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第6話 ウィンターフェイド家へ
揺れる馬車の窓から、少しずつ変わっていく景色を眺めていた。緑豊かな木々が連なり、時折見える農家の小さな屋根。ヴァンローゼ家の領地を出て、見知らぬ土地へと向かっている。
私――エレノア・ヴァンローゼは、膝の上で握りしめた手をじっと見つめた。爪が白くなるほど強く握っている。緊張と不安で、胸が締め付けられるようだった。未知に対する不安があった。
「どうなるのでしょう……」
馬車の中で、私はため息をついた。思いがけず、ヴァンローゼ家から解放されるチャンスが訪れたことは嬉しい。でも、これからどんな境遇が待っているのか想像もつかない。
妹の押し付けで婚約者になった私。相手のウィンターフェイド家は、本当に私を受け入れてくれるのだろうか。それとも、邪魔者として扱われるのだろうか。
馬車は揺れながら進み、やがて森を抜け、広大な丘陵地帯に出た。午後の陽光が麦畑を黄金色に染めている。とても立派な光景に、少し見惚れる。
「もうすぐ着きます。ウィンターフェイド侯爵家の領地です」
御者の声が聞こえた。遠くに見えるのは、威厳ある石造りの大きな屋敷。あれが、ウィンターフェイド家の邸宅だ。
丘の上に建つその館は、ヴァンローゼ家よりも広く、そして荘厳だった。主塔の尖塔が空に向かって伸び、日の光を受けて輝いている。
馬車は石畳の道を進み、屋敷の前で停まった。
「到着しました。お降りください」
到着してしまった。御者の声に、私は深呼吸をして心を落ち着かせた。
「はい」
馬車から降りると、御者は私の小さな荷物を地面に下ろし、すぐに馬に鞭を入れて馬車を発進させた。あっという間に遠ざかっていく馬車を見送ることしか出来ずに、私はぽつんと取り残された。
大きな館の前に立つ小さな私。まるで捨て猫のような気分だった。
ふと屋敷の方から足音が聞こえ、玄関から年配の女性が出てきた。厳格な表情で、灰色の制服を着た人物。彼女は私を見つけると、眉を寄せてゆっくりと近づいてきた。
「どちら様ですか?」
彼女の視線は冷たく、まるで不法侵入者を見るかのようだった。私は背筋を伸ばし、声が震えないように努めた。
「はじめまして。私、エレノア・ヴァンローゼと申します」
「ヴァンローゼ家の……」
彼女は私を上から下まで観察した。その目は私の古びた服、小さな荷物、それから緊張した表情をじっくりと見定めている。まるで値踏みされているようだった。
「はい。妹のヴィヴィアンに代わってエドモンド様の婚約者になり、お世話するように言われて参りました」
侍女は眉を寄せた。
「なるほど。話は聞いております。ですが……」
彼女はもう一度、私を見回した。その目に疑いの色が濃くなる。
「お供の方は、いないのですか?」
「はい、いません」
「お一人で?」
「そうです」
侍女長は困惑したように首を傾げた。まるで信じられないという表情だった。
「荷物は?」
「はい、ここにあります」
私は手に持った小さな鞄を見せた。ヴァンローゼ家で与えられた数少ない私物を詰め込んだだけのものだ。
「たった、それだけ……?」
その声には、驚きと同時に何かの感情――憐れみのようなものが混じっていた。
「申し訳ありません」
私は反射的に謝った。侍女は数秒間黙り込み、何かを考えているようだった。やがて彼女は小さくため息をつき、表情を和らげた。
「わかりました。とりあえず、どうぞこちらへ」
「はい。失礼します」
良かった。屋敷に招き入れてもらえた安堵感で、緊張が少し解けた。
「お荷物、お持ちします」
侍女が手を差し出す。
「で、ですが……!」
「大丈夫です。そんなに少ないのですから」
彼女の表情に、皮肉ではなく優しさが見えた気がした。
「そうですか。では、お任せします」
私は鞄を彼女に渡した。こんな風に扱われることに慣れていない私は、どこか落ち着かなかった。
屋敷の中に入ると、その荘厳さに息をのんだ。高い天井、磨き上げられた大理石の床、壁に飾られた肖像画の数々。すべてが洗練され、美しく整えられていた。うちと全然違う。
「エドモンド様に、エレノア様が無事に到着したと伝えてきて。それから、荷物の運び込みは必要なくなったから。私は、彼女を案内する」
侍女は廊下で出会った若い侍女に指示を出した。若い侍女は驚いたように私を一瞥し、「かしこまりました」と言って急いで去っていった。もしかしたら、彼女は侍女長なのかもしれない。偉い立場の人だった。
「エレノア様、こちらに」
「はい」
長い廊下を進み、いくつもの扉を通り過ぎる。窓からは美しく手入れされた庭園が見えた。ヴァンローゼ家とは違い、ここには温かさが感じられる。
やがて侍女長はある部屋の前で立ち止まり、扉を開けた。
「どうぞ」
中に入ると、そこは広々とした衣装部屋だった。壁には美しいドレスがいくつも掛けられ、鏡台が置かれている。
侍女長は扉を閉め、真剣な表情で私を見つめた。
「その格好で、エドモンド様に会うことは許されません」
突然の言葉に、私は自分の服装を見下ろし、恥ずかしさで顔が熱くなった。黒ずんだ色、端がほつれた袖、安っぽい生地。確かに侯爵家の令嬢として、あまりにもみすぼらしい。
「あ! も、申し訳、ありません」
侍女長は首を横に振った。
「謝る必要はありません。着替えを用意します」
「えっ?」
そう言って彼女は、いくつかのドレスを取り出した。どれも上質な生地で、美しい刺繍が施されている。
「これに着替えます。よろしいですか?」
手に持った淡い青のドレスは、私が今まで見たことのないような美しさだった。
「で、でも。こんなキレイな服を借りるわけには……」
「気にしないで下さい。ここにおいてある服は、予備なので。自由に扱っていいという許可も頂いてます。貴女が気にする必要はありません」
「は、はい……」
私は戸惑いながらも、うなずいた。侍女長は扉を開け、廊下で待機していた若い侍女たちを呼び入れた。
「あの、着替えは、一人でも大丈夫です」
私は慌てて言った。人に服を脱がされるなど、考えただけで恥ずかしい。
「駄目です。お手伝いします」
そう言って、侍女長と若い侍女たちは手際よく私の服を脱がせ始めた。
「あ……」
私の古い服が床に落ちると、侍女たちの間から小さな驚きの声が漏れた。骨が浮き出るほど痩せこけた体。十分な食事を与えられなかった日々の痕跡。醜い、こんな姿を見せてしまったことが恥ずかしい。
侍女長の目が一瞬だけ鋭くなり、すぐに気を取り直したように新しいドレスに着替えさせてくれた。
「ここに手を通して」
「はい」
あっという間に、私は新しいドレスを身につけていた。肌触りの良い生地が体を包み、軽やかな感覚に驚く。
若い侍女たちは私の髪を整え、肌を磨き、わずかながら化粧も施してくれた。一連の作業があっという間に終わると、侍女長は大きな姿見の前に私を立たせた。
「どうぞ、ご覧ください」
鏡に映ったのは、知らない女性だった。
淡い青のドレスに身を包み、髪は柔らかく上品に整えられている。肌は清潔に輝き、顔のラインも美しく見える。私は自分の姿に息を呑んだ。
「これが……、私?」
思わず声をあげてしまった。侍女長は満足そうに微笑んだ。
「はい、エレノア様。これが本来のお姿です」
彼女の声には、敬意が込められていた。
私――エレノア・ヴァンローゼは、膝の上で握りしめた手をじっと見つめた。爪が白くなるほど強く握っている。緊張と不安で、胸が締め付けられるようだった。未知に対する不安があった。
「どうなるのでしょう……」
馬車の中で、私はため息をついた。思いがけず、ヴァンローゼ家から解放されるチャンスが訪れたことは嬉しい。でも、これからどんな境遇が待っているのか想像もつかない。
妹の押し付けで婚約者になった私。相手のウィンターフェイド家は、本当に私を受け入れてくれるのだろうか。それとも、邪魔者として扱われるのだろうか。
馬車は揺れながら進み、やがて森を抜け、広大な丘陵地帯に出た。午後の陽光が麦畑を黄金色に染めている。とても立派な光景に、少し見惚れる。
「もうすぐ着きます。ウィンターフェイド侯爵家の領地です」
御者の声が聞こえた。遠くに見えるのは、威厳ある石造りの大きな屋敷。あれが、ウィンターフェイド家の邸宅だ。
丘の上に建つその館は、ヴァンローゼ家よりも広く、そして荘厳だった。主塔の尖塔が空に向かって伸び、日の光を受けて輝いている。
馬車は石畳の道を進み、屋敷の前で停まった。
「到着しました。お降りください」
到着してしまった。御者の声に、私は深呼吸をして心を落ち着かせた。
「はい」
馬車から降りると、御者は私の小さな荷物を地面に下ろし、すぐに馬に鞭を入れて馬車を発進させた。あっという間に遠ざかっていく馬車を見送ることしか出来ずに、私はぽつんと取り残された。
大きな館の前に立つ小さな私。まるで捨て猫のような気分だった。
ふと屋敷の方から足音が聞こえ、玄関から年配の女性が出てきた。厳格な表情で、灰色の制服を着た人物。彼女は私を見つけると、眉を寄せてゆっくりと近づいてきた。
「どちら様ですか?」
彼女の視線は冷たく、まるで不法侵入者を見るかのようだった。私は背筋を伸ばし、声が震えないように努めた。
「はじめまして。私、エレノア・ヴァンローゼと申します」
「ヴァンローゼ家の……」
彼女は私を上から下まで観察した。その目は私の古びた服、小さな荷物、それから緊張した表情をじっくりと見定めている。まるで値踏みされているようだった。
「はい。妹のヴィヴィアンに代わってエドモンド様の婚約者になり、お世話するように言われて参りました」
侍女は眉を寄せた。
「なるほど。話は聞いております。ですが……」
彼女はもう一度、私を見回した。その目に疑いの色が濃くなる。
「お供の方は、いないのですか?」
「はい、いません」
「お一人で?」
「そうです」
侍女長は困惑したように首を傾げた。まるで信じられないという表情だった。
「荷物は?」
「はい、ここにあります」
私は手に持った小さな鞄を見せた。ヴァンローゼ家で与えられた数少ない私物を詰め込んだだけのものだ。
「たった、それだけ……?」
その声には、驚きと同時に何かの感情――憐れみのようなものが混じっていた。
「申し訳ありません」
私は反射的に謝った。侍女は数秒間黙り込み、何かを考えているようだった。やがて彼女は小さくため息をつき、表情を和らげた。
「わかりました。とりあえず、どうぞこちらへ」
「はい。失礼します」
良かった。屋敷に招き入れてもらえた安堵感で、緊張が少し解けた。
「お荷物、お持ちします」
侍女が手を差し出す。
「で、ですが……!」
「大丈夫です。そんなに少ないのですから」
彼女の表情に、皮肉ではなく優しさが見えた気がした。
「そうですか。では、お任せします」
私は鞄を彼女に渡した。こんな風に扱われることに慣れていない私は、どこか落ち着かなかった。
屋敷の中に入ると、その荘厳さに息をのんだ。高い天井、磨き上げられた大理石の床、壁に飾られた肖像画の数々。すべてが洗練され、美しく整えられていた。うちと全然違う。
「エドモンド様に、エレノア様が無事に到着したと伝えてきて。それから、荷物の運び込みは必要なくなったから。私は、彼女を案内する」
侍女は廊下で出会った若い侍女に指示を出した。若い侍女は驚いたように私を一瞥し、「かしこまりました」と言って急いで去っていった。もしかしたら、彼女は侍女長なのかもしれない。偉い立場の人だった。
「エレノア様、こちらに」
「はい」
長い廊下を進み、いくつもの扉を通り過ぎる。窓からは美しく手入れされた庭園が見えた。ヴァンローゼ家とは違い、ここには温かさが感じられる。
やがて侍女長はある部屋の前で立ち止まり、扉を開けた。
「どうぞ」
中に入ると、そこは広々とした衣装部屋だった。壁には美しいドレスがいくつも掛けられ、鏡台が置かれている。
侍女長は扉を閉め、真剣な表情で私を見つめた。
「その格好で、エドモンド様に会うことは許されません」
突然の言葉に、私は自分の服装を見下ろし、恥ずかしさで顔が熱くなった。黒ずんだ色、端がほつれた袖、安っぽい生地。確かに侯爵家の令嬢として、あまりにもみすぼらしい。
「あ! も、申し訳、ありません」
侍女長は首を横に振った。
「謝る必要はありません。着替えを用意します」
「えっ?」
そう言って彼女は、いくつかのドレスを取り出した。どれも上質な生地で、美しい刺繍が施されている。
「これに着替えます。よろしいですか?」
手に持った淡い青のドレスは、私が今まで見たことのないような美しさだった。
「で、でも。こんなキレイな服を借りるわけには……」
「気にしないで下さい。ここにおいてある服は、予備なので。自由に扱っていいという許可も頂いてます。貴女が気にする必要はありません」
「は、はい……」
私は戸惑いながらも、うなずいた。侍女長は扉を開け、廊下で待機していた若い侍女たちを呼び入れた。
「あの、着替えは、一人でも大丈夫です」
私は慌てて言った。人に服を脱がされるなど、考えただけで恥ずかしい。
「駄目です。お手伝いします」
そう言って、侍女長と若い侍女たちは手際よく私の服を脱がせ始めた。
「あ……」
私の古い服が床に落ちると、侍女たちの間から小さな驚きの声が漏れた。骨が浮き出るほど痩せこけた体。十分な食事を与えられなかった日々の痕跡。醜い、こんな姿を見せてしまったことが恥ずかしい。
侍女長の目が一瞬だけ鋭くなり、すぐに気を取り直したように新しいドレスに着替えさせてくれた。
「ここに手を通して」
「はい」
あっという間に、私は新しいドレスを身につけていた。肌触りの良い生地が体を包み、軽やかな感覚に驚く。
若い侍女たちは私の髪を整え、肌を磨き、わずかながら化粧も施してくれた。一連の作業があっという間に終わると、侍女長は大きな姿見の前に私を立たせた。
「どうぞ、ご覧ください」
鏡に映ったのは、知らない女性だった。
淡い青のドレスに身を包み、髪は柔らかく上品に整えられている。肌は清潔に輝き、顔のラインも美しく見える。私は自分の姿に息を呑んだ。
「これが……、私?」
思わず声をあげてしまった。侍女長は満足そうに微笑んだ。
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