伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第一章 転機

第三話 取り返しがつきません

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「風が気持ちいいね」

 自国の王太子を突き飛ばすという人生最大の不敬を働いてから数分後。
 シャーロットはどういうわけか、庭園のベンチで彼の隣に腰を下ろしていた。

「そうですね……?」

 疑問符が付いたのは、彼女自身がこの状況を未だ飲み込めていない証である。

 なぜ自分は殿下の隣に座っているのだろうか。
 なぜ殿下は他愛のない世間話を続けているのだろうか。
 これは新手の償い方法なのだろうか──。
 湧き出る疑問が脳内を埋め尽くす。

 王族を突き飛ばすなど、不敬罪も良いところだ。
 王族ではなくとも、そもそも突き飛ばす行為は良くないのだが、事の深刻さというものがある。

 シャーロットは、令嬢人生終了のお知らせを受け取ることもあり得るとさえ考えていた。
 そのため、家族だけはご容赦くださいと請う準備は整っていた。それなのに。

「……」
「どうかしたの?」

 この状況を作り出した本人の様子を横目で見ていると、彼はこちらへ顔を向け、微笑しつつ首を傾げた。

「いえ……殿下は、なぜあの場所にいらっしゃったのかと思いまして」

 聞きたいことは色々とあるが、元を辿れば彼が庭園の出入口にいたことから発している。
 言外にあの場にいた彼を非難しているようにも聞き取れるが、他に適切な表現が思い付かない。

 シャーロットは、単に気になったということを付け加えた後、彼の答えを待った。

「そうだなあ……」

 彼はどこか遠くを見つめながら腕を組む。
 シャーロットも、何も言わず庭園の花々を眺めた。

 ギルバート・マクミラン王太子は、御年一八歳。シャーロットと同年だ。

 端正な容姿と優れた頭脳を兼ね備え、次期国王として期待されている人物というのが、世間一般の認識である。

 シャーロット自身は彼と一度、十五歳の頃に会ったことがあった。
 当時も群を抜いている印象だったが、成人した今となってはまさに雲の上の存在だ。現在進行形で隣にはいるが。

「外の空気を吸いたくなったから、かな」

 彼は微笑しつつ、呟くようにそう言った。
 たった一言だったが、そこに彼の心情が表れているようで、シャーロットはそれ以上言及するのを止めた。

「君はどうしてここに?」

 閉口した彼女に対して、王太子が尋ねる。

 どこまで話すべきだろうか。
 彼女は思案した。

 ナタリーには大方話しているが、基本的に家族以外でこの症状を知っている者はいない。

 社交界にあまり出てこなかったため、そもそも実際のシャーロット・フォードがどのような人物か、ほとんど知らない者も多いだろう。
 それはこの国の王太子も同様だ。

「夜風に当たりたくなったからです」

 彼女は庭園の花々を眺めながら、一言のみ告げた。

 追求されない限り、簡単に理由を述べておくのみに留めるのが良策だ。
 現に、これまでそうやって症状を隠してきた。
 もっとも、そのような場面はほとんど無かったのだが。

 王太子は彼女にさらなる質問を投げ掛けた。

「パーティーは楽しくなかった?」

 体調の問題を口に出さない辺り、彼女の気持ちを多少なりとも汲み取っているのだろう。

 どのような意図で尋ねたのかは知らないが、答え方によっては再び令嬢人生終了の危機になり得る。
 彼は国王陛下・王妃様と同じくこのパーティーの主催者だ。

 もちろん、一切楽しくなかったわけではない。
 ナタリーと一緒だったし、軽く頂いた宮廷料理は絶品だった。

 ただ単に、己の症状を克服できずに胃が痛くなっただけのこと。

「とんでもございません。素晴らしいパーティーだと思っております」

 素直に楽しめていないのは、シャーロット自身の問題だ。嘘は述べていない。

「それは良かった」

 彼女が笑顔で言い切ると、彼は頬を緩めた。
 その時、何かに気付いたらしき彼が右手を伸ばす。

「ちょっと失礼するよ」
「……?はい」

 その手が彼女の柔らかな髪に触れた。

「花弁が付いていた」
「ありがとうございます」

 風に吹かれて飛んできたのだろうか。
 小さな花弁を手に、王太子がにっこりと笑う。

 一方のシャーロットは、お礼を述べつつも内心は冷や汗ものだった。

 あっっっぶない、また突き飛ばすところだったわ。

 彼が自身の髪に触れたと認識してから一秒。
 ピクリと反応する両腕を、間一髪で食い止めた。

 ここで再び突き飛ばそうものならば、不敬罪に追い打ちをかけること間違いなしだ。
 一度は突き飛ばしたシャーロットに優しい言葉をかけた寛容な彼でも、流石に青筋を立てるだろう。

 危なかった。心臓が早鐘を打っている。

 微笑みの裏で身の縮む思いを体感しているシャーロット。
 見た目こそ平静を装っているものの、一瞬僅かに体を強張らせた彼女に、王太子は気付いていた。

 しかし彼はそのことに言及せず、話題を変える。

「フォード伯爵領は最近、新たな取り組みを行っているようだね」

 伯爵から聞いたよ、と言って彼はシャーロットに続きを投げ掛けた。

「はい。学舎の新設や水道設備の見直しなどを行っております」

 領民の生活向上と領地の発展を目標に、一か月ほど前から取り組んでいる施策だ。

 父親は文官として働いており、王宮に出向く機会も多々ある。その時に彼に尋ねられたのだろうか。

「人員や経費の生成は大変じゃなかった?」
「そうですね。需要と供給の観点から案を練り、現在は試行段階として進めております」

 質問に答えてから、ふと彼の表情に目を向ける。

「へえ、そうなんだ」

 紫の瞳が、僅かにスッと細められた。
 口元は心なしか、先程よりも弧を描いているように感じられる。

 そんな変化に内心戸惑っていると、彼は思い出したように時計を見た。

「そろそろ戻らないといけないから、失礼するよ。話してくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、殿下と言葉を交わすことができ光栄です」

 立ち上がった彼を見送るために、シャーロットも腰を上げる。
 すると、彼はにっこりと笑って告げた。

「フォード伯爵令嬢。三日後の午後、王宮に来て欲しい」
「っ、承知しました」

 最後に突き付けられたその言葉に動揺しつつも、シャーロットは礼儀作法に則り、敬礼を行う。
 そして彼の姿が見えなくなった瞬間、彼女は天を仰いだ。

 やっぱりお咎めなしには、ならなかったかーーー!

 王宮への招待。
 数刻前の不敬を思えば、何を意味するのかは明らかだ。
 いよいよ、令嬢人生終了へのカウントダウンが始まったかもしれない。

 過去のことを後悔しても仕方ないとはいえ、今回は流石にダメージが甚だしい。

 彼女は庭園の中で一人、立ち尽くすばかりだった。

 シャーロット・フォード、一八歳。
 この度、取り返しの付かないことをやってしまいました。
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