君が選ぶやり直し

氷高 ノア

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第六章

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 ほどなくして、彼は参考書を手に持ちながら現れた。相変わらず高身長で顔が整っており、見ているだけで癒される。
 もちろん、それは内面の良さも知っているが故の話だが。
「ごめん、待たせたよね」
「全然! 部活終わりなのに来てくれてありがとう」
 忙しい中、自分に時間を割いてくれることが本当にありがたくて胸に染みる。
 今日行くところは決まっていた。ずっと行ってみたかったところだ。
 もうその香りは、集合場所に立っているだけでも漂ってくる。
「お腹すいてると思うし、行こうか!」
 私は高羅の手を取る。一瞬驚いた表情でいた高羅だが、反対の手ですぐに参考書を鞄に仕舞い、歩き出した。
 徒歩数十秒の距離の店の前に立ち、扉を引く。食べる前からそそられる、あの香ばしい肉の香りが体中を包み込むかのように流れてきた。
「らっしゃいませー!」
 元気よく響く声と共に、ジューっと肉が焼かれる音が広がる。
「あ、ここだったの?」
 高羅は拍子抜けしたように私を見つめた。
「うん、ずっと来てみたかったの!」
 ネットでも調べてみたが、ここは個人経営で店長のサービス精神が旺盛なステーキ店らしかった。
 駅構内ということもあり、狭い店内ではあるが、今日はたまたま奥のテーブル席が空いていたようで、すぐに店員に案内される。
 仕事帰りらしきスーツのおじさんが、汗をかきながら美味しそうに肉を頬張る姿や、大人の女性たちが綺麗なネイルを触りつつ、会社の愚痴を漏らして、食事が届くのを待っている様子など、それぞれの人生の一場面が見えた気がした。
 二人で席につき、メニュー表を広げる。品数は少なかったが、どれも豪華で美味しそうな商品ばかりだった。
 それぞれ迷うことなくすぐに決まり、店員を呼ぶ。
「ガッツリ鉄板ヒレステーキと、サーロインステーキをお願いします」
 高羅がそつなく頼んでくれ、私はそれを微笑ましく眺めていた。店員が確認し、去っていった後、ありがとうと伝えると、高羅はなんて事ないように笑ってくれる。
 食事が届くまでは、たわいない雑談を重ねた。その日学校であったこと。勉強面でのわからない範囲。化学の授業の先生の話し方が独特で、授業の理解に苦しんでいること。施設であったレンやアミちゃんとの出来事。もうすぐサッカーの試合があることなど。
 そんなことを話しているうちに、熱々の鉄板が運ばれてきて、互いの顔が湯気に包まれる。
 分厚い肉は、メニュー表に記載されたグラム数よりも遥かに多く見えた。
 二人で感動しながら紙エプロンをつけ、「いただきます」と呟き、ナイフを入れる。すうっと裂けた肉は、食べる前から柔らかさを感じられる弾力で、美しい赤身が顔を見せた。
「見て!」と綺麗な断面を見せたあと、口の中に放り込む。
 舌の上でとろけていく食感に、思わず頬が緩んだ。そんな私の表情を見てか、高羅も微笑みつつ、一口サイズに切った自分のステーキを食べた。
「あっつ!」
 ほふほふと口を開けながら、眉間に皺を寄せる高羅に既視感を抱く。
 そういえば、生前の今日も、同じように猫舌を発揮していたと思い出しながら、冷たい水を渡した。
 それを一気に飲む高羅の目は潤んでおり、弱々しい子犬を思い起こさせる。
「もう、大丈夫?」
 犬か猫か、どちらかにしてほしいものだ。どちらの要素も持ち合わせているだなんて、本当に可愛すぎてこちらの心臓がもたない。
 高羅はそれを飲み込んだあと、絞り出したかのような声で「大丈夫」と呟いた。
 どこが大丈夫なのかと思うほど、苦しそうな表情をしており、笑ってしまう。
 それからしばらく、ステーキ全体を手で仰いだり、細かく切って冷ましているところも面白かった。余程熱かったのだろう。そんな姿も、全て好きだと思った。
 ようやく湯気が落ち着いたため、高羅も食事を続ける。熱々でないと味が落ちているのではと思ったが、高羅は先程よりも満足気な表情で肉を噛み締めていた。

「は~! 満たされた!」
 私は膨れ上がったお腹を擦りながらそう言った。かなりボリューミーで最後の方は苦戦していたが、高羅が気遣って私の分も少し食べてくれたことにより、何とかお皿の上のものはなくすことができた。
 部活終わりの男子の胃でも満たされるほどだったらしく、高羅も同様に心地の良いため息をついていた。
「毎日部活大変なのに、来てくれてありがとうね」
 鎖骨までの短い髪を耳にかけながら私が言うと、高羅は少し照れくさそうに目を逸らした。
「全然。寧ろ誘ってくれて嬉しかったよ。そうだ、最近はどう? 何か悩んだりしてない?」
 高羅の顔には、心配という文字が浮かんでいるように見える。そんなにも気にかけてもらえる存在であることに喜びを感じながらも、安心させなければと思い直して私は言った。
「大丈夫だよ。高羅と行きたいところにもたくさん行けて、一緒の時間を過ごすことができているから」
 悩みがないわけではない。それでも高羅に心配をかけたくなくてそう言った。
 今は高羅と楽しい時間を過ごしたいのだから。
「そっか。それなら良かった」
 察してもらえないことに怒る女性は多いが、今の私にとっては有難かった。
「本当にいつも気にかけてくれるね。そういう優しいところ好き」
 高羅は一瞬目を丸くして、照れくさそうに「ありがとう」と頷いた。
 私も言った途端、恥ずかしくなって口元を押さえる。それでも今日は思ったことを素直に言うと決めたんだ。
「本当にね、高羅がいなかったら私どうしていただろうって思うの。こんなに人を好きになったこと、今までなかったんだよ?」
 胸の内から、熱いものが溢れ出す。心臓から涙が込み上げてくるような感覚だった。
 ムードも何もない、ただのステーキ屋でそんなことを言う私は少し変わっているのだろうけれど、高校でも浮いた生活を送っている私なのだ。これが私だ。
「絵美さんはさ……本当に褒め上手だよね」
 高羅は俯いてそう言った。
 どういう事だろうか。まるでお世話はいらないと言われた気がして、私は焦る。
「嘘じゃないよ!? これは私の本心なの。高羅がいてくれたから、私は生きたいと思ったし、全力で生きることができた。友達付き合いも上手くいかない、勉強もついていけない高校生活も、高羅に出会うために自分で選んだんだと思ったら、希望を感じられた。こんなにもずっと一緒にいたいと思える人、他にいないんだよ。私にとって、高羅は唯一無二の宝物なの」
 幸い周りも騒がしく、私が大声を出しても大して気にも止められない。
 高羅は目線だけを少し上げた。私の思いが伝わってほしいと、高羅を見つめながら必死に祈った。
「僕はさ……そんなにできた人間じゃないんだよ」
 自信なさげに、高羅は言った。
 私から見ると完璧すぎる高羅に対し、「どこが?」と尋ねたくなる気持ちをぐっと抑えて、高羅の本心を探る。
 何となく、「自分はできた人間じゃない」ということを伝えたいわけではないと感じたのだ。
 私や母以外にも、思いの伝え方が不器用な人は多いのかもしれない。
「……期待されたら重いってこと?」
 高羅の立場になって考えて、出た答えはそれだった。
 気づかぬうちに、私の愛情表現が負担になっていたのかもしれないと思うと、心苦しくなる。
 だが、高羅は目を伏せて首を横に振った。
「その気持ちが全くないと言ったら嘘になるけど、少し違う。自分はそんなにできた人間じゃないのに、そんな風に好いてくれる絵美さんが綺麗すぎて、自分には勿体ないくらいで。絵美さんがたくさんの言葉をくれる度に、どれだけ僕に響いているか、絵美さんは全然わかってないんだよ……」
 口元に手を添えてそう言う高羅は、ぼんやりとしたオレンジ色のライトの下でもわかるほど、紅潮している。
 一瞬、理解するのに時間を要した。
「え? それってつまり……?」
 高羅を見つめているうちに、顔色が伝染してきたのか、熱くなる。これはステーキを食べたせいだと思い込ませようとしたが、もはや手遅れだった。
「ずっと人を好きになれなかったのに、今ではこれでもかってくらい、絵美さんのことが好きってこと。唯一無二だと思っているのは、絵美さんだけじゃないってこと!」
 最後はツンデレのように言い放つ高羅。
 ああ、なんて幸せなんだろう。自分の好きな人にこんなにも想われているだなんて、幸せすぎて死んでしまいそうだ。
 言葉が出なくて、私は手のひらで顔を覆う。
 生前であれば、付き合ってからの一ヶ月では、これほどまでの関係には行きついていなかった。
 きっと、私が全力で生きると決めたからだ。そう決意してからの一ヶ月間、私が本心で向き合い続け、言葉をかけたことにより、高羅との関係をより深めることができたのかもしれない。
 いつ終わりを迎えるかわからない人生を、どれほど大切に生きるかで、これほど変わるのかと自分でも驚いた。
「ありがとう……ありがとう高羅。私は世界一の幸せ者だよ」
 全力で生きると決めて良かった。この選択はきっと正しかったのだ。
 気がつくと、涙が頬を流れていた。
 高羅はそっと手を伸ばし、私の頭に触れる。ガラスを扱うかのように優しく撫でるその手は、まるで親が子をあやすかのように、温もりに溢れていた。

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