佐藤さんの四重奏

makoto(木城まこと)

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第2話 本当の性別

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「でも、骨折じゃなくてよかったわね」
 撮ったレントゲンの写真を見ながら、病院の先生はそうやさしく言った。
 自分の情けなさに、思わず泣きそうになるのをこらえる。
 ああ、かっこ悪いなあ。まさか、本当につき指をするなんて。
 よりによって、左手の人差し指をつき指するなんて。
「……あの、どれくらいでなおりますか?」
「けがをしたのが昨日でしょう? そうねぇ。二、三週間くらいかしら」
 先生が、かべにかけられた三月のカレンダーを見ながら指をおっていく。
 完治するのは四月ごろになるだろうな。
 テーピングで固定されて曲がらなくなった自分の左の人差し指を見つめた。
「あらあら、どうしてそんなにうれしそうなの?」
 ふふ、と先生はやわらかく笑った。
「……え?」
「今、少し表情がやわらかくなった気がして」
「……いえ、なんでもありません」

 診察が終わって診察室を出ると、目の前のソファーに座っていたお母さんがわたしに気づいて立ち上がった。
「どうだった?」
 とっさに目をそらし、つき指をした左手を背中に回す。
「……つき指」
 聞こえないだろうな、という小さな声でわたしは言った。
「そう。骨折じゃなくてよかったじゃない」
「うん」
「でも、しばらく練習はお休みね。みち子先生のところにも電話入れておくから。あと――」
 お母さんは残念そうにぼそりと言った。
「三十日の発表会もむずかしそうね」
「……」
 待合室に流れている心地よいクラシックの音楽。
 パッヘルベルのカノンだ。今ちょうどバイオリン教室で練習している曲。
 そして、本当なら三十日の発表会でひく予定だった曲だ。
 しばらく沈黙がつづいたあとに、受付の人から「佐藤さん」と名前を呼ばれた。

                *

 小学生になる前のとき、バイオリンを始めてから最初の発表会のときのことだった。
「ねえ、お母さん。あれ着たい!」
 ステージに立つときに着る衣装は、たくさんあった。
 どれもおとぎ話に出てくるお姫さまみたいに、キラキラとしたかわいらしいドレス。
 でも、わたしが着たいものはその中になかった。
「千里。それはね、男の子の衣装よ。あなたはこっち」
 お母さんはそう言って、わたしの目線を女の子向けの衣装にもどした。
 わたしが着たかったのは、黒いベストに白いシャツ、そしてグレーのチェックの半ズボン。
「では、これはいかがでしょうか」
 お店の店員さんは、黒字にラメの入ったキラキラとしたワンピースを持ってきた。
「これいいじゃない、千里。あの衣装ににてるわよ」
 お母さんはそう言って、さっきわたしが着たいと言った黒のベストを指さした。
「……うん」
 正直、どこが似ているのかわからなかった。
 お母さんは苦しまぎれにそう言ったのかもしれない。
 けっきょく、お母さんと店員さんに言われるがまま、その衣装に決まった。
 少しはなれて衣装をえらんでいる男の子が、着たかった黒のベストを手に取ったとき、うらやましいのと同時にくやしい気持ちになった。
 わたしはこの日をさかいに、発表会が大きらいになった。
 別にバイオリンがきらいなわけじゃない。
 自分の好きな服を遠まわしに否定されたことがいやだった。

 小学校に入学する前のこと。
 お父さんとお母さん、それから年の離れたお姉ちゃん三人といっしょにランドセルを買いに行ったときもそうだ。
「このランドセルがいいな」
 わたしが指をさした黒のランドセルを見たお姉ちゃんたちは、口をそろえてこう言った。
「千里、それは男の子のだよ。女の子はこっち」
「え? あ、うん」
 お姉ちゃんたちに明るい色のランドセルが並べられた棚の前につれていかれた。
「黒なんて地味だよ。男子みたい。ピンクなんてどう?」
 一番上のお姉ちゃんが、ピンク色のランドセルを指さす。
「ピンク嫌? じゃあ、赤は?」
 二番目のお姉ちゃんが、赤いランドセルを指さす。
 ふと、かざられていた写真に写っている女の子が赤色のランドセルを背負っていた。
 そのとなりに写っている男の子は、黒いランドセルを背負っていた。
 ―――ああ、そういうことなんだ。
 ピンク色のランドセルを手に取ってレジに持っていく女の子とその家族を遠目で見た。
 わたしはただ、黒が好きなだけなのにな。
 わたしが男の子だったら、黒を選んでも否定されなかったのかな。
 結局、わたしは、お姉ちゃんたちに言われるがままに赤いランドセルを買ってもらった。
 『男子みたい』。そんなお姉ちゃんの声が、頭の中で、ずっとぐるぐるしていた。

千里ちさとちゃんって、男の子みたいだよね」
 小学三年生になってから、クラスメイトの女の子に言われた言葉だ。
 黒色が好き、サッカーが好き、虫取りが好き、車が好き、恐竜が好き……。
 わたしが好きになるものは、みんな男の子が好きといわれているもの。
 キラキラなラメの入った筆箱や、かわいらしいウサギのポーチを好きになれないわたしは、どこかおかしいのかなと思った。
 「男の子みたい」と言われるたびに、心が不安になった。
 そして、クラスメイトの女の子たちの輪の中に入れなくなって一人ぼっちになった。
 やがてその不安は『恐怖』になり、自分が女の子ではいけないような気持になった。
 ―――男の子に生まれていれば、こんな思いをしなくてもすんだのに。
 わたしは、あることをきっかけに、一時期学校に行けなくなった。
 それが、小学三年生の春から夏にかけてのこと。
 この日から『わたし』は『ぼく』になり、『チサト』から『センリ』になった。
 いや、正確に言うと『チサト』と『センリ』を使い分けるようになった。
 家族の前や学校では女の子の『チサト』。
 休日に学校以外の仲間とサッカーをするときは男の子の『センリ』。
 そう、自分――『佐藤千里』は二つの顔を持っているのだ。

               *

千里ちさと、もう家に着いたわよ」
 お母さんにゆらされて起こされたとき、車の窓の外は見慣れた自分の家の庭だった。
 テーピングをされた左手の人差し指に目を落とす。
 これでよかった。突き指をしなかったら、発表会に出ることになっていたんだから。
 今まで、いろんな理由をつけて発表会からにげてきた。
 でも、自分が女の子であるかぎり、スカートやワンピースを着る運命からはにげられない。
 女の子なのにスカートをはきたくないなんて、やっぱりなにかの病気なのかな。

 自分の部屋に戻ると、勉強机にあるカレンダーが目に入った。
 三十日の日に黒のペンで丸がついていて、その下に小さく発表会と書かれている。
「……恐竜博、行きたかったな」
 昨日仲良くなったヨウは、わたしのことに気づいたのだろうか。
 自分が、本当は女の子であることに。
 もし、そうだとしたら――わたしが『ぼく』でいられる場所がなくなってしまう。
 またバカにされるのだろうか。「女なのに男みたいなかっこうして」って。
 ユウキたちにも知られてしまったら、もう友だちでいられないかもしれない。
 そう考えたらなみだが出てきて、わたしはかくれるように自分のベッドにもぐった。
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