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2話 本当に愛していたのは君だった。
しおりを挟む「遺体の確認……?」
二十年の軌跡――。
妻として、共にあった女性の訃報。
何も考えられなかった。
微かに笑う妻の顔――そこだけが、世界から色を奪われていた。
妻は賊に襲われ、そのまま川に投じられたという。
現実味が湧かないまま、男たちを引き連れ現場へ向かった。
――
下流――白く冷たくなった妻が、そこにいた。
痩せた細い体。
水で衣服が肌に貼り付き、あまりにも惨めたらしい。
涙を流す騎士たちをよそに、ダニエルは呆然と立ち尽くす。
「なぜ泣いている?」
部下の目も鼻も真っ赤だ。
「悲しくは……ないのですか?
奥様でしょう?」
――悲しい……?
心は空洞。
だが確かに、指先は震え、鼓動は速く打っていた。
無意識に上着を脱ぎイネスに掛け――
静寂の中で、彼の呼吸だけが響いた。
抑えようとした想いも、留まることを知らず、頬を伝う。
音のない世界で、ただ震える呼吸だけ。
ダニエルには、この涙の意味がわからなかった。
「奥様を、連れ帰って
さしあげましょう……」
「……待て。」
拳は固く握られ、何かを掴む。
どうにも気になり、ダニエルは、イネスの指を順に広げ、無理やりこじ開けた。
銀の装飾に丸い“石”が嵌められたネックレス。
――ドクンッッ!!!
掴んだ瞬間、脳天を貫く衝撃が走る。
同時に微細な光が差した……。
「ネックレス、綺麗でしょ?
――祖母の形見よ?」
透き通る肌。
微笑む女の姿が頭をよぎる。
仄かに香る甘い匂い。
猫の毛のように柔らかな金の髪。
怒ったときに見せる尖った唇。
どれも鮮やかで色濃い。
頭が割れるように痛む。
長年、醜く霞んでいたその瞳は、豊かな黄色を帯びていた。
「あ゙ぁ……っ……」
細い指ーー指輪はしていない。
かわりに残された指輪の日焼け跡。
「大事にするわね。」
揃いの指輪を愛しそうに眺め、微笑む可憐な女ーー
世界で一番幸せにすると誓ったはずなのに、揃いの指輪は、自身の指にもない。
膝から崩れるように、ダニエルは
イネスの体を抱き締めた。
――固く冷たい、
「俺の妻だ……イ、イネス…ッ」
心を埋め尽くしていた忌まわしい感情。
それがなぜか、今になって
霧のように消えた。
過去の色が灯り、眼前の色は失われる。
混乱と矛盾。
次々に巡る大事な記憶――。
「愛らしいわ……ダニエル。
わたし今、とっても幸せ…。」
生まれたての子の命に、共に涙し、キスをしたあの日の記憶までも、なぜ頭の片隅にさえ無かったのか。
声にならぬ叫びと、怒りと喪失。
美しい雪解け川の水面には、あまりにも似つかわしくない。
静かな渓谷はーーただ、悲しみに震え、冷たい風は嘆きの残響を無情にも押し流した。
---
夜、立ち込める悲しみ。
イネスの遺体は、あの"罰部屋"に一時的に
安置されていた。
息子達には知らせず。
ただ逃げるように、書斎に籠り、ただ黙ってダニエルは酒を煽った。
日が暮れても灯りはつけず、暖炉の火だけが手元をかすかに照らす。
心を押し潰され、ただ気を紛らわせる一心で、延々とグラスに酒を注ぐ。
――そのとき、
引き出しの奥に仕舞われたネックレスの“石”が、ひそやかに淡く光る。
悲しみに染まった室内に異質な気配。
――音もなく影となり、ゆっくりとダニエルの前に姿を現す。
寒気が背筋を這うが、酒に酔った男は気づかない。
無意識に上着の襟を掴み、肩を震わせる。
――パチンッッ
暖炉の薪がはぜ、静寂を破る。
『苦しきか』
低く、聞き取れぬ音が耳をかすめ、花の香りが鼻を突く。
――そして、男の心に語りかける。
『悔ゆるか?』
「――くゆる……?」
幻聴。
ダニエルは首を振り、辺りを見渡す。
「あぁ……ダメだ。飲みすぎた」
「正気じゃない……」
姿こそ見えないが、異彩を放つ影。
乾いた笑いが喉奥からこみ上げる。
――『吾は……石なり。』
『名は、“エンリケ”と申す』
『時を遡りて、
過ちを正したきか?』
どこからか吹き込む風に、炭と化した薪が、ぱらりと崩れた。
「……ははっ、石?
何を――ふざけたことを……」
生気の抜けた声が、薄闇の中でこだました。
幻か、夢か、現か――その境界すら揺らぐ。
震える手で酒瓶を握り締め、
滲む涙を、無理やり瞳の奥へ押し込む。
『時を遡る機、欲すか?』
耳から、体の芯からつんざくような問い。
「はっ……
何をごちゃごちゃと。
……時を遡る……っ?」
『妻に再び逢いたきや?』
耳障りな声に、ダニエルの怒りが沸き上がる。
ガッシャーーンッ!!
空瓶は力任せに叩きつけられ、破片が床に散った。
嗚咽を漏らし崩れる男。
「ははっ……」
「できるもんならやってみろ……っ
生きたイネスに、会わせてみろ!!」
『……その願い、叶えん。
されどこの力、二つに裂ける
汝ひとり時を戻せぬ。
女の意志もあり、
されば苦しみに呑まれん。』
「裂ける? 女……?
意味をちゃんと教えろ!」
『我を愉しませよ』
「おい!」
そう言い残し、影は見る影もなくなり、石からは光が失われる
一瞬の出来事。
ダニエルには、考える余地もなかった。
――“石”?まさか……。
ダニエルがはっとしてネックレスに目を向けると、石は一瞬光ったように見えた。
「……そんなわけ」
現実との区別もつかぬまま、
フラフラと椅子にもたれかかった。
「――だがもし、それが
叶うなら……」
力は抜け、瞼が重く閉じていった。
火のはぜる音だけが、最後まで耳に残った。
――彼は、まだ知らなかった。
これから巻き起こる、妻を巡る争い。
そして、贖罪と傲慢――
その先に与えられた想像を絶する苦痛を。
――次話予告
選ばれた契約者――イネスの願い。
許せるはずもない、惨めな結婚の軌跡。
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