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プロローグ
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「一度でいいから妖怪を見てみたい」
それが男の口癖であった。
特に時計が日付を跨ぐかどうかという時間、自室の大量の本に囲まれつつ、時代錯誤も甚だしいランプの明かりに照らされて、ウイスキーを舐めるように飲み、如何にも好事家しか読まない様な怪しげな本に興じているときによく口にしていた。
その願いが妖怪と話をしたり、酒を酌み交わしたりしたいというものでなく、ただただ単純に一目だけ見てみたいというのであれば、彼の夢は密かに叶っていたことになる。
彼が環と名付け、十余年も暮らしを共にしている飼い猫は『猫又』と呼ばれる一端の妖怪だったのだから。
◇
いきなり身の上話をさせてもらうと、ここまで変わった猫もそうそういるものではないと思う。自分で言うのもなんだが。
まず初めに妖怪である。
猫の妖怪と聞くと諸兄等は『猫又』か、もしくは『化け猫』のどちらかを思い浮かべるだろう。結論から言えばその前者だ。僕はれっきとした妖怪・猫又であり、鍋島環と名前も持っている。
次に他の猫と一線を画す点と言えば、僕はこの世界の生まれでない。
異世界――と言えばそうなのだが、昨今インターネット上で人気の西洋風ファンタジーの世界とは少し違う。どちらかと言えば某・幻想郷に近い。ニュアンスが近いだけで全く別物だというのは注しておく。
天獄屋。
僕の生まれた場所はそう呼ばれている。
妖怪、化物、異形、物の怪、魑魅魍魎、あるいは神や精霊と呼ばれることもあるだろう。そういった類のモノ達が人の世を捨て、もしくは追われ、辿り着いた所。
誰かは互いの傷を舐め合う場所と言い、誰かは何時か思い出すために一度忘れる場所と比喩する。
天獄屋は元はと言えば、隠れ里にあった妖怪を相手に商売をする一軒の旅館だったそうな。
人の世を離れ、さらに長い年月が流れる間に十三の階層に分かれてしまっている。僕は、その中の「猫岳」と呼ばれる階で生まれた。
それぞれの階層ごとに掟や天獄屋内での役目が異なり、それらを取り仕切る顔役もまた別々に設けている……らしい。
らしい、と言うのは僕自身がこの天獄屋で生まれたことは確かなのだが、生まれて間もなく天獄屋を離れてしまったため、如何せん事情が分からない所があるのだ。
結局は人間から逃れる為に生まれた場所なのだが、だからといって人の世に関われないということも無いし、天獄屋に人間がまったくいない訳でもない。事実、天獄屋には人間それなりには居ると聞いたことがある。
しかし、それでも人の世にいる妖怪にとっては憧れの場所であり、そこの生まれというのは一種のステータスになっている。これのお蔭で僕は現在、この辺りの猫又の頭を張っているのだから、影響力は大きい。
そもそもを辿って行けば、僕の生家は「猫岳」を取り締まる頭領の家系であり、僕自身がそこの長男息子なのだから、行く行くは跡目を継ぐ立場にあった。
それが一体どうしたことか。
今や人間に飼われ、寝たい時に寝て起きたい時に起き、外に行きたい時に外に行き食べたいときに食べるという猫の理想を体現した生活を送ってしまっている。
何故、こうなったのか。
・・・色々あったのだ。
そう。実に色々あった。
五歳を迎えたある日の事。母が唐突に僕を人間の世界へと連れ出した。
事情も分からぬまま「ひとまず此の世(天獄屋の内での人間世界の呼び名)で暮らしなさい」と、まるで厄介払いの捨て子同然に家から放り出された。
右も左も分からぬままに見知らぬ町を徘徊し、日も途方も暮れかかったころに今の家主に拾われたのである。
家主の男はどうやら一人暮らしのようで、家の中に他の人間が生活している様子はない。しかし、近所の住人に書道を教えており、時々子供の声で賑やかしくなる。他に家主の特徴を挙げるというのならば、重度のオカルトマニアということだろう。家の中にある蔵書の量からして引くくらいの物量だ。ジャンルも日本の妖怪や都市伝説を扱ったものから、西洋の魔術や錬金術、現代の超能力にUMAに宇宙人と多岐に渡っている。その上、話し相手もいないものだから日がな一日その手の話を一方的に聞かされる。正直たまったものではない。
そんな状況に陥ってしまったが、別段家や母を恨んだりはしなかった。
母は月に何度も様子を見にひょっこり庭先に現れたし、母が来られないときは家の者が代わりに訪れることもあった。その都度、僕の心配をしてくれていたので、捨てられたと感じていたのは単なる勘違いだったと気が付くのにそう手間は掛からなかった。
そんな訳で始まった飼い猫生活だったのだが、此の世で人間に飼われるというのも案外悪くはない。
家中でも、僕は跡目相続については完全に退いたものとして扱われているらしいし。
そのことに全くの未練や疑問がないと言えば嘘になるが、少なくともこののんびりとした生活に勝る暮らしができるとは思えない。だから、結果論としてだが、僕は自分を取り巻く状況には大した不満は持っていない。
しかし、何事にも始まりがあれば終わりがある。
それはこの平穏においても例外ではなかった。
それが男の口癖であった。
特に時計が日付を跨ぐかどうかという時間、自室の大量の本に囲まれつつ、時代錯誤も甚だしいランプの明かりに照らされて、ウイスキーを舐めるように飲み、如何にも好事家しか読まない様な怪しげな本に興じているときによく口にしていた。
その願いが妖怪と話をしたり、酒を酌み交わしたりしたいというものでなく、ただただ単純に一目だけ見てみたいというのであれば、彼の夢は密かに叶っていたことになる。
彼が環と名付け、十余年も暮らしを共にしている飼い猫は『猫又』と呼ばれる一端の妖怪だったのだから。
◇
いきなり身の上話をさせてもらうと、ここまで変わった猫もそうそういるものではないと思う。自分で言うのもなんだが。
まず初めに妖怪である。
猫の妖怪と聞くと諸兄等は『猫又』か、もしくは『化け猫』のどちらかを思い浮かべるだろう。結論から言えばその前者だ。僕はれっきとした妖怪・猫又であり、鍋島環と名前も持っている。
次に他の猫と一線を画す点と言えば、僕はこの世界の生まれでない。
異世界――と言えばそうなのだが、昨今インターネット上で人気の西洋風ファンタジーの世界とは少し違う。どちらかと言えば某・幻想郷に近い。ニュアンスが近いだけで全く別物だというのは注しておく。
天獄屋。
僕の生まれた場所はそう呼ばれている。
妖怪、化物、異形、物の怪、魑魅魍魎、あるいは神や精霊と呼ばれることもあるだろう。そういった類のモノ達が人の世を捨て、もしくは追われ、辿り着いた所。
誰かは互いの傷を舐め合う場所と言い、誰かは何時か思い出すために一度忘れる場所と比喩する。
天獄屋は元はと言えば、隠れ里にあった妖怪を相手に商売をする一軒の旅館だったそうな。
人の世を離れ、さらに長い年月が流れる間に十三の階層に分かれてしまっている。僕は、その中の「猫岳」と呼ばれる階で生まれた。
それぞれの階層ごとに掟や天獄屋内での役目が異なり、それらを取り仕切る顔役もまた別々に設けている……らしい。
らしい、と言うのは僕自身がこの天獄屋で生まれたことは確かなのだが、生まれて間もなく天獄屋を離れてしまったため、如何せん事情が分からない所があるのだ。
結局は人間から逃れる為に生まれた場所なのだが、だからといって人の世に関われないということも無いし、天獄屋に人間がまったくいない訳でもない。事実、天獄屋には人間それなりには居ると聞いたことがある。
しかし、それでも人の世にいる妖怪にとっては憧れの場所であり、そこの生まれというのは一種のステータスになっている。これのお蔭で僕は現在、この辺りの猫又の頭を張っているのだから、影響力は大きい。
そもそもを辿って行けば、僕の生家は「猫岳」を取り締まる頭領の家系であり、僕自身がそこの長男息子なのだから、行く行くは跡目を継ぐ立場にあった。
それが一体どうしたことか。
今や人間に飼われ、寝たい時に寝て起きたい時に起き、外に行きたい時に外に行き食べたいときに食べるという猫の理想を体現した生活を送ってしまっている。
何故、こうなったのか。
・・・色々あったのだ。
そう。実に色々あった。
五歳を迎えたある日の事。母が唐突に僕を人間の世界へと連れ出した。
事情も分からぬまま「ひとまず此の世(天獄屋の内での人間世界の呼び名)で暮らしなさい」と、まるで厄介払いの捨て子同然に家から放り出された。
右も左も分からぬままに見知らぬ町を徘徊し、日も途方も暮れかかったころに今の家主に拾われたのである。
家主の男はどうやら一人暮らしのようで、家の中に他の人間が生活している様子はない。しかし、近所の住人に書道を教えており、時々子供の声で賑やかしくなる。他に家主の特徴を挙げるというのならば、重度のオカルトマニアということだろう。家の中にある蔵書の量からして引くくらいの物量だ。ジャンルも日本の妖怪や都市伝説を扱ったものから、西洋の魔術や錬金術、現代の超能力にUMAに宇宙人と多岐に渡っている。その上、話し相手もいないものだから日がな一日その手の話を一方的に聞かされる。正直たまったものではない。
そんな状況に陥ってしまったが、別段家や母を恨んだりはしなかった。
母は月に何度も様子を見にひょっこり庭先に現れたし、母が来られないときは家の者が代わりに訪れることもあった。その都度、僕の心配をしてくれていたので、捨てられたと感じていたのは単なる勘違いだったと気が付くのにそう手間は掛からなかった。
そんな訳で始まった飼い猫生活だったのだが、此の世で人間に飼われるというのも案外悪くはない。
家中でも、僕は跡目相続については完全に退いたものとして扱われているらしいし。
そのことに全くの未練や疑問がないと言えば嘘になるが、少なくともこののんびりとした生活に勝る暮らしができるとは思えない。だから、結果論としてだが、僕は自分を取り巻く状況には大した不満は持っていない。
しかし、何事にも始まりがあれば終わりがある。
それはこの平穏においても例外ではなかった。
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