君が選ぶやり直し

氷高 ノア

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第二章

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 自分の直感に従って、私は駅を降り、改札を出た。高校の最寄り駅から一時間近くも離れた場所にあり、古い平屋の家が続いたり、畑などもいくつか見えると、かなり田舎を感じさせられる。
 そんな中で、十分ほど歩くと、可愛らしい幼稚園のような施設が見えてきた。私は門を開けて入ろうとするも、施錠されているからか開けることができない。
 どうやって入っていたのだろう。鍵は持っていただろうか。
 鞄の中を漁っていると、三十代くらいの女性が一人、建物の扉から顔を出し、呆れ顔で近づいてきた。
「絵美ちゃん、今何時?」
 重さを含む言葉だったが、私を知っているのだろう。スマホの画面を横目で見ると、十九時十五分だった。
「十九時十五分です」
「そうだよね? 前にも言ったよね。花の園では高校生は十九時までの門限だって。だから色々言われるんだよ?」
 はあ、とあからさまに大きなため息をつかれる。それでも仕方なしに、施錠していた鍵を開けてくれた。
 私が入ると、女性はすぐに鍵を閉め、施設内へと入るよう促してくる。
 いや、そもそも誰? どうして赤の他人にそんなことを言われないといけないのだろう。母はいないはずなのに、これでは以前と変わらない。
 不満感が募りながらも、私は何も言わず中に入った。玄関は広々としており、すぐ隣に受付のような窓があった。少し離れたところから、何人もの声が聞こえてくる。
 靴を脱いで上がってすぐに、廊下をバタバタと走ってくる音がこちらに近づいてきた。見ると、小学校高学年くらいの男の子二人だった。
 手前を走るのが黒い服の男の子。後ろからそれを追いかけているのは短髪の男の子だった。そして、ちょうど目の前で、背後から来た短髪が、前の子の首の根を捕まえた。その瞬間、前の子は後頭部から床に倒れる。ゴンッと鈍い音が聞こえた。
「ってぇな!」
 転んだ黒い服の男の子が、床の上で回転し、短髪の子の足を思い切り蹴る。短髪の子は一瞬眉間に皺を寄せ、歯を食いしばるような様子で、固く握りしめた拳を黒い服の子に向けた。
 まずい……!
 そう思った瞬間、「こらぁ!」と大きな声が、玄関に響き渡る。門を開けてくれた女性が、外靴のまま、短髪の男の子の体を抑えに行き、二人を引き離した。
「やめなさい! また喧嘩して! 何があったのか知らないけど、手を出すのだけは絶対駄目っていつも言ってるでしょう!」
 それでも短髪の子は、黙って黒い服の子に殴りかかろうとしていた。その表情は苦しそうで、反対に黒い服の子は、右口角が少し上がっていた。
「どうした」
 反対側の廊下から、男性職員らしき人が走ってきて、女性と同じく短髪の子の手を止める。すると、さすがに大人の男性の力には敵わないと思ったのか、彼は拳を下ろしたのだが……。
「うああああああああ!!」
 短髪の男の子はけたたましい叫び声を上げた。彼の視線は、黒い服の子一点に注がれている。
 二人の職員は、宥めるように、短髪の男の子の背中に手を回して、別室へと連れて行った。残された黒い服の男の子に、「レンも後で呼ぶからな」と言い残して。
 今までの暮らしとは全く違う、異様な出来事を目の前にして、完全に体が固まってしまった。
 一体何なのだここは。あの子は何をしたかったのだろう。なぜ何も言わなかったのだろう。叫ぶことはできるのに。
 すると、「レン」と呼ばれた黒い服の男の子が私に気づき、明らかに悪意を含んだ笑みを浮かべながら、すっと立ち上がった。
「絵美じゃん! みんな、絵美がまた門限破って帰ってきたぞ~!」
 大きな声ではしゃぎながら、レンは奥の部屋に駆けて行った。すると、すぐに野次馬たちが現れる。
「なんだ、帰ってきたんだー。帰って来なくていいのに」
「おいやめろって、またぶっ飛ばされて骨折られるぞ。ははっ」
「うぇーい、頭悪い暴力女、さっさと部屋に閉じこもっとけ!」
 そう発言するのは、ほとんどが小中学生くらいの男の子だった。後ろから何かと見に来た、小学校低学年から中学生ほどの女の子たちは、私の顔を確認した後、逃げるように元の部屋へと戻って行く。
 この状況の意味が全くわからなかった。
 なぜ、私は今、見ず知らずの子供に暴言を吐かれているのだろう。私が何をしたと言うのだろうか。
「見ろよ、やっぱり何も言わないな! 図星なんだよ!」
 一人がそう言うと、どっと笑いが弾けた。同じ笑いでも、高羅や麻仲が笑うのとは全く違う。カチンときて、私も言い返してやろうと思った。
 だが、なぜか私は言葉が喉の奥に引っかかって、出てこなかった。
 どうしてだろうか。私は思ったことを口にできる人になれたはずなのに。
「さっさと出て行けよ。お前のことを家族と思ってるやつなんて、誰もいねぇから」
 へへっと笑うレンの顔を見て、思わず腕を振り上げてしまった。
 その瞬間、焦ったように身をのけ反り、散々言い放っていた男の子たちは、笑いながら一斉にどこかの部屋へと走って逃げて行く。
 行き場のない怒りがこもったこの拳を、どうしたら良いかわからず、すぐ隣の白い壁をドンッと思い切り叩いた。
 そこでようやく気がついた。別室に連れて行かれた男の子は、自分の気持ちを言わなかったのではなく、言えなかったのだ。
 上手く言葉にできないから、代わりに手を使い表現してしまう。その理由はわからないが、性格の問題だったり、過去の出来事なども関係しているのかもしれない。あとは、同じ施設育ちの兄弟だとしても、流れている血は赤の他人だから、という理由もあるのだろうか。
 私はそのまま壁にもたれて、ずるずると座り込んだ。
 私のことを家族だと思っている人は誰もいないと言っていたが、私だって、あのような子たちのこと、家族だと思ってなんかいない。だって私の家族は……。
 そう考えて、母との喧嘩を思い出した。本気で思いをぶつけ合い、泣いてでも言葉を投げ続けた。
 それができたのは、家族だったからだろうか。無意識のうちに信頼していたのだろうか。それとも、本気で嫌いだったからか。
 母のことなど、これっぽっちも気にしていなかったのに、今になって突然、心に細い針で穴を開けられたような心地になる。
 寂しくなんかない。ただ少し、新しい世界に馴染めなくて違和感を感じているだけだ。きっとそうだ。だから大丈夫。
 明日になれば、高羅が癒してくれる。麻仲にも連絡してみよう。
 私はゆっくりと立ち上がり、階段に一段ずつ足をかけていく。ほとんど無意識だったが、自分の部屋へと向かっていた。この世界を生きた記憶はなくとも、体は覚えているのかもしれない。
 だが、生前の記憶が強いせいか、どうしても自分の居場所だとは思えず、苦しくなる。家は帰りたくない場所という事実は、生前と同じだった。
 だが、おかしなことに、今は帰りたくて仕方がない。どこへかは自分でもわからなかったが、帰ってきたはずの家で、無性にそう思ってしまった。
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