南国〈ゴンリク〉極楽島

宮塚恵一

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第3話 ゴンリクの神

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 神高原健とコノア=トーヤバィの結婚式は、これ以上にない盛り上がりだった。

 新郎新婦が列席者への挨拶を終え、壇上にあがると、式に集まった列席者からお祝いの声とシャンパンをかけられる。それを見ていた何人かが壇上にあがり、神高原先生を持ち上げると、胴上げをはじめ、その様子を見て、皆で壇を囲んで唄い始める。

 それでいて決して無秩序のドンちゃん騒ぎというだけではなく、皆が心から新郎新婦の幸せを祈って式を盛り上げているのだろう。怪我人や泥酔者は一人もないままに、式は進められた。
 パピル氏も、途中から私の隣からはいつの間かいなくなって、他の島民達と一緒になって神高原先生を胴上げする一団の中に加わっていた。

 式場に向かうまでの道中でパピル氏から聞くところによると、ネブッアー島の公言語は英語だが、こうしたお祝いの席では島民は皆、ネブッアー島独自の言語であるネブッアー語で無礼講と楽しむのだという。
 事実、式場で聞くのは聞き覚えのない、しかし耳に心地よい気のする言語で話す島民達の会話だけだった。
 パピル氏が私の隣についたのは、こうしたネブッアー語の通訳の為の筈であるが、祝いの席だ。細かいことは気にすまい。
 私も気づけば言葉の壁など忘れ、島民達と新郎新婦を祝うという同じ志のもと、呑めや唄えやのお祭りの中に自然に参加していた。
 そんなお祭り騒ぎも束の間。新郎新婦が、あの巨大なゴンリクの木の下に用意された椅子に座ると、列席者たちも皆、襟を正すようにおのおのに用意された場所に着席した。

「おっと、何が始まるんだ?」

 既に場の雰囲気を楽しんでいた私は、隣に戻ってきていたパピル氏に尋ねた。
 パピル氏は上機嫌で答えた。

「こっからが式のメーンイベントや。あんさんも幸せ者やで。ネブッアーの人間でもないのに、この儀式に参加できた外の人なんて数えるくらいしかおまへん」
「ほう、そりゃ楽しみ──」

 私は手元にある酒を口に運ぼうとして、手を滑らせた。
 酒の入ったグラスが地面に落ち、ガシャンと音を立ててわれる。
 目の前の光景に釘付けになり、手元がおろそかになったからだった。

 ──あまりの現象にアルコールの酔いからも覚める。

 新郎新婦の背後に、突如として巨大なゴンリクの実が二つ落ちた。

 ゴンリクの実は見た目はそのまま大きなマンゴーなのであるが、その巨大マンゴーの果実が、パカリと上部から真っ二つに割れた。割れた二つの果実はそのままゴトリと新郎新婦の両脇に倒れると、そのままパクリと新郎新婦を挟み込んだ。

 式場全体から大声が響いた。悲鳴ではない。
 巨大なゴンリクの果実が新郎新婦を呑み込むのを見て、湧き上がる歓声をあげていた。指笛を鳴らしたり、拍手をしたりして、熱狂で目の前の光景を迎えている。よくよく見ると、ゴンリクの果実に挟み込まれた新郎新婦の二人は、完全に果実に呑み込まれていたわけではなく、これ以上になく幸せそうな顔で脚をピンと伸ばして痙攣していた。
 神高原先生とコノアさんの股間から、黄色い液体がじわりと服を濡らしていったのは、果実の汁ではなく、失禁した為なのだと見てわかる。

「なんだこれは!」
 私はパピル氏の肩を揺らした。
 パピル氏は涙を流して他の島民達と同じように歓声をあげていたが、私の問いに目元を袖で拭うと、溢れる笑みを耐えきれない様子で答えた。

「ゴンリク=ドレコ様からの祝言や! 島の皆、お祝いごとがある時はここに来て、ゴンリク=ドレコ様からの祝福を受けるんや! さあさ! あんさんも身を委ねんし!」

 見ると、ゴンリクの巨木からボトボトと巨大果実がドンドンと落ちてきている。果実はゴロゴロと転がると、先程新郎新婦の前でそうしていたのと同じように、それぞれが列席者の前でパカリと割れ、パクリと列席者を呑み込んだ。

 パピル氏の前にもゴンリクの果実が転がり、両手を天に広げて賛美の声を挙げるパピル氏を、他の島民と同じように呑み込んだ。

 ゴロゴロと。私の前にも例外なく人間大程あるゴンリクの果実が転がる。

「うりゃああ!」

 私は転がってきたゴンリクの果実を、右ストレートでぶん殴った。私の前に転がってきた果実は転がってきたのと反対方向にまたゴロゴロと帰っていき、途中にいた他の列席者の一人を押し潰した。

 うぎゃ、という小さな声と共に、その列席者のいた場所に、今度は赤い液体がじわりと滲む。

「怖がることはない、恵之介くん!」

 新郎新婦の壇上で、神高原先生が私に向けて両手を広げていた。しかし、神高原先生の頭部を先生と同じだけの大きさの果実がパクりと咥え込んでいて、顔が見えない。果実の中から、先生のくぐもった声だけが大きく響いている。

「ゴンリク=ドレコ。ドレコはネブッアーの言葉で“神様”の意味だよ! わたし達は神と一体になることで、この世にいながら極楽を手に入れるんだ! 君も味わっただろう! ゴンリクの果実を食べたことで味わった、かつてない多幸感を! あの幸せとは比べものにならない極楽に、ゴンリク=ドレコは導く! だからこそ島の人々は、ゴンリク=ドレコが島民達を呑み込む日を楽しみにし、それを糧に毎日を過ごすんだ!」

 神高原先生が壇上からそんなことを言っている間にも、幾つもの巨大ゴンリクが私に向けて転がってくる。
 私は得体の知れないものに身を委ねてしまうかもしれない恐怖を抑え、ゴンリクの果実を迎え撃ってぶん殴った。

 その度に、果実は列席者の誰かを押し潰し、小さな断末魔をあげさせたが、そんなことに構っている余裕はない。

「恵之介くん! 大丈夫だ! たとえ今は恐怖に支配されて島民を殺めたとしても、島民は誰もそんなことは気にしない! むしろ、儀式の最高に幸せな最中に死を迎えられることを誇り感謝もするだろう!」

 神高原先生を呑み込んでいた果実が、再度パカリと割れた。果実から解放された先生のその顔は、恍惚の表情を浮かべている。
 先生は自分の顔から落ちた果実の中身を一部、手でほじり取り、口元に運んだ。
 そのまま一息で飲み込むと、神高原先生は身体中を大きく震わせて、喜悦の声をあげた。

 その間も、巨大ゴンリクの果実は次々に木から落ちてきて、私の元に転がってくる。
 私は、ここで巨大ゴンリクを迎え撃ち続けるのは不可能だと踏んで、式場を飛び出した。

 そんな私を、式場の列席者達が頭に果実を乗っけたまま、バランスを取って追いかけてくる。

「恵之介はん!」

 そのうちの一人が、大声で私の名を呼びかけた

「あんさん、待つんや! これは幸せなことやで! この世の全ての苦しみから、ゴンリク=ドレコ様は解放してくださるのや! そして熟した果実は島民以外の人々の口にも入り、更なる幸せを世界中に広げる! こんな祝福、他にはありゃせん!」

 私は式場から逃げ、走り続けた。
 追いかけてくる島民達は、皆自分と同じくらいあるゴンリクの果実を頭に抱えているから、そんなに速くはない。これなら逃げ切れる。そう思って、パピル氏の車で進んだ道を記憶に頼り駆ける。
 だが、市街地の入り口まで着いたところで、私はピタリと足を止めた。

 先程の閑散とした様子とは打って変わり、ネブッアーの街は狂乱に湧いていた。

 街路をゴンリクの果実がゴロゴロと転がり、人々も皆、果実に咥え込まれていたり、逆に口にしたり騒いでいる。

 街の方から私の目の前に、ゴンリクの果実が転がる。
 果実は私の目の前でピタリと止まると、パカリと割れて、パクリと私を呑み込んだ──。

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