泥の殻々/骸の相承

宮塚恵一

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11. 終幕/幕開

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 お腹の子は殺すべきだと主張するぼくを、由李歌は真っ向から反対した。
 自分のお腹にいる子が呪われた子であることなど重々承知だと。山ン本がもし生き返ったのだとしたら、奴のことは百回殺しても殺し足りないと言った。
「なら尚更」
 由李歌の産む子が次の山ン本になることを平田は望んでいる。それはつまり、その術があるということだ。
 そんな愚は犯すべきではない。そう悟すぼくに向かって、由李歌は力強く否定の言葉を口にした。

「旭くんは、わたしは怨児おにに侵されているからってわたしを殺すの?」
「それは……」

 そんなことはしない。そうしない為にぼくは生き続けることを決めたのだから。

「なら、この子も同じ」

 由李歌は言った。腕のない身では、腹を撫でることも出来ないが、それでも慈しむように自身の腹を見つめた

「この子は山ン本の子である以前に、魔王の器である以前に、怨児おにの子である以前に、わたしの子でもある。わたしは、この子を殺さない」

 そう言われてしまえば何も言うことが出来なかった。

 ぼくは由李歌の出産まで、平田の家に潜むことを決めた。憂悟の見様見真似や、平田の家にある本も頼りに、怨児おにから身を護る術も学んだ。

 ぼくの身体を移植されても由李歌が怨児おにの身体を欲するのは変わらずにいたので、義足も作り、怨児おに狩りも続けた。
 人間ヒトを襲い人間を喰らう怨児おにを、殺し続けた。
 左眼のないままで怨児《おに》を殺すのは大変だと思っていたが、怨児おにを狩るうちに、その存在を感じ取れるようになっていたのに気付いた。その日、鏡を見ると左眼に漆黒が広がっていた。眼帯で隠しても自分の左胸の漆黒だけはよく見える。これが由李歌の見ていた世界だと、すぐ判った。

「もしも由李歌ちゃんが産む子が、山ン本の子だとバレたらどうする気だい?」

 ある朝、食事を作っている時のこと。瓶の中から平田にそう訊かれた。
 平田の家にある物を全て信用し切れなかったので、ぼくは食事を作る為の調理器具や食器も少しずつ買い替えていた。
 憂悟の為に毎日作って失敗していた目玉焼きは、器具を変えた途端、嘘のように上手に焼けるようになった。

 今日もぼくと由李歌のために、見栄えの良い目玉焼きを作り、お椀に綺麗に装った米の上に乗せた。
 日に日に由李歌の腹も大きく膨らみ、そこに新たな命が育まれているのを眼で見て実感するのは不思議な気持ちだったが、腹の痛みに耐えつつも、我が子を慈しむ由李歌の眼を見ると、より一層この笑顔を護らねばならないと実感した。たとえその身に宿るのが文字通り、鬼の子なのだとしても。

「山ン本の死だって、遅かれ早かれいつかは気付かれる。神野じんの辺りはもう気付いているかもしれない。そうなれば、旭。君達のもとに怨児おに狩りが押し寄せるのも時間の問題かもしれないさあ」
「その時は、逃げる他ないだろ」
「逃げられなかったら? 闘う他ない状況に追い込まれでもしたら?」
「その時は」
 その時は、怨児おに狩りを殺すしかないこともあるだろう。嫌な質問だが、今考えておくべきことなのも確かだった。いざと言う時にぼく自身や由李歌を守れなかったら、生き続けると誓った意味がない。

 そんなぼくの言葉を耳にして、平田は頬を紅潮させて高らかに笑った。

「それを聞いて安心したさあ。さあ疾く疾く育むが良い。魔王の子を」

 ぼくは平田の高笑いを、鼻で笑って返した。

 月日が経ち、由李歌が破水した。病院に連れて行くわけにも行かず、腐っても医師の端くれである平田を怒鳴り、出産に立ち会わせた。

 血塗れになりながら、何とか由李歌から腹の子を引き摺り出すのは怨児おにを狩る以上に堪える仕事だった。

「産まれた……」

 子の誕生を謳って讃えようとする平田をいつものように瓶を叩いて黙らせて、ぼくは赤子を抱き上げた。
 そこにいるのは見た目は何の変哲もない、人間ヒトの子だった。
 産まれて直ぐに何か起こることも警戒していたが、その心配も杞憂に終わった。
 赤子は元気よく産声を上げた。家中に赤子の声が響き渡るのを聞いて、ぼくはホッとした。

「わたしの子……」

 由李歌はぽつりと、そう小さく呟いた。
 我が子を抱くことが出来ない由李歌に代わり、ぼくは赤子を由李歌の胸元に近付ける。
 出産の痛みと、我が子の顔を見た嬉しさで、由李歌の顔はぐしゃぐしゃに濡れていた。ぼくの頬も由李歌につられて濡れる。

 此処ここからだ。

 これで終わりではない。全ては此処からだ。
 由李歌が何と言おうとも、ぼく達は山本五郎左衛門の子を、魔王の子を育てるのだ。

 ぼく達は生き続けなければならない。
 由李歌の為にも、ぼくの為にも。
 この子の為にも。

『お前なら出来るさ』

 そんな優しい憂悟の声が聞こえたような気がして、ぼくは由李歌と赤子を一身に抱き締めた。
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