上 下
60 / 66
第二章 岩馬

残響する沈黙

しおりを挟む
「朱、これもっとけ」
「これは?」
「ひっひっひ。『賢者の石』じゃないか」
「玄に好みの武器に錬成してもらえ。ほとんど思い描いたもの通りになるはずだ」
「金物とも石とも違う、妙な感触だな」

 朱の感想には同感だった。俺も初めて賢者の石を触った時は、感動と気色悪さで鳥肌がたった。

「環はこれを」
 
 そしてもう一つの隠し玉だった母から貰った龍刀を環へと渡す。

「いいんすか?」
「俺はこっちの太刀を使うし問題ない。そもそもお前らが大人しく帰ってくれれば貸さなくて済むんだが?」
「んじゃ、ありがたく」
「時間がないから説明を省くが、とにかくヤバい奴等が絡んでいる。いざというときは自分の命を最優先に考えろ、いいな?」

 俺は悪戯に恐怖心を呷るためでなく、本心から全員に告げた。禍室の恐ろしさは到底口で説明できるものではない。なびきはともかく、環と朱は想像の中でしか禍室を知らない。侮っているとは言わないが、全容を掴めていないのは危険すぎる。

例え俺の命と引き換えになったとしても、ここにいる奴らが死ぬような事態だけは避けなければならない。特に・・・環だけは、何としても守り切らなければ。

 手元に残った親父の形見の太刀を持つ手に力が入っていた。





 かつての同輩が殺されると言うのに、吾大は心が騒めかない事に驚いていた。先ほどまで、あれほど円に固執していたのが嘘のように穏やかでいる。腹が座ったというのは、こういう感覚なのだろうとそんな事を考えていた。

 小舟を乗り捨てると、少し開けたところに出た。この先の橋を渡ったところが目指す紫を監禁している仮宿だった。そこへ戻る途中、ふらりと目の前に影が現れた。

「これは先生、どうなさいました? 次に会う約束は明日だったと思いますが」

 立っていたのは禍室の剣客の一人だった。先生と呼ばれた男は名を葉吹といい、禍室の大元から岩馬に使わされていた用心棒である。用心棒と言っても事実上の実権を握っているのはこの男だった。吾大たちはこの葉吹の指図を受けて、岩馬での隠秘な仕事に当たっていたのだ。

 吾大たちが指示されていたのは、とにかく大量の刀剣を回収するという仕事であった。あくまでも造るのではなく、現存する刀剣を集めて禍室へと引き渡すというのが唯一の決まりだった。その集めた武器で何をするのか、そこまでは吾大の知るところではなかった。

「どうにも虫が騒いでな。他の連中は?」
「少し事情が変わりましてね、でも直に戻ってきます」
「・・・」
「さ、どうぞこちらに」

 そういって吾大は今まさに向かっていた仮宿に葉吹を案内しようとした。だが、当の葉吹は一歩も動かずにじっと吾大がやって来た川の先を見ている。

「・・・そうもいかない様だ」
「え?」
「ツケけられたな」
「っ」

 吾大は背筋に氷水を被せられたかのように身が寒くなるのを感じた。岩馬の連中の仕事始めの時間にはまだ少しあるせいで、人っ子一人、妖怪一匹も見当たらない。だからこそ川に浮かぶ大小様々な舟を飛び移りながら、こちらへと近づいてくる一団の動きがよく分かった。

 ◇

 尾行に気が付かれた事を察すると、舟を乗り捨て堂々と吾大たちのいる陸地を目指した。

吾大の他に誰かがいる。浪人風の男であり、恐らくは禍室の一因だろうが、佇まいが普通とは違う。俺は先頭に躍り出て、警戒心を露わにした。

同じく俺のすぐ後ろに着地した環が、橋の向こうの小屋を指差して告げる。

「多分あそこの家だ。ここからでも分かるくらいに煙たい」
「ああ。分かった。」

 浪人風の男は吾大を庇うように前に出て、太刀の鯉口を切った。

「ここは食い止めるから、さっさと戻って他の奴等に報せてこい」
「はいっ」

 吾大は駆け足で小屋に向かって行った。俺の呼び止める声は空しく虚空に消えるばかりだった。

この状況で増援を呼ばれるのはまずい。だがそれにも増してまずいのが、目の前の男の方だった。

「円殿。あやつ・・・かなりできるぞ」

 朱が呟いた通り、醸し出されている気迫が尋常じゃない。人であれ妖怪であれ、殺す事に躊躇い持たない輩の気配だ。

 俺は太刀を抜くと、もう一度だけその場の全員に戒めた。

「無理だけはするなよ。ヤバいと思ったらすぐに逃げろ」

 その言葉をきっかけに全員が戦闘態勢を取った。それと同時になびきが俺達から距離を取る。アイツの術は範囲が広く味方まで巻き添えにしやすい上、二手三手と回数が重なる毎に読まれて対策されてしまうので、少数戦では活かしづらい。ここぞという時の為に付かず離れずの位置を保ってくれている。天聞塾から付き合いのある奴は、呼吸が合わせやすいから安心感が段違いだった。

 問題は環と朱だ。

 知り合って日が浅いせいで、連携をするのは骨が折れる。その上どっちも血気盛んで攻め急ぐきらいがある。流石に相手のポテンシャルを見誤ってはいないと思うが、信頼に足りていないのも事実だった。

 そんな散漫な思考と吾大を追いかけたい焦りに付け入るかのように、浪人男は鋭く間合いを詰めてきた。横に逸れようと思った刹那、奴の持つ太刀が特別な太刀であることに気が付き、俺は動きを変えた。

 浪人男はまず朱を狙い、横薙ぎに太刀を振るった。だが鞘から抜き放った瞬間、刀身が解けるかのように姿を消した。

「え」

 朱の息の漏れる声が聞こえた。刀身が消えた事で僅かの間だけ動きが固まったのだ。俺は奴の太刀筋を読んでそれを防いだ。

「ほほう」

 浪人男は俺が初太刀を防いだことに素直に感嘆の声を漏らした。

「今のに反応できるとは、やるな」
「刀身が・・・消えた?」

 目の前で起こった事の理屈が分からず、朱はただただ戸惑っている。

 かくいう俺も奴の太刀を目の端で捉えていたから何とか反応することができだけだった。もし気が付かないまま戦っていたらと思うと、今更ながらにぞっとする。

「もしやとは思ったが、磨角の『主義刀』だな」
「ああそうか。吾大と知り合いなら刀の正体も知っていたとしても不思議はないな」
「ヒヒヒっ。それをなんでコイツが持っているのさ?」
「きっと俺と同じように磨角が吾大さんに預けて直しでも頼んでいたんだろう。大方、紫の用事ってのはこれを受け取りにくることだった」

 面倒ごとというのモノは重って訪れるらしい。今の一太刀で相手の実力が見誤ったものでないことははっきりした。その上、磨角の愛刀を使ってくるとなると輪をかけて危険度が増す。

「円殿、今のは一体・・・」
「あいつが持っているのは『虚無主義の剣』っていう太刀だ。説明している暇はない。とりあえず刀身が消えて見えなくなる刀とでも思っておけ」
「厄介な・・・」

 それからも男は四対一の不利を感じさせる事無く応戦してきた。

 攻めと引きの駆け引きがとてつもなく上手い。吾大を逃がし、増援を見込んでいるからこその時間を稼ぐ戦い方だ。下手な連携で探り探りの動きを見せている俺達は自分で自分の首を絞める結果となっていた。

 唯一の救いは、男の持つ「主義刀」を奴自身が使いこなせていないという点だった。もしも正式な持ち主である磨角と同じくらいに使いこなせていたら、更に不利な状況になっていた。

 だが、そんな中。一番懸念していた事が起こってしまった。

 焦りから攻めあぐねいていた環が不用意に攻め込み、それに朱がつられて前に出てしまったのだ。

 男はその隙を見逃さず、鋭い一閃を環に振るう。後列にいる朱も同時に狙い撃てる太刀筋だった。

 辛うじて防御が間に合い、更に幸いなことに環の被っている馬鹿に霊力の高い手拭いと賢者の石に攻撃が当たったので、斬撃自体は防ぎきれた。だが確実に殺すつもりで放たれた太刀の勢いは尋常でなく、体躯の小さい環と朱は剣の勢いに吹き飛ばされてしまった。

 何とか吹っ飛んでいく朱と環の背中に覆いかぶさり、なびきの伸ばしてくれた布の助けはいったのだが、勢いを完全に殺すことは難しく、俺達は後ろにあった小屋の中にまで飛んでいった。
 
 空き家だったので中には誰も住んでいなかったのだが、それ相応に老朽化が進んでいて俺達が吹っ飛んできた衝撃で小屋そのものが崩れ落ちてきた。

「っぐ」

 落ちてくる天井がスローモーションに見えた。

 体が直接触れていた朱を抱きかかえると、転がる様に外へと逃げ出した。小屋は野良ネコの住処になっていたようで、驚いた数十匹の猫たちが縦横無尽に散らばっていった。

 そんな猫たちの姿を見て、朱がハッとした。

「環がおらん」
「何っ?!」

 まさか小屋の下敷きになったのか・・・。
しおりを挟む

処理中です...