも、何度力を放出しようとしても、ほんの少しの兆しすら見えず、全く扱えなかったのだ。

天使が生まれた時から扱える粛法…赤ん坊達でさえ、息をするのと同じ感覚で使っている『癒す能力』と『飛ぶ能力』すら、自分には無かった。

エルダ曰く、照明を点けられるということは、聖気が無い訳ではない、と言われた。だがそうすると、単純に粛法というものが扱えないということになってしまう。
皆が当たり前のように扱っている力が無いということは、恐らくこの先、この世界で生きていく上では致命的な問題だろう。
皆が何がしかの役目を与えられ、与えられた役割を担うことで、天界という世界は回っている。何の役目も担っていないのは、生まれたばかりの赤ん坊達だけだ。

ただ力が無いだけではない。本当の意味で『何もできない』自分に、果たして居場所はあるのだろうか───じわりの滲み寄った不安に、自然と視線は下がった。

「ああ、そのことなら心配は無用だ」
「……え?」

少しだけ沈んでしまった空気を払うような朗らかな声に、パッと顔を上げれば、声同様の明るい笑みを浮かべたバルドル神が視界に映った。

「心配しなくていい。恐らく、お前にしか出来ない、大切な役目がある」
「…自分に、しか…?」

まさか、粛法が扱えないことが条件のような役目があるのだろうか?
意味が分からず首を傾げれば、バルドル神がふっと笑った。

「そうだ。大切な大切な、役目だよ。…オリヴィア」
「畏まりました」
「…?」

それまでその存在を消すように、黙って控えていた少年が、ゆるりと動く───と、瞬きの間に、その腕に一抱えもある大きな塊が現れた。

「!?」

何も無い空間から突然物体が現れる光景は、何度見ても慣れないが、それよりも今は、初めて見るその物体に目が釘付けになった。

(……綺麗)

キラキラと輝く結晶のようなそれは、いくつもの花が咲いた花束のような形をしており、淡く発光していた。
ほんのりと白く、半透明のそれは、命の湖や母提樹、バルドル神の左目と同じ色をしていた。
どこか不思議な波長を感じるそれに見惚れていると、背後で息を呑む音が聞こえた。

「バルドル様、それは…!」
「まさか……他の者達の中に、いなかったのですか…?」

僅かに高揚を含んだような声に、反射的に振り返れば、驚いた顔でこちらを見つめるイヴァニエとルカーシュカと目が合い、その傍らでは、エルダも目を見開いて固まっているのが見えた。

(なに…?)

三人の様子から、なんとなく特別な物であることは分かった。だがそれが良い物なのか悪い物なのかが分からず、オロオロと視線が彷徨う。

「怖い物じゃないから、安心しなさい」
「ぅあ…」

考えを見透かされてしまったことを恥じ、縮こまれば、所在なさげに服の端を掴んでいた手をバルドル神に取られた。

「触れてごらん」
「え…? で、でも…」
「大丈夫、怖い物ではないよ。…オリヴィア」
「アドニス様、ご安心下さいませ。貴方様に危害を加えるような物ではございません。…ほら」

『オリヴィア』と呼ばれた天使が、自分に見せるように腕に抱えた結晶にペタリと触れた。
だが何かが起こる訳でもなく、本当にただ触れているだけの光景に、ゆるゆると体から力が抜けた。

「ほら、大丈夫だろう?」
「ええ、ご安心下さい」
「…ん」

二人揃ってニコリと微笑まれ、頷くしかなかった。

「大丈夫だ。誓って、お前を傷つける物ではないよ」

バルドル神の言葉と同時に、目の前に大きな結晶を差し出され、握られていた手がそっと離された。
どうして触れなければいけないのかという疑問はあったが、触れることに意味があるのだろう、と湧いた疑問は飲み込んだ。

(……大丈夫)

バルドル神を疑う気持ちは無い。緊張から心臓がドキドキと鳴っていたが、チラリと背後を振り返り、三人の力強い眼差しに勇気をもらうと、おずおずと結晶に手を伸ばした。



すべらかな結晶のその表面に、指の先がほんの少し触れた───瞬間、目を開けていられないほどの眩い光が結晶から放たれ、辺り一面を真白く染めた。



「ひゃっ!?」
「おっと」

予想外の事態に体は跳ね、咄嗟に手を引いた反動で体が後ろに仰け反った。危うくバルドル神の膝から転げ落ちそうになったが、長い腕に抱き留められ、グイッと元の位置に引き寄せられた。

「ご、ごめん、なさ…っ」
「いや、まさかこんなに光るとは……すまない、眩しかったな。目は大丈夫か?」
「は、はい…」

ドッドッと、未だに大きく脈打つ心臓を押さえながら結晶に目を向けるが、一瞬光った強い光はもう収まっており、少年の腕の中で静かに鎮座していた。

(びっくりした…)

指先も触れた感触しか残っていない。光った以外は特に何事もなかったことに、ホッと気を緩めた時だった。

「ぁ……」
「…ッ、アドニス!」
「アドニス様!」

不意にクラリと視界が揺れ、自分の意思とは関係なく、ぽてりとバルドル神の肩に体が凭れた。
急激な疲労感に襲われ、くったりとしたまま動けない体に目を白黒させていると、バルドル神の腕に再び体を包まれた。

「…ふむ、随分と疲れが溜まっていた様だな」
「バルドル様、僅かですが授花は聖気を吸い取ります。それが負担になってしまったのかもしれません」

バルドル神と少年の会話を聞きながら、体がゆっくりと眠りに落ちようとし始めたことに、焦りが生まれた。

「…バルドル、様……私…どうし…?」
「ああ、ごめんよ、愛しい子。泣き疲れた後のお前には、少しばかり荷が重かったらしい。すまないが、もう少しだけ時間がほしい。…頑張って、起きていられるかな?」
「……う」
「良い子だ」

頷いた頬をさわさわと撫でられ、脱力した体にグッと力を入れると、バルドル神に寄りかかったまま、その顔を見上げた。

「バルドル様…今のは…?」
「お前が触れたのは『授花じゅか』と呼ばれる物だ。フォルセの果実を決めるための、なくてはならない母提樹の一部だよ」
「…果実を……決める…?」

よく分からない言葉に、頭の中には疑問符が浮かぶが、フォルセの果実の名前だけは知っていた。

(…フォルセの果実って…果物じゃないのかな?)

自分に与えられた謹慎期間は「フォルセの果実が実るまで」と言われていた。だからこそ、何か果実が実る季節のことを指しているのだとばかり思っていた。

「フォルセの果実というのは、ある果実と、それを実らせることができる唯一の者に与えられた、特別な呼称だよ」
「…呼称?」
「そうだ。八年に一度、授花に触れることで『フォルセの果実』は選ばれる。授花は母提樹の一部であり、フォルセの果実を選ぶのは母提樹だ。命を育み、新しい命を生む母提樹が、幼な子を預ける先として、その成長の手助けをする者を選ぶんだよ」
「………」

聞きながら、すぐには理解できない内容に、返事もできずに固まっていると、バルドル神の手が頭をそっと撫でた。

「お前にはまだ少し難しいかな? 後でルカーシュカ達に詳しく説明してもらいなさい。今はそういうものだと聞いているだけでいい」
「は、はぃ…」

相変わらず思考を見透かされ、動揺している間もバルドル神の話は続いた。

「フォルセの果実は、純天使…プティを成長させることが出来る、唯一の果実だ」
「…成長?」
「そうだよ。お前の大好きなあの子達は、フォルセの果実を食べることで、少しずつ成長していく。逆を言えば、フォルセの果実でしか成長できない。特別な果実だ」
「特別……」

そういえば、特別な呼称だと言っていた…そんなことをぼんやりと考えていると、穏やかに細められた瞳と目が合った。

「八年に一度、次代のフォルセの果実を決める日のことを『フォルセの果実が実る』と言うんだ。そうしてその役目を担う者のことを、その代の『フォルセの果実』と呼ぶ。幼な子達を育てるための大切な果実を実らせ、母提樹に代わってあの子達を育てる、大事な役目だ。……分かるかな?」

分かるかな?───その一言に含まれた響きに、僅かに目を見開いた。

まさか、でも、だって…反射的に否定してしまいそうになる思考の中、期待を含んだ「もしかして」という気持ちに、心臓がトクリと鳴った。

(……だって…)

バルドル神は、と言っていた。

膨らんだ希望に誘われるように顔を見上げれば、美しいかんばせが嬉しげに破顔した。



「母提樹は、お前を選んだよ」



瞬間、ドクリと高鳴った心臓に、全身が粟立った。

ヒュッと鳴った喉の奥、言葉にならならい感情と、吸い込んだまま吐き出すことを忘れた吐息に、ふるりと体が震えた。





「愛しい子。お前が、今代のフォルセの果実だ」





静寂に包まれた部屋の中、慈愛に満ちた穏やかな声が響き渡った。
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