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ご令嬢のストーカーが因縁を吹っ掛けられます

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「なんか視線を感じるな」

 食堂につく少し手前で波路はそう呟いた。恐らくは自分と同じく部屋が決まって一息つくことができ、空腹を覚えたので食堂に向かう途中の寮生達なのだろうが、そのほとんどがこちらに視線を向けてきている。

 遠慮しがちに視線をよこすのは少数で、大体がこそこそと喋ったり侮蔑的な笑い声とわざと出す者もいる。

「俺が日本人だからかな?」
「いえ、今やアジア人というだけで珍しいとは思われません。ましてマサチューセッツ州は国際的に間口を開く大学が多いので、アジア系の人間もそこそこいますし」
「そっか…てことは俺のことを噂してんだろうな」
「そうですね。お心当たりがありますか?」
「亜夜子さんとの事か、もしくは最下位で入学したって事とか?」

 本当なら首席で合格していたのに最下位での入学になったのにはもちろん事情があるのだが、それは校長に口止めされているのでそのことそのものが噂されているとは思えない。そもそも、こそこそと憐憫の眼差しを向けられているのが気がかりだ。

「それが妥当だとは思いますが、分かりかねますね。とにかく食堂に行きましょう」
「そうだな」

 二人は食堂に入れば食事の雰囲気に紛れて面白おかしく向けられている侮蔑的な視線を掻い潜れるかと思っていた。だがすぐに考えが甘かったことを思い知る。

 波路たちが入った瞬間、まるで待ち受けていたかのように視線が向けられ、再び嘲笑するかのようなヒソヒソとした居心地の悪い空気を浴びせられたのだ。

 幸いだったのは、二人がそのような空気をまるで気にも留めない性格だという事だろうか。

 だがこちらに向けてやってくるのは、何も形容しがたい雰囲気だけではなかった。

 ビュッフェスタイルの朝食を取るため、列に並んだ二人のもとにあからさまに因縁を吹っ掛ける目的で近づいてくる男子生徒たちがいた。

「よう。お前だろ? 今期最下位での入学ってのは」
「ああ。そうみたいだな」
「よく食堂に顔を出せるな」
「ああ。オレなら恥ずかしくって部屋に籠ってるよ」

 まるで隠すこともなく突っかかる生徒たちを見て、列に並んでいる者や既に着席して食事をしている者達の多くがこちらに好奇の目を向けた。一体どんな反応を示すのかワクワクしていると、全員の目が物語っていた。

 しかし二人はまるで取り合わず、むしろ絡まれているのは他の奴なのかとも思えるくらい平然と食事の話をしている。

「そう言えば、カツトシ君は何が好きなんですか?」
「俺は何でも食うよ」
「好き嫌いがないのは良いですね。つまらなくもありますが」
「そういうデキマさんは?」
「私は酸っぱい食べ物を好みません」
「お、今ので梅干し食べさせたくなった」
「ウメボシ…とはなんですか?」

 などと和気藹々とした会話をしながら、列を進んでいく。するとリーダー格の男子はお手本のように怒り、見本のようなセリフを吐いた。

「おい無視してんじゃねえぞ」

 そして再びわざわざ二人の前に移動すると、今更ながら波路の隣にいるデキマについて言及してきた。

「その前に君は誰?」
「カツトシ君の従者をしているデキマと言います。主人共々よろしくお願いします」
「はあ? 最下位の癖に従者を従えてんのかよ」
「てことは従者に成績負けてんのか」

 そう言って因縁をつけてきた男子たちは下品に笑う。

 その笑いは従者よりも成績の劣っている波路と、それ以上にそんな不甲斐ない奴を主と呼ばざるを得ないデキマを嘲笑うためだ。

 笑い声をBGMにしながら料理を取り終える。そしてデキマは、

「では失礼します」

 と律義に一礼してからその場を去った。

 絡んできた男子たちには、それが悔しさを紛らわすためにわざと気丈に振る舞っている風に映ったらしく、結果としてその日はそれ以上因縁を吹っ掛けるのを止めさせる形となっていた。

 二人は料理の乗ったトレーを持ちながら、座れるテーブルを探して彷徨っていた。しかし、ほとんどの場所が埋まっている上に、空いている席を見つけても、椅子に足を乗せられたり、わざと水や料理をぶちまけて汚されたり、友人のために席を取っているから座るなと言われたりして、行ったり来たりを繰り返していた。

 すると波路は一言、

―――仕方ない。

 と呟いた。

 そして誰もいない食堂の隅に行くと、収納空間の中から一枚のゴザを取り出して床に敷いた。用意がいいのか悪いのか、更に膳台を取り出してトレーを置くとデキマに向かって、今日はこれで勘弁してくれと言ってから座った。

 それを見ていた食堂の連中は、とうとう堪えきれないような笑い声を出し、中には咽かえるような息遣いまで聞こえてきた。

「悪いな、デキマさんまで付き合わせて」
「いえ、気にしておりません。こういった経験は初めてではありませんので」
「え?」
「それに日本の方に仕えるのですから、こういった事には対応しませんと。日本作法については不勉強で申し訳ありませんが」
「いや、食堂にゴザ敷いて飯食ってたら日本でも笑われるから」

 いずれにしてもようやく腰を落ち着けられたことで、食事が取れることを二人は喜んだ。注いできたアイスティーで喉を潤すと、波路はパンに手を伸ばす前に頭に過ぎっていることを声に出して言った。

「でもこの様子で見られている理由がわかった…要するに最下位イビリだな」
「そのようですね」
「なら納得だ。流石は悪魔の学校」
「私は一つ解せません。『高慢の寮』の寮生ならともかく、カツトシ君の成績が他の寮にばれるのが早すぎます」
「どっかで成績発表でもしてるんじゃないの?」
「まあ、一年生どころか上級生に難癖をつけられたところで、カツトシ君なら問題ないですから些細な事ですね。では頂きましょう」

 するとデキマは妙にそわそわとして、辺りをキョロキョロと伺う波路の姿が気になった。ひょっとしてアヤコを探しているのだろうか?

「どうかしました?」
「どこかで箸とかってもらえるのかな?」
「恐らく…ありませんね」
「そっかぁ」

 と、波路は残念そうにナイフとフォークを不格好に使って夕食を食べ始めたのだった。
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