この恋心はきっと貴方の毒になる

朝雨

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18 その男、交差する

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快楽なんてものは、代わり映えのない毎日の中でも案外転がってるもんだ。
好物の料理を食べる。
清潔な服を着る。
気に入った女と過ごす。
欲しいと思ったものを手に入れる…いや違うな、欲しいと思うものを見つけ、欲望を高め続けた後に手に入れないとな。
要は過程だ。結果を熟れさせるための、ぬるま湯のような、それでいて高揚そのものの過程。
それだけでそこそこの興奮もあれば、適当な達成感もあるだろう。
まあ、だからといって鏡に映る自分の面がいつでも満面の笑みかと問われれば、また違う話だがな。

今日の狩りは適当な達成感よりも上等な気分になれた。こういうのは何度体感しても良い。
結局屋敷に戻ったのは日が暮れる手前のことだった。
鷹は早々に小屋に戻したが、2頭の犬はまだ興奮状態が続いているようだ。仕留めた獲物をじっと見つめるその様子を横目に、兵士たちが鹿の皮を剥ぎ、解体を進めている。
雌鹿2頭か。初戦にしては上々だ。
剥製にするには貧弱な体つきだが、明日の晩餐に並べる程度の肉は取れるだろう。
「お手柄だ」
犬たちの頭を撫でてやる。
「よし、俺は先に部屋に戻る。肉はいつもどおり厨房に運べ。料理人に指示も忘れるなよ。それからこいつらに褒美だ、骨くらいはしゃぶらせてやれ」
「はっ」
コートを脱ぎ、ブーツの紐を緩めてから裏口に向かう。
さて、晩餐の時間だ。今日は白ワインだな。
裏口の扉を開ける。すると、室内から漏れるはずのランプの灯りがいつもより少ないことに気づいた。
…ああ、そんなところに突っ立ってんのか。
廊下の奥から、俺と似たような背格好の男が近づいてくる。無表情に反して、深緑の生地に金色の糸で細かい刺繍の入ったその服が、今日は一段と不釣り合いに見えて思わず口角が上がった。
「デイビット。ランバート家との婚約を破棄した理由を述べよ」
はっ、開口一番にソレか。
「おやあ、これはこれは、兄上ではありませんか。無事に戦地から戻られたようで何よりです」
うやうやしく頭を下げる。ゆっくりと。分厚い肉を奥歯で嚙みちぎるようにゆっくりと。
「挨拶は不要だ。婚約破棄の理由を述べよ」
相変わらず融通が効かんな、ロバート次期大公殿よ。戦地にいけば、その凝り固まった姿勢も多少はかと思ったが。
それよりも。それよりも、だ。
「いやいや、すでに兄上のお耳に届いているとは思いませんでした。母上からお聞きになりましたかな? 文字通りの愚行、長旅でお疲れの兄上にお聞かせするような話題でもございませんでしょうに」
「…いや、母上からではない」
「おや、そうですか」
ああ、そうだろうな。あの母が俺の話などするものか。情報源はおそらく…
「では、わざわざこの愚弟の起こした騒ぎを伝えんがため、戦地に走ることになった哀れな兵士でもおりましたかな?」
ゆっくりと姿勢を戻し、視線を交わす。
目の前の男の表情に変化はない。そして、反論もない。
図星だな。相変わらず正直者でいらっしゃる。
「くく、どうやら部下をこちらに残していたと見える。ご苦労なこった。その兵士も、アンタも」
「述べよ、理由を」
「ははは、さて、どうしてだったかな! 特に理由なんざ思い浮かばねえよ! 特にない、これが答えだ」
「貴様…」
「おら、答えたぞ。どけよ」
くだらん時間だ。もう兄の目を見る必要もない。廊下の奥の階段に向けて歩き出す。
そして、3歩進んだところで肩をつかまれた。
「なんだよ」
「カントスの町でランバート家令嬢にお会いした」
「…は?」
何だ? こいつ、何を言ってる?
「エレナ殿はお前の行動について、何故このようなことをしたのか理由を求めておられる。当然だろう、本当に突然の破談なのだから」
エレナだと? こいつ、エレナと会ったのか?
再びロバートと視線が交わる。
「デイビット、今のような誤魔化しは私には通じない。明確に理由を述べ、ランバート家に謝罪せよ」
「…それはできない相談だな、兄貴」
肩をつかんだままの腕を振り払い、兄に背を向け再び歩き出す。
「エレナ殿はサザントリアに戻られる。いずれ、ランバート家から正式に抗議の申し立てが届くだろう。大公家として、不透明な姿勢を取ることは許さん。覚悟しておけ」
返事はせずに、そのまま階段を上がる。すれ違った召使いが食事の用意などと話しかけてきたが無視して部屋に入った。
人払いをし、扉を閉め、鏡を睨む。
まさか。まさかの話だ。
兄貴とエレナが会っただと? カントスで?
あの女、まだ大公領をウロウロしていたのか。
いや待て、あれから何日経った? 兵士の話では、サザントリア方面の村でおろしたと…。とっくに故郷に戻ったものだと思ったが。
「…ははあ。あの時エレナを連れた御者も兄貴の部下か」
まったく、何人飼ってやがる。この屋敷もずいぶん住みづらくなったもんだ。
だが、そうか、これからサザントリアに戻るか。
「なるほどぉ、そいつは悪くないな、はははは! ではお望み通り、こちらから謝罪に向かってやろうじゃないか」
おもしろい。これは良い遊びになる。

翌日、俺は部下と犬どもを連れ、サザントリアに向かうことにした。
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