伯爵令嬢の前途多難な婚活──王太子殿下を突き飛ばしたら、なぜか仲良くなりました

森島菫

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第六章 婚約

第三十一話 愛しの婚約者に口づけを

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 シャーロットがギルバートと婚約して、丸一日が経った。

「やあ、シャーロット嬢」
「こんにちは、殿下」

 シャーロットはいつものように、ギルバートに挨拶をした。
 しかし今日は、普段と場所が異なる。扉を開けた先は執務室ではなく、ギルバートの私室なのだ。

「……何となくそわそわします」

 正直に感想を言うと、彼は笑った。

「そのうち慣れると思うよ」
「そうですね……あの、殿下」
「ん?」
「ち、近過ぎませんか」

 彼女の言葉を耳にし、ギルバートは目を瞬かせた。

 ソファに座るよう促され、腰をかけたのは良いものの、隣に座ったギルバートと肩が触れるほどである。
 この距離で過ごしていても、いたって普通の様子でいる彼を、シャーロットはちらりと見た。

「もしかして、嫌?」

 途端に暗い顔をするギルバート。

 普段はにこやかな彼をそんな表情にさせてしまったことに焦り、シャーロットは急いで首を横に振った。

「嫌ではありません」

 すると、ギルバートは先程までの表情が嘘だったかのように、眩しい笑顔を見せる。

「ほんと?良かった」

 シャーロットの気持ちを推し量ってやや体を離した彼は、再び婚約者と肩を並べ直した。最初より引っ付いている気がするが、これ以上は言及しないことにする。

 彼の振る舞いに戸惑っているものの、触れること自体は良いのだ。むしろ、彼ともっと触れたいと思う自分がいる。

「手を繋いでも、良いですか」

 彼の温もりが欲しい。すぐ隣にいるのにもかかわらず、さらなる繋がりを求める。いや、触れられる距離にいるからこその欲望なのかもしれない。

 頬を朱に染めながらも懸命に伝えると、ギルバートは何かを耐えるように天を仰いだ。

「で、殿下……?」

 普段のように余裕のある穏やかな笑みを向けられるかと思いきや様子が異なるギルバートに、シャーロットは狼狽えた。

「あっ、あの、無理にとは……!」
「いや全然、無理じゃないよ」

 不安の色を滲ませたシャーロットを安心させるように、ギルバートは彼女へと向き直った。

「むしろ逆。俺も繋ぎたいし、もっと言えば抱き締めたいしキスしたいし今すぐ寝室に連れ込みたいし」
「!?」

 安心させるどころか後半の発言はシャーロットをさらに狼狽えさせたが、ギルバートはそんな彼女を愛おしげに見つめる。

「可愛すぎて我慢できなくなりそう」

 彼女の手に自身の手をするりと絡ませた。じっと目を合わせると、綺麗な新緑の瞳が揺れた。

「結婚式で私がちゃんとドレスを着られるなら……我慢しなくても良い、です」

 頬をほんのり赤く染めつつ、そう呟くシャーロット。一瞬動きを止めたギルバートは、ふっと笑った。

「相当な殺し文句だな」
「殿下の方こそ」

 お互いに言い合いながらも、二人の表情は穏やかだ。そして、引き寄せられるように唇が重なる。

「シャル」
「っ、その呼び方」

 シャーロットは、かつて目の前の彼と一緒に行った視察を思い出した。

「……何ですか、ギル」

 そう返すと、彼はとても嬉しそうな顔をする。

「好き。大好きだよ」
「私も、大好きです」

 改めて言葉にすると恥ずかしさのあまり体が火照ってくるが、幸せな気持ちにはなる。
 ギルバートはシャーロットを抱き寄せ、頭を撫でた。

「そういえば、昨日から気になっていたことがあるんですけど」

 ギルバートの腕の中に収まったまま、彼女はふと口を開く。

「婚約手続きがあんなに早く終わったのは、どうしてですか?書類の準備はともかく、両親や司祭の方もすでに待機していましたが……」

 昨日、目で問いかけた時に彼が浮かべた笑みで、何となくの予想はついている。おそらく前もって根回しをしていたのだろう。シャーロットが知りたいのは、その裏話の詳細だ。

「あー……それはね」

 密着していた体を離し、シャーロットと向き合うギルバート。やや口ごもったが、目の前でじっとこちらを見つめる婚約者を見て、彼は観念した。

「シャーロット嬢が王宮に泊まった数日後、フォード伯爵夫妻と俺の両親に、婚約しようと思っていることを伝えていたんだ。それで昨日両想いになった後、フォード伯爵夫妻と司祭に来てもらうようお願いした」

 ギルバートによれば、シャーロットの両親と司祭は別の用事もあり元々王宮に来ることになっていたらしい。その別の用事すらもギルバートが裏で日程調整したものだったという。

 そしてギルバートはシャーロットと想いを伝え合った後、秘かにハリスに伝言を頼み、あの場に集まってもらったのだ。

「……引いた?」

 全てを話し終え、ギルバートは恐る恐るシャーロットの反応をうかがう。

 しかし、彼女の様子はギルバートの予想とは異なるものだった。

「いえ。ある程度想像していたので、特には」
「あ、そうなの?」
「はい」

 拍子抜けである。多少なりとも引かれると思ったが。いや、引かれていないならその方が良い。ギルバートはそう思い、シャーロットを見つめた。

 すると、彼女は笑って付け加える。

「むしろ、殿下の根回しの内容を知ることができて楽しいですよ?」

 普段はそういう部分が全く見えませんから、と言うシャーロット。

 そんな姿がとても愛おしく感じて、ギルバートは二度目のキスをする。
 そして、彼は問いかけた。

「結婚式でドレスを着られるようにするなら、我慢しなくても良いんだよね?」
「え?」

 清々しいほどの笑顔を向けられている。
 しかし、どうしてだろう。蛇に睨まれた蛙のような気分だ。

「た、確かにそう言いましたけど」

 シャーロットの返答を聞きながらも、ギルバートは彼女の手や腕、首筋へと次々に口づけを落とした。

「この後公務があるんじゃないですか?」
「大丈夫。今日の分は午前中に終わらせてあるよ」

 さすが、仕事が速い──じゃなくて!
 戸惑っている間に唇にキスをされ、吐息が漏れる。

「ふふ、可愛い」

 シャーロットは、ごくりと息を飲んだ。

 ギルバートの、熱を孕む瞳。甘い声色。繋いだ手から伝わる、温かな体温。普段爽やかな彼から醸し出される強烈な色気にあてられそうだ。

 どうやら、彼のスイッチを押してしまったらしい。

「ごめん。先に謝っておくけど──」

 紫の瞳が、妖しく輝いた。

「思ったより抑えが効かないかも」

 射貫くような視線は、これまでシャーロットが見てきたどんなものとも違う。目が合えば最後、絶対に逃れられない魅惑の誘い。全身に、ビリビリとした熱量を感じた。

「もう少し時間をかけるつもりだったんだけど……やっぱり無理だ」
「え、えっ……?」
「安心してね、最後まではしないから」

 にっこりと笑うギルバート。

 突然の展開に、シャーロットは動揺しっぱなしだ。それでも、進んでみたいと思う自分がいる。この先を期待してしまう自分がいる。

 人のことは言えないわね──そう苦笑しつつ、シャーロットは愛しの彼の口づけを受け入れた。
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