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   近衛中将の名をかたっていいことと言えば、一番に思いつくのはその身分の高さと肩書きだろう。けれど、あの中将にそんな必要があるのだろうか? 
 
 だって……。

「偽物のあのオーラも本物の上流貴族だったよな。それも本物の中将と同じか下手したらそれ以上の」

 佐理が思っていたことを清友が口にしてくれる。

「でも良かったじゃないか、これで佐理もあんまり罪悪感を感じなくて済む」

「どういうこと?」

「高子ちゃんの振りをしてたことに佐理はずっと罪悪感を感じていただろう。相手の中将だって嘘をついていたんだ。お互い様だよな」

 お互い様なのか? それとこれとはまた別なような気もするが。

「清友、実は清友に話してないことがあるんだ」

 佐理は伊勢で会った勅使のことを清友に話した。

 中将と同じ瞳で佐理を見つめ、熱い抱擁を交わした中将と同じ伽羅の香りを持つ男。

「佐理は勅使と偽物の中将、それに観月の宴の夜の男が同一人物だと思うのか?」

 佐理は手元に視線を落としたまま、しばらく黙っていたが、やがてコクリと頷いた。

「そっか、偽物の中将と顔が分からない男たちが皆同一人物だった場合。偽物は最初から、または途中から佐理が男だと気づいていたってことになる。弓術が得意で勅使だった男。やはり蔵人頭か? 中将の親友なら、悪ふざけで中将の名を語ったということもあり得る」

「悪ふざけをするような人には見えなかったけど。それに観月の宴の夜に私に一目惚れって、その前に散々会ってるのに?」

「じゃなかったら、全く別の人間ってことだ」

「別の人間って誰?」

「それは分からん」

 清友は真剣な顔を近づけてくる。

「佐理、とにかく相手は近衛中将じゃなかったんだ。花月を毛嫌いする男じゃなかったんだ」

「でも私は言ってしまったんだ。私があなたを好きになることは絶対にありませんって。あの時は二人は別人だと思ってたから」

「だったら、探し出してちゃんと訂正しないとな」

 清友の目尻が垂れて、優しい目になる。

「とにかく、まず蔵人頭の顔を確認するのが先決だ。あれこれ考えるのはそれからだ」

 確かに清友の言う通りだと思った。

 それから佐理はもう一杯清友に酒粕を奢られ、家路に着いた。



 蔵人頭の顔を確認すると言っても、なかなか難しいものがあった。

 蔵人頭といえば帝の側近。佐理のような下流貴族が対面できる相手ではない。

 そうしているうちに時間だけが過ぎていった。



 ある日清友がこんな事を言ってきた。

「本物の近衛中将、月光の君に頼んでみたらどうだ? 二人は親友なんだろ?」 

「どうやって? 月光の君だって蔵人頭と同じように普段会える相手じゃないのに」

「家の前で待ってみたらどうだ?」

「月光の君の家がどこにあるかなんて知らないよ、あっ」

 佐理の頭にある光景が浮かんだ。

 佐理の父に背負われて遠ざかっていく小さな背中。

「小君!」

「小君がどうかしたのか?」

「父が小君を中将の家に送って行ったんだ。だから父なら知ってると思う。というか、あの中将が中将じゃなかったという事は小君の本当の主人は誰だ? でも父は確かに近衛中将の家に小君を送り届けて来たって言ってた」

「う~ん、謎が多いな。とにかく一つ一つやっていくしかない。あとは月光の君に中将の名をかたる偽物がいるってタレ込んだらどうだ? それはけしからん! って月光の君が偽物を探し出してくれるんじゃないか?」

「それはしたくない……」

 佐理の中将を、罪人扱いしたくなかった。

「ま、それは冗談としてさ。俺思うんだけど、月光の君は何か知ってるんじゃないか?」

「何かって?」

「仮にも天下のリアル光の君の名をかたる男が京にいるんだよ。もしあの偽物が他の所でも近衛中将の名をかたっていたら、とっくに月光の君の耳に入って問題になっていると思うんだ。それがそうじゃないってことは、あの偽物は月光の君公認ってことになる」

 清友は顎を撫でながら、眉根を寄せる。

「これはもしかすると、もしかするかも……」

「なんだよそれ」

「まあまあ、とにかく佐理は蔵人頭の顔を確認することが先決だ。もし小君に会ったら、よろしく伝えておいてくれ」

 泣きながら父におぶわれて瀬央家をあとにした小君。

 小さなひまわりが咲いたような男の子だった。もしかしたらまた会えるかも知れないと思うと佐理は嬉しかった。



 佐理は早速父に近衛中将の家がどこにあるのかを聞いてみた。

 ちなみにあの中将が偽物だった件については黙っておくことにした。

「中将様と、その、また高子の振りをして会うのか?」

 父は複雑な顔をした。

「まさか。私の部屋から中将様の忘れ物が出てきたんです。それを届けようと思って」

 そう小さな嘘をついた。
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