上 下
36 / 40
十三章 想いの交差

しおりを挟む
「おはよ~」
「おはよっ、おっ……、なーんか嬉しそうだな~?」
「えへへっ、ちょっとね~」
 この日も始まった。また的場とのバトルに耐えるだけの辛い一日が始まってしまった。琴乃はそう思っているのかもしれない。しかし私にとってその解釈はまるっきり見当違いだった。
 席についた。後ろにはまだ人影はない。私は後ろのさらに遠くを見た。その目線の先には啓介がいた。私は彼の目を見てうなづく。彼も私に気づいて無言で相槌を打つ。昨日彼が別れ際に告げた唯一の約束、『的場の前では互いに距離を取る』ことを私たちは確認しあった。
「ん? またあいつか……、好きだな~」
「あっ!」琴乃はまだ私のそばにいたようだ。全然気づかなかった。そうこうしているうちに、肩まで垂れた髪をふわつかせながら、やつが現れた。
「ちょっと啓ちゃん! なんで連絡してくれなかったのよ~」
「あっ……いや~、ごめんごめん……」
 登校して早々、的場は啓介に食い掛った。激高する的場を何とか抑えようと啓介は必死になっている。
 ガタンッ! 「はあ~っ!」
 何とか気が収まった的場は、イライラしながら乱舞に椅子を引いて私の後の席へ座った。
 うわ~、怖っ……。早く平常心に戻ってくれないかな~。
 そんなことを思っていたのだが、今度は私に食い掛ってきた。
「何よ! その目は! やっぱり、あなたが啓ちゃんを!」
 何を問い詰めているのかは大体想像がついた。しかし図星だったためどう答えたらよいのか全くわからなかった。とりあえず私は全身全霊で否定をし続けた。
「ふんっ!」

 なんとかその場をやり過ごした私は、今日も後ろから感じる強い圧力に耐えながら授業に臨んでいた。けれども私は幸せだった。もはや心の中は啓介と本当の相思相愛関係になれたことと、彼の方から告白してくれたことへの嬉しさで満ち溢れていた。
「ほら、どいたどいた。飯食おーぜー」隣の席の矢野を蹴散らし、琴乃はお弁当を持って私のもとへやってきた。
「琴姉~、食べよ~」私は嬉しさのあまりやっぱり気分上々だった。
 煮物を頬張りながら琴乃が言った。
「そういえば……今日の百合絵、やけに嬉しそうだな~、何かあったのか?」
 待ってましたー!
 居ても立っても居られなくなった私はすぐさま興奮気味に昨日の放課後の出来事を話し始めた。
「えっ!、あいつから……。まあでもやっぱ私の予想通りだな。とりあえず百合絵、おめでとう」
 一瞬驚いたが妙に納得したような表情の琴乃はやっぱりメモを取った。
「あーっ! またメモってる~」
「へへへーっ、当然だろー、だって昨日は百合絵にとって大切な記念日だからなー。それに百合絵の恋愛は私にとっては蜜の味だしー」
「もお~っ!」またネタにされたと思い不機嫌だった私だったが、うれしさの方が勝っていた。昨日の出来事を思い出すだけで私自身もニヤニヤしてしまうのだった。
 ニヤニヤしていた琴乃だったが、メモを取り終えるとパタンと手帳を閉じ軽くため息をついた。
「まあいっか、あいつもそういう気持ちなんだろ……。百合絵、あとはおまえの好きにしな。私はもう知らない」
 ぶっきらぼうにそう言うと、何事もなかったかのように再びお弁当を食べ始めた。琴乃が何を思っているのかはよくわからないけど、相変わらず嬉しい気持ちで満たされていた私は、「うん、好きなようにするー」と言い返した。

 その日から私と啓介は、機会を狙っては一緒に下校するようになっていた。

「え~! そんなぁ~」
「悪いっ。ちょっと図書館で予備校の宿題片づけなくちゃいけないんだ」
「も~、あたしも付き合う~!」
「ダメダメ……有機化学のめちゃくちゃ難しい問題なんだ。に時間はかかるよ~。しかも今日、予備校あるし」
「……んもおおっ~! わかったわっ! じゃあ啓ちゃん、明日は絶対一緒に帰ろうねっ! 約束だよっ!」
「ああ、悪いな」

 この日も啓介は何かと理由をつけて的場を先に帰らせようとした。その後一度図書館の入り口まで一緒に行き、そこで的場と別れ、的場が見えなくなるのを見届けると、彼らの後ろをこそこそつけていた私に向かって手招きをした。
「ねえ、もしかして今まで的場に話してたことって……」
「いや……、一応は本当だ。俺は予備校通いだし、その宿題もやんなきゃいけないし……」
「えっ……、それじゃもしかして……」
「悪いな西谷、二時間とは言わないけど、ちょっとだけ宿題付きあってくれ」
「ええっ~!」
 手を合わせ軽く頭を下げる啓介。そんな彼に驚く私。ちょっと面倒だったけれども、こうして私たちは的場の目を盗んでは一緒に学校を後にしていた。啓介と一緒にいられるのは学校から最寄り駅までの道とそこから数駅先の自由が丘に行くまでのわずかな時間だけだった。それでも私は幸せを十分に感じていた。

 そして、ある日の放課後。
「おーい、百合絵っ」琴乃が私を訪ねてきた。
「今日、理科部休みになったんだ。百合絵も家庭科部ないだろ~、久しぶり一緒に帰ろうぜ~」
 琴乃が誘ってきた。普段の私なら大喜びで誘いに乗るだろう。だけど……、そう思って私は後ろをちらっと見た。空席だった。
 せっかくのチャンスなのに……。
 そう、今日はまたとない大チャンスの日。何と、あの的場が学校を欠席していた。的場がいない日は問答無用で一緒に帰る日。私と啓介の間でそう決めていた。
「西谷……」舟渡がやってきた。おそらく彼もわかっているのだろう。一緒に帰ろうとか何とか言いたそうだった。
「ああ舟渡か……、どした?」琴乃が言った。相変わらずぶっきらぼうだ。最近の琴乃は啓介を見る時はいつもこんな感じだった。
「寒川……」琴乃と啓介の目が一瞬あった。そして何かを察したかのように啓介は切り出した。
「そうだ、西谷、せっかくなんだし三人で帰らないか?」
「えっ!」
 せっかくの日なんだし二人で一緒に帰ろうとか言ってくるのかと思いきや、まさかの彼の発言に、私は驚いてしまった。
 舟渡くんって結構優しいのね……。いや……、それとも琴姉が怖いから……?
 そんなことを思っていたけど、よくよく考えてみたらこれは私にとっては一石二鳥だ。大好きな二人と同時に一緒に帰れるなんて。
「いいじゃーんそれ、そうしようよ舟渡くーん」
「よかったー、じゃあそうしようか」
「というわけで琴姉、みんな……」
「帰る!」
「えっ……」
 突然の琴乃の言葉に私は固まった。啓介もナイスな提案をしてくれて、せっかくみんなで一緒に帰れると思っていたのに……。
「琴姉、何でよ」
「だっておまえら本当は二人で一緒に帰りたかったんだろ。あいつも休みだし……、邪魔しちゃ悪いからなー」
 すべてお見通しのようだった。私は恥ずかしがりながら必死に口を開いた。
「そ、そんなことないよー、二人とか三人とか関係ないし」
「そうだよ、寒川だって西谷と一緒に帰りたかったんだろ、なら……」啓介も恥ずかしそうにしていたが必死だった。
「いいよ私は。二人で仲良く楽しんで来い。それじゃーなー」琴乃はそう言うと、さっと振り返り、去り際に手を振りながら行ってしまった。
 私はその後姿を呆然と見つめた。
「琴姉……」
「西谷……ごめんな、俺があんなこと……」
「ううん、舟渡くんは悪くないよ。……ねっ、私たちも帰ろうよ」
「……そうだな」
 この日もまた、学校から自由が丘駅までのわずかな時間を私たち二人は一緒に過ごした。
しおりを挟む

処理中です...