君が選ぶやり直し

氷高 ノア

文字の大きさ
21 / 25
第六章

2

しおりを挟む

 ほどなくして、彼は参考書を手に持ちながら現れた。相変わらず高身長で顔が整っており、見ているだけで癒される。
 もちろん、それは内面の良さも知っているが故の話だが。
「ごめん、待たせたよね」
「全然! 部活終わりなのに来てくれてありがとう」
 忙しい中、自分に時間を割いてくれることが本当にありがたくて胸に染みる。
 今日行くところは決まっていた。ずっと行ってみたかったところだ。
 もうその香りは、集合場所に立っているだけでも漂ってくる。
「お腹すいてると思うし、行こうか!」
 私は高羅の手を取る。一瞬驚いた表情でいた高羅だが、反対の手ですぐに参考書を鞄に仕舞い、歩き出した。
 徒歩数十秒の距離の店の前に立ち、扉を引く。食べる前からそそられる、あの香ばしい肉の香りが体中を包み込むかのように流れてきた。
「らっしゃいませー!」
 元気よく響く声と共に、ジューっと肉が焼かれる音が広がる。
「あ、ここだったの?」
 高羅は拍子抜けしたように私を見つめた。
「うん、ずっと来てみたかったの!」
 ネットでも調べてみたが、ここは個人経営で店長のサービス精神が旺盛なステーキ店らしかった。
 駅構内ということもあり、狭い店内ではあるが、今日はたまたま奥のテーブル席が空いていたようで、すぐに店員に案内される。
 仕事帰りらしきスーツのおじさんが、汗をかきながら美味しそうに肉を頬張る姿や、大人の女性たちが綺麗なネイルを触りつつ、会社の愚痴を漏らして、食事が届くのを待っている様子など、それぞれの人生の一場面が見えた気がした。
 二人で席につき、メニュー表を広げる。品数は少なかったが、どれも豪華で美味しそうな商品ばかりだった。
 それぞれ迷うことなくすぐに決まり、店員を呼ぶ。
「ガッツリ鉄板ヒレステーキと、サーロインステーキをお願いします」
 高羅がそつなく頼んでくれ、私はそれを微笑ましく眺めていた。店員が確認し、去っていった後、ありがとうと伝えると、高羅はなんて事ないように笑ってくれる。
 食事が届くまでは、たわいない雑談を重ねた。その日学校であったこと。勉強面でのわからない範囲。化学の授業の先生の話し方が独特で、授業の理解に苦しんでいること。施設であったレンやアミちゃんとの出来事。もうすぐサッカーの試合があることなど。
 そんなことを話しているうちに、熱々の鉄板が運ばれてきて、互いの顔が湯気に包まれる。
 分厚い肉は、メニュー表に記載されたグラム数よりも遥かに多く見えた。
 二人で感動しながら紙エプロンをつけ、「いただきます」と呟き、ナイフを入れる。すうっと裂けた肉は、食べる前から柔らかさを感じられる弾力で、美しい赤身が顔を見せた。
「見て!」と綺麗な断面を見せたあと、口の中に放り込む。
 舌の上でとろけていく食感に、思わず頬が緩んだ。そんな私の表情を見てか、高羅も微笑みつつ、一口サイズに切った自分のステーキを食べた。
「あっつ!」
 ほふほふと口を開けながら、眉間に皺を寄せる高羅に既視感を抱く。
 そういえば、生前の今日も、同じように猫舌を発揮していたと思い出しながら、冷たい水を渡した。
 それを一気に飲む高羅の目は潤んでおり、弱々しい子犬を思い起こさせる。
「もう、大丈夫?」
 犬か猫か、どちらかにしてほしいものだ。どちらの要素も持ち合わせているだなんて、本当に可愛すぎてこちらの心臓がもたない。
 高羅はそれを飲み込んだあと、絞り出したかのような声で「大丈夫」と呟いた。
 どこが大丈夫なのかと思うほど、苦しそうな表情をしており、笑ってしまう。
 それからしばらく、ステーキ全体を手で仰いだり、細かく切って冷ましているところも面白かった。余程熱かったのだろう。そんな姿も、全て好きだと思った。
 ようやく湯気が落ち着いたため、高羅も食事を続ける。熱々でないと味が落ちているのではと思ったが、高羅は先程よりも満足気な表情で肉を噛み締めていた。

「は~! 満たされた!」
 私は膨れ上がったお腹を擦りながらそう言った。かなりボリューミーで最後の方は苦戦していたが、高羅が気遣って私の分も少し食べてくれたことにより、何とかお皿の上のものはなくすことができた。
 部活終わりの男子の胃でも満たされるほどだったらしく、高羅も同様に心地の良いため息をついていた。
「毎日部活大変なのに、来てくれてありがとうね」
 鎖骨までの短い髪を耳にかけながら私が言うと、高羅は少し照れくさそうに目を逸らした。
「全然。寧ろ誘ってくれて嬉しかったよ。そうだ、最近はどう? 何か悩んだりしてない?」
 高羅の顔には、心配という文字が浮かんでいるように見える。そんなにも気にかけてもらえる存在であることに喜びを感じながらも、安心させなければと思い直して私は言った。
「大丈夫だよ。高羅と行きたいところにもたくさん行けて、一緒の時間を過ごすことができているから」
 悩みがないわけではない。それでも高羅に心配をかけたくなくてそう言った。
 今は高羅と楽しい時間を過ごしたいのだから。
「そっか。それなら良かった」
 察してもらえないことに怒る女性は多いが、今の私にとっては有難かった。
「本当にいつも気にかけてくれるね。そういう優しいところ好き」
 高羅は一瞬目を丸くして、照れくさそうに「ありがとう」と頷いた。
 私も言った途端、恥ずかしくなって口元を押さえる。それでも今日は思ったことを素直に言うと決めたんだ。
「本当にね、高羅がいなかったら私どうしていただろうって思うの。こんなに人を好きになったこと、今までなかったんだよ?」
 胸の内から、熱いものが溢れ出す。心臓から涙が込み上げてくるような感覚だった。
 ムードも何もない、ただのステーキ屋でそんなことを言う私は少し変わっているのだろうけれど、高校でも浮いた生活を送っている私なのだ。これが私だ。
「絵美さんはさ……本当に褒め上手だよね」
 高羅は俯いてそう言った。
 どういう事だろうか。まるでお世話はいらないと言われた気がして、私は焦る。
「嘘じゃないよ!? これは私の本心なの。高羅がいてくれたから、私は生きたいと思ったし、全力で生きることができた。友達付き合いも上手くいかない、勉強もついていけない高校生活も、高羅に出会うために自分で選んだんだと思ったら、希望を感じられた。こんなにもずっと一緒にいたいと思える人、他にいないんだよ。私にとって、高羅は唯一無二の宝物なの」
 幸い周りも騒がしく、私が大声を出しても大して気にも止められない。
 高羅は目線だけを少し上げた。私の思いが伝わってほしいと、高羅を見つめながら必死に祈った。
「僕はさ……そんなにできた人間じゃないんだよ」
 自信なさげに、高羅は言った。
 私から見ると完璧すぎる高羅に対し、「どこが?」と尋ねたくなる気持ちをぐっと抑えて、高羅の本心を探る。
 何となく、「自分はできた人間じゃない」ということを伝えたいわけではないと感じたのだ。
 私や母以外にも、思いの伝え方が不器用な人は多いのかもしれない。
「……期待されたら重いってこと?」
 高羅の立場になって考えて、出た答えはそれだった。
 気づかぬうちに、私の愛情表現が負担になっていたのかもしれないと思うと、心苦しくなる。
 だが、高羅は目を伏せて首を横に振った。
「その気持ちが全くないと言ったら嘘になるけど、少し違う。自分はそんなにできた人間じゃないのに、そんな風に好いてくれる絵美さんが綺麗すぎて、自分には勿体ないくらいで。絵美さんがたくさんの言葉をくれる度に、どれだけ僕に響いているか、絵美さんは全然わかってないんだよ……」
 口元に手を添えてそう言う高羅は、ぼんやりとしたオレンジ色のライトの下でもわかるほど、紅潮している。
 一瞬、理解するのに時間を要した。
「え? それってつまり……?」
 高羅を見つめているうちに、顔色が伝染してきたのか、熱くなる。これはステーキを食べたせいだと思い込ませようとしたが、もはや手遅れだった。
「ずっと人を好きになれなかったのに、今ではこれでもかってくらい、絵美さんのことが好きってこと。唯一無二だと思っているのは、絵美さんだけじゃないってこと!」
 最後はツンデレのように言い放つ高羅。
 ああ、なんて幸せなんだろう。自分の好きな人にこんなにも想われているだなんて、幸せすぎて死んでしまいそうだ。
 言葉が出なくて、私は手のひらで顔を覆う。
 生前であれば、付き合ってからの一ヶ月では、これほどまでの関係には行きついていなかった。
 きっと、私が全力で生きると決めたからだ。そう決意してからの一ヶ月間、私が本心で向き合い続け、言葉をかけたことにより、高羅との関係をより深めることができたのかもしれない。
 いつ終わりを迎えるかわからない人生を、どれほど大切に生きるかで、これほど変わるのかと自分でも驚いた。
「ありがとう……ありがとう高羅。私は世界一の幸せ者だよ」
 全力で生きると決めて良かった。この選択はきっと正しかったのだ。
 気がつくと、涙が頬を流れていた。
 高羅はそっと手を伸ばし、私の頭に触れる。ガラスを扱うかのように優しく撫でるその手は、まるで親が子をあやすかのように、温もりに溢れていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。

ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。 彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。 婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。 そして迎えた学園卒業パーティー。 ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。 ガッツポーズを決めるリリアンヌ。 そのままアレックスに飛び込むかと思いきや―― 彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を

花籠しずく
キャラ文芸
 ――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。  月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。  帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。 「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」  これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。 ※R-15っぽいゆるい性描写があります。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...