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十三章 想いの交差

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「んも~、わかったわよ! どうせ今日もダメなんでしょ!」
「悪いな、毎週水曜日は予備校があるからその宿題とか予習とかしなきゃいけないんだよ」

 やっぱりこの日も、啓介は予備校の宿題や予習をすることを理由に的場を先に帰らせた。そして隠れていた私と合流し、図書館で宿題や予習をさっさと片付けるとそのまま一緒に図書館を後にした。啓介とのつかの間の幸せな時間が訪れた。
「舟渡くんって、ほんとすごいよねー。よくあんな問題スラスラ解けるよね~。私なんかちんぷんかんぷんだよ~」
「はははっ、ありがとう。……でもこんなんじゃダメなんだ……。まだまだ上はいる……」
「えっ……、そうなの……」
「ああ……、俺より頭のいいやつなんかざらにいる。意外かもしれないけど、これでも俺、今の予備校のクラスでは成績下の方なんだ」
「うっそ~!」
 意外だった。まさかこんなに頭のいい啓介が成績が悪いほうだなんて……。いったい彼の通っている予備校のクラスにはどんな化け物がいるのだるうか。とにもかくにも、普段からとてつもない競争にさらされている啓介の一面を知り、私はすっかり感心してしまった。

 にぎわった街並みに包まれ、遠くにどこか古臭い駅舎の屋根が見えてきた。この日私は啓介に感心しきっきりで、結局勉強の話しかできなかった。
「あー、もう駅着いちまったか……。悪いな、勉強の話ばっかで」
「ううん、平気よ」
「そっか……、ならいいけど。まあ今度はもうちょっと楽しい話しような。あっ、そうだ西谷っ、なにか面白そうな話題考えてきてくれよなっ!」
「うん!」
 私と啓介は乗る電車の方向は同じだけど、さすがに電車の中ではイチャイチャできない。短いけど二人だけの時間はここでおしまいになってしまう。
 舟渡くんってほんとすごいな~、私みたいなドジなおバカさんとは大違い。それにしても……、面白そうな話って言われてもね~……。
 啓介と並んで歩きながら漠然とそんなことを考えていた時だった。突然、私たちに向かって声が響いた。

「あぁー! 啓ちゃーん!」

 その声が耳に入った瞬間、私の背筋は凍り付いてしまった。……やつだ。どこに隠れていたのかは知らないが、まぎれもなく的場萌花本人の声だった。
 的場は私たちを睨みつけながらこちらへ近づいてくる。
「ちょっと、啓ちゃん! これどういうこと⁉」
 完璧怒っている。眉を吊り上げ、眉間にしわを寄せ、鬼のような形相で啓介を睨みつける的場に、普段彼の前でにこにこしながら絡みつく時の表情はかけらもなかった。
「も……萌花……、おまえ……」私以上に動揺していたのは啓介だった。彼はおどおどしながら慌てて私から離れた。
「啓ちゃん……もしかして、予備校とか勉強とか、全部嘘だったのね!」
 的場の怒りはさらにヒートアップしていった。もはや私たちの手にはとても負えなくなりそうなくらいだった。しかしさすがは頭のいい啓介。
「と、とりあえずここじゃまずい……、一緒に来てくれ」冷静さを取り戻した彼はそう言って、駅前にいた私たちを路地裏へと連れていった。

「どうして! ねえ、どうして!」的場が怒鳴りながら縋り付く。少しは怒りが収まったのだろうか。叫び声が多少の落ち着きを取り戻していた。
「なんで西谷さんなんかと一緒にいるのよ! ……やっぱりあたしを追い払うために……、だからいつもいつも図書館行くとか言って!」
「違う! 本当だ! 本当にいつも図書館で勉強してるんだ! だけど今日は……今日は偶然、西谷も図書館で勉強していて……、それで合流して……」
 動揺しながら、必死に弁明を続ける啓介。私には彼の言うことが途中からでたらめだということがわかっていたけど、危機感を感じていた私は、おそらく私以上に危機感を感じているであろう彼のために必死に首を縦に振った。
「ほ、本当よ! 舟渡くん、化学の難しい問題、図書館でずっと頑張って解いてたんだから!」
 私は思わず口走った。啓介が嘘をついていないことだけはわかってもらいたかった。しかしそれは逆効果だった。的場はさらに声を荒げ、怒りを露わにした。
「うるさい! 泥棒の西谷さんの言うことなんか信じられるわけないじゃない! 証拠はあるの⁉」
「ええっ!」
「ど、泥棒って……? 西谷……、おまえ……」
「ち、ちょっと! 違うわよ! そんなことしないわよ! 適当なこと言わないでよ!」
 誰が泥棒だ! しかも啓介の前で!
 突然の的場の言葉に、私は驚きとともに強い憤りを感じた。
「適当じゃないわよ! 私に見つからないようにのこのこと……、あんたなんか史上最低の啓ちゃん泥棒よ!」
 良かったのかどうかは知らないけど、的場の一言で、とりあえず私が窃盗犯だという疑いはかき消された。啓介も少しほっとしているようだった。
「何ほっとしてるのよ! 啓ちゃんだって最低よ! 証拠はあるの⁉」的場はまた問い詰め始めた。
 一安心していた彼は再び臨戦状態に陥ってしまったが、思いのほか冷静だった。
「証拠、見せればいいんだろ……」
 そう言うと彼は、背負っていたカバンを地面に置きチャックを開けると、図書館で私と一緒に眺めていたノートと予備校の教科書を取り出した。そしてそれらをペラペラ開いては的場の目の前に差し出すと、先ほど解いていた問題について話し始めた。
 ……まあ、これで納得してくれるでしょう……。というかあんな難しい問題、やつがわかるわけないじゃん。

 バササッ!

 難を逃れたような気分で胸をなで下ろしていた私だったが、突然の出来事に体がすくんでしまった。
「そんなのどうでもいいわよ! あたしは西谷さんと偶然一緒になった証拠が見たいのよ!」
 またもや路地裏に響く的場の怒鳴り声。それと同時に聞こえる数冊の本が地面に落ちる音。的場は啓介のノートと教科書を地面に叩きつけて激高した。
「やっぱりそうなのね! 西谷さんと二人きりで一緒に帰るためにわざとあんなことを!」
「だから違う! お願いだ! 信じてくれ!」
「信じられるわけないじゃない! 証拠もないくせに! そんなのもう無理よ!」
「ちょっと待ってよ! 偶然会ったのを証明する証拠なんてどうやって……」
 激高する的場。そしてその無理な注文に困り果てる啓介。相変わらず二人の攻防は続いていたが、次第に的場の態度が変わっていった。
「ねえ啓ちゃん! ひどいよ~! 何で……、何であたしに隠れて他の子とイチャイチャしてるのよ~!」
 的場は涙を浮かべていた。今までのようなただ怒りを叩きつけるような口調ではなく、悲しみのままに訴えるような口調になっていた。
「ねえ答えて! 何で⁉、何でなのよ⁉」
 まあ確かに的場の気持ちもわからなくはない。今この状況は的場から見れば啓介に浮気されたも同然である。私だって啓介が自分以外の女子と仲良くされるのは正直あまり気に入らない。おそらくその気持ちは同じ女子である的場も共通なのだろう。しかもやつはプライドが高いお嬢様系女子。なおさらその気持ちは強いはずだ。
「ねえ……、もしかして……、あたしのこと嫌いなのぉ……?」
「違う! それは違う!」
「本当に……?」
「本当だよ!」
 啓介の恋愛感情を確認し続ける的場。啓介も啓介でいまのこの危機的状況を早く収束させたいと考えているのか、何度も何度もその問いに答え続けた。
 やっぱり啓介は依然的場のことも好きなのか~。
 事態が収束に向かっている安心感を感じる一方で、啓介は私に対して告白してくれたけど、やっぱり的場に対しての恋愛感情は依然強いということを再び思い知らされた。結局私は舟渡の彼女たちのうちの一人にしかすぎない、ということを改めて自覚するのだった。
「萌花こそ……、こんな姿見て……、俺のことなんかもうとっくに嫌いになっちゃったよな……?」
「啓ちゃん……何言ってるのよ! ……私だって啓ちゃんのことが好きで好きで……だから……」洟をすすりうつむいて涙をぽろぽろ流しながら、弱々しく啓介の制服のすそをつかんだ。的場のこんな姿を見たのは初めてだった。人はこれほどまでに涙を流せるものだろうか。敵ながら少しだけ同情してしまう私だった。
「ねえ、だったら教えてよ! あたしと西谷さんのことどっちが好きなの!」
「……そ……、それは……」
 キターッ!
 究極の質問だ。私の頭の中では、ネットスラングである「w」の文字が連打されていた。啓介が私にちらちらと視線を飛ばす。何か助けを求めているのだろうか。それとも的場の方が好きだと答えてもいいかどうかを私の顔色を見てうかがっているだろうか。しかし私も私で、正直この状況では的場の方が好きだと答えざるを得ないだろうと思っていたし、助けようたってどうすればよいのか全く見当もつかなかった。結局私は、啓介には申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、うつむいて視線をそらし、口を紡ぎ続けた。
「ねえっ!」
「…………り……両方…………。両方だ」
 えっ! 両方⁉ ……啓介……そんなに私のこと…………。
 啓介の意外な返事に答えに淡い幸せを感じていた私だったのだが、的場の方は大変なことになっていた。
「両方ですって⁉ 何よそれ! あたしも西谷さんも同じだっていうことなの!」
「そ、そういうことじゃ……、二人ともどちらか選べないほど好きで……」
「選べないって何よ! やっぱりあたしも……、結局はあの西谷さんと同じような存在だっていうことじゃない!」
「……」
 的場は涙を流しながら再び激怒し始めた。啓介も目の前の的場から視線をそらし、うつむいてしまっていた。
「ちょっと! あたしの啓ちゃんを返してよ!」
「うがっ!」
 今度は私につかみかかってきた。的場は顔を紅潮させ涙をぼろぼろ流しながらもひどく怒っていた。私の制服の胸ぐらをつかむ力が強くなる。
「わ、私に言われても……」しかし正直本当にどうしようもなかった。私の方から啓介に的場以上に私のことを好きになるようにお願いしたわけでもないし、啓介に気に入られようとかわい子ぶってたわけでもなかったし。本当に今のこの状況は成り行きに任せたありのままの結果だったのだから。
「ごめん……、だけど私にもわからないのよ! 私だってなにかしたわけじゃないし……、だから舟渡くんに……」
「はぁ~っ⁉ 何よそれー!」そう言って的場はさらに私に詰め寄りつかみかかってきた。啓介も慌てて私の胸ぐらをつかむ的場の手を抑えてなだめようとする。
「なんで啓ちゃんが悪者みたいになるのよ! あんたが啓ちゃんに近づかなければこんなことにはならなかったのよ!」
「そ……」
「全部あんたのせいだからね! このバカァッ!」激怒した的場はそう怒鳴って私を突き放した。突然のことによろける私。啓介は的場に何か話しかけようとしていたがその啓介でさえも的場は振り払った。
「ひどいよひどいよ! あたしだって啓ちゃんのことが好きで好きでたまらないのに……それなのに……」
「萌花っ! わかった……わかったから今度から……」
「もういいっ!」そう言って的場はそばに置いてあったカバンを持ち、手を顔にあてうつむきながら一人帰ろうとした。もはや私にも啓介にもどうすることができなかった。的場は去り際に私をにらみつけると、プイッと視線をそらし、急ぎ足で去っていった。その瞬間、彼女の周りで何かが光ったような気がした。
 夕暮れに染まる通りを走り去っていく。私も啓介もただそれを呆然と見つめるだけだった。
 的場……そんなに…………。ううん……、でもこれで舟渡くんを独り占めできる。もう邪魔者はいなくなったんだ……。これでいいんだ……。そう、これでよかったんだ。
 私の中では安堵と不安と迷いが混ざり合っていたが、とりあえず自分自身を納得させようとした。
「ね、ねえ……舟渡くん……。私たちも帰ろうよ……」不安をかき消すかのように啓介に話しかけてみた。彼は何を思うのだろうか。
「萌花……俺のこと、そんなに…………」
 啓介は彼女が走り去った方を見続けていた。夕日のせいなのかその横顔は少し悲しそうにも見えた。そんな姿を見た私は、もはや何も話しかけることができなかった。
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