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第二章 針の筵の婚約者編
穏やかな日々
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あれから取り立てて何事もなく、私は平穏無事に妊婦生活を続けていた。それが、この伏魔殿とも言えるウォルト公爵邸においては、どれだけ貴重な事か。
マミーもリバージュ様付きのメイドたちもとても優しく、他の使用人たちによる嫌がらせにも即座に対応してくれる。ネメシス様の回し者たちは露骨に拒絶しては怪しまれると、程々の頻度で用事を言い付けたり(他のメイドとセットで)部屋に入れたりなどしてやり過ごしていた。
中でも変わったのは、チャールズ様との距離だと思う。魔法の鍵の力を知ってから、彼は度々部屋を訪れていた。マックウォルト先生の診察時だけでなく、たまに仕事の書類を持ち込んできたりする。そんな時、クララが淹れたお茶を飲みながら会話を交わすのだ。
チャールズ様はどうやら、私の遺産の事はカーク殿下には報告していないようだった。彼の中で殿下は絶対の存在であるだけに、少し意外だった。
「君は殿下が苦手だろう。この部屋の事を知れば入れろとごねてくるだろうからな。訪問された時の対応は、これまで通り三階でしてもらえればいい」
人から優しくされる事に慣れていない私にとって、この気遣いは格別心にきた。…まあそうしろと言うのが命令でもあるし、私が少しでも嫌だと思えば魔法が発動して、殿下を部屋から放り出してしまうのだから、むしろ当然とも言えるのだが。
生まれてくる子が男だった場合の対策については、何度も話し合った。反逆者だと言う疑いを持たれる、もしくはその勢力に担がれないようにするためには、魔力の継承または生殖能力を断ち切るのが通常の対処法だと言われたけれど……体を傷付ける手段は極力避けたい。ならば殿下の仰るように、チャールズ様の血ではないと公言するか。だけどそのためにカーク殿下に嫁ぐと言うのも……大体ベアトリス様がダメだと言うのなら、誰も王子妃なんて務まるわけがない。リリオルザ嬢? 理解不能だ。
「後は殿下と私の時と同様、ベアトリス嬢と君が契りを交わすとか」
「双鷹の儀のようにですか? あれは主が王族である事が条件でしたよね。他にもその手の魔法が存在するのですか」
「誓い自体は、義兄弟と言う形でできるだろう。君たちは元々従姉妹なのだし……双鷹の儀レベルの、先代ルージュ侯爵夫人も手出しができないレベルとなると、魔法と言うよりは呪いに近いものになるが……」
命かかってますからね。だけどそれって、ベアトリス様を人質にしてる事にならないかしら。…まあよく考えたら、カーク殿下が当初企んでいた、ベアトリス様をチャールズ様と結婚させる策からして人質状態なんだけど。
「私のためにベアトリス様にそこまでさせてしまうのは、心苦しいのですが…」
「子を守りたいのならば、利用できるものは利用しろ。そこまでしないと、あの女は出し抜けない。ベアトリス嬢だって君のためならば力になりたいと思っている。不安ならばリバージュ嬢を通じて、連絡しておこう」
チャールズ様はそう言って、傍らにいるメイドのドナに言付けた。ちなみに入り口付近にはネメシス様付きのイヴォンヌが立っているが、私たちの話は聞こえない。彼女たちが部屋の奥まで来れるのは、他愛もない内容の時だけだ。
先代ルージュ侯爵夫人――ネメシス様。私はあの御方に憎まれている。それは夫である先代ルージュ侯爵ファウスト様を、私の祖母に寝取られたからだ。母や叔父様の物言いからして、その恨みは代を経ようとも消えないほど底が知れない。
ふと、気付いた事を私はチャールズ様に訊ねてみた。
「あの、公爵様……貴方は私に産む事を諦めさせようとした時、ネメシス様の話をしませんでしたよね。仰っていたのは公爵様側の事情だけで……」
「ああ、それはこの責任が、全面的にこちら側にあるからだ。ルージュ侯爵家との因縁はあくまで君側の事情。どこまで知らされているか分からない上に、持ち出す事で君を責める形になってはいけないと思って」
「そうだったのですか」
「それに、先代夫人に目を付けられるのはベアトリス嬢の場合でも変わらない。彼女の目論見では、私はリバージュ嬢と婚約すべきだったのだからね」
どうやらチャールズ様は私を気遣った結果、祖母の抱える因縁については伏せる事にしたようだ。その判断が正しかったのかは分からない。何せお母様は、ネメシス様に目を付けられるくらいならと、お父様と結婚する道を選んだのだ。あのお父様の方がマシだと言わしめるほどの苛烈さを思えば、早まったかと思わないでもないが……何度も考えた結果、やはり今となってはこの子を産みたい。生まれてきて欲しいと思っている。
穏やかに時は流れ、お腹も誰が見ても分かるくらい目立ってきた。心配は尽きないが現状は平和そのもので、実家にいた頃には考えられないほど私は恵まれていた。
私から奪わないと気が済まない妹や、それに同調する婚約者、私を物のように扱う父に、見て見ぬふりしかできない義母…ここにはそんな人たちは誰もいない。色々あったが今は最高の日々を送れている。
そうすると気の緩みか、妊娠中の体の仕組みか、やたらと眠くてたまらない。
そのせいか知らないが、ある日変な夢を見た。
マミーもリバージュ様付きのメイドたちもとても優しく、他の使用人たちによる嫌がらせにも即座に対応してくれる。ネメシス様の回し者たちは露骨に拒絶しては怪しまれると、程々の頻度で用事を言い付けたり(他のメイドとセットで)部屋に入れたりなどしてやり過ごしていた。
中でも変わったのは、チャールズ様との距離だと思う。魔法の鍵の力を知ってから、彼は度々部屋を訪れていた。マックウォルト先生の診察時だけでなく、たまに仕事の書類を持ち込んできたりする。そんな時、クララが淹れたお茶を飲みながら会話を交わすのだ。
チャールズ様はどうやら、私の遺産の事はカーク殿下には報告していないようだった。彼の中で殿下は絶対の存在であるだけに、少し意外だった。
「君は殿下が苦手だろう。この部屋の事を知れば入れろとごねてくるだろうからな。訪問された時の対応は、これまで通り三階でしてもらえればいい」
人から優しくされる事に慣れていない私にとって、この気遣いは格別心にきた。…まあそうしろと言うのが命令でもあるし、私が少しでも嫌だと思えば魔法が発動して、殿下を部屋から放り出してしまうのだから、むしろ当然とも言えるのだが。
生まれてくる子が男だった場合の対策については、何度も話し合った。反逆者だと言う疑いを持たれる、もしくはその勢力に担がれないようにするためには、魔力の継承または生殖能力を断ち切るのが通常の対処法だと言われたけれど……体を傷付ける手段は極力避けたい。ならば殿下の仰るように、チャールズ様の血ではないと公言するか。だけどそのためにカーク殿下に嫁ぐと言うのも……大体ベアトリス様がダメだと言うのなら、誰も王子妃なんて務まるわけがない。リリオルザ嬢? 理解不能だ。
「後は殿下と私の時と同様、ベアトリス嬢と君が契りを交わすとか」
「双鷹の儀のようにですか? あれは主が王族である事が条件でしたよね。他にもその手の魔法が存在するのですか」
「誓い自体は、義兄弟と言う形でできるだろう。君たちは元々従姉妹なのだし……双鷹の儀レベルの、先代ルージュ侯爵夫人も手出しができないレベルとなると、魔法と言うよりは呪いに近いものになるが……」
命かかってますからね。だけどそれって、ベアトリス様を人質にしてる事にならないかしら。…まあよく考えたら、カーク殿下が当初企んでいた、ベアトリス様をチャールズ様と結婚させる策からして人質状態なんだけど。
「私のためにベアトリス様にそこまでさせてしまうのは、心苦しいのですが…」
「子を守りたいのならば、利用できるものは利用しろ。そこまでしないと、あの女は出し抜けない。ベアトリス嬢だって君のためならば力になりたいと思っている。不安ならばリバージュ嬢を通じて、連絡しておこう」
チャールズ様はそう言って、傍らにいるメイドのドナに言付けた。ちなみに入り口付近にはネメシス様付きのイヴォンヌが立っているが、私たちの話は聞こえない。彼女たちが部屋の奥まで来れるのは、他愛もない内容の時だけだ。
先代ルージュ侯爵夫人――ネメシス様。私はあの御方に憎まれている。それは夫である先代ルージュ侯爵ファウスト様を、私の祖母に寝取られたからだ。母や叔父様の物言いからして、その恨みは代を経ようとも消えないほど底が知れない。
ふと、気付いた事を私はチャールズ様に訊ねてみた。
「あの、公爵様……貴方は私に産む事を諦めさせようとした時、ネメシス様の話をしませんでしたよね。仰っていたのは公爵様側の事情だけで……」
「ああ、それはこの責任が、全面的にこちら側にあるからだ。ルージュ侯爵家との因縁はあくまで君側の事情。どこまで知らされているか分からない上に、持ち出す事で君を責める形になってはいけないと思って」
「そうだったのですか」
「それに、先代夫人に目を付けられるのはベアトリス嬢の場合でも変わらない。彼女の目論見では、私はリバージュ嬢と婚約すべきだったのだからね」
どうやらチャールズ様は私を気遣った結果、祖母の抱える因縁については伏せる事にしたようだ。その判断が正しかったのかは分からない。何せお母様は、ネメシス様に目を付けられるくらいならと、お父様と結婚する道を選んだのだ。あのお父様の方がマシだと言わしめるほどの苛烈さを思えば、早まったかと思わないでもないが……何度も考えた結果、やはり今となってはこの子を産みたい。生まれてきて欲しいと思っている。
穏やかに時は流れ、お腹も誰が見ても分かるくらい目立ってきた。心配は尽きないが現状は平和そのもので、実家にいた頃には考えられないほど私は恵まれていた。
私から奪わないと気が済まない妹や、それに同調する婚約者、私を物のように扱う父に、見て見ぬふりしかできない義母…ここにはそんな人たちは誰もいない。色々あったが今は最高の日々を送れている。
そうすると気の緩みか、妊娠中の体の仕組みか、やたらと眠くてたまらない。
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