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1章・戦火繚乱編
37、雪解けと共に
しおりを挟む雪解け。
雪が溶けて清水となり、草花は芽吹き虫が舞い、寝ていた生き物達がのそのそと姿を見せる生命の季節。
小さな虫が肉食の虫に喰われ、肉食の虫は小鳥や小動物に喰われ、小さな動物が大きな動物に喰われる。
その動物はより大きな動物に、その大きな動物もさらに大きな動物に喰われ、その果ては倒れて息絶え、小さな虫に集られる終わり。
春。それは生命の季節。
そして、生存と死亡が交差する争いの時期。
人々の暮らしもまた争いを迎えた。
城の広場で大規模な武闘大会を開き、猛者を見つけ出そうとする勢力。
商人や鍛冶屋から多量の武器を買い付けて戦争に備える者。
各勢力が戦争へ向けて戦力の強化を図った。
その中には徴兵も含まれていて、働き手の若い男を兵士とする為に領内のそこら中から男手をかき集める勢力もあったのだ。
すると、酷い集落では女子供と老人しか居ないような場所まであって、そういった村を狙う盗賊が増えた。
だけど、どこもかしこもそんな事情に構っていられなくて戦争に明け暮れた。
帝国軍は中央地域であるカルバーラを手中に治めんとカルバーラ諸侯軍と戦っている。
他方、西方地方と呼ばれるゼードル地方カセイ国ではカルシオスが雪解け早々に死んだ。
かつて帝国の宰相として重要な位置にいて、皇帝の代わりにもなった事のあるこの男は、雪解けと共にオルモードが攻め込んで来たのだ。
オルモードはカセイ侯ザルバールから兵等の支援を受けてカルシオスのオーゼリードを攻めた。
そして、見事にオーぜリードを落とすと、町の裏手から逃げようとしていたカルシオスをオルモードの配下のザウラスという元猟師の男が弓矢で射殺した。
また、今までは比較的平穏と言われていたアーランドラ帝国南方のルルム地方では、一大勢力であった公爵が死に、その後継問題による争いや公爵領を争いのうちに盗ろうという各領主の戦いが巻き起こっていた。
このように帝国内は混沌と騒乱、死と争いが跋扈している。
さて、そんな中でモンタアナといえば平穏の代名詞だ。
なにせラドウィンは争いに興味は無いし、彼の領土を冒しそうなカルバーラ諸侯軍や帝国軍は互いに争っていてモンタアナに攻める事が出来なかったからである。
すると各地の人々は安穏の地、モンタアナを目指せと集まってきたのだ。
今やモンタアナは広大な平野にそびえる大都市とも成りかけていた。
すると、モンタアナの富んだ地とラドウィンの名声を聞き付けた周辺諸侯がラドウィンの傘下への入りたがったのである。
ラドウィンの領土は気付くと、東はアーランドラの東端に当たるアルアティン山脈にまで届き、西はシンサンの天険な山岳地帯にまで広がっていた。
また、一度はカルバーラ諸侯軍に取られたクヮンラブル河沿いにあったブダーヴィアも、彼らが帝国軍と戦う間に空白地となっていたので取り返しておいた。
そういうわけで、ラドウィンの領土は東に山脈、西に天険の要害、南に大河を有する堅固な地となっていたのである。
アーランドラに各勢力の中で、恐らくは一か二を争う大きな領土だ。
そのように巨大な領主となったラドウィンであるが、彼はマイペースにもいつもの様に昼まで眠りこけていた。
そうして時は経ち四月、十六ヶ月間ある一年の中で夏に移ろい行く、特に暖かい春の季節。
ラドウィンの体を誰かが優しく揺り動かす。
彼が目を覚ますと優しげな微笑みが目の前にあった。
ミルランスだ。
前掛けを首から下げて、三角頭巾を頭に被った彼女を誰が皇帝であったなどと思おう?
この優しく慈しむ笑顔のどこに、激しい権力争いから命からがら逃げてきた姿があろう?
「もう時間よ。『あなた』」
そう言うミルランスの顔をラドウィンは見ると、ゆっくりと体を起こして彼女の頬にキスをした。
「おはよう、ミルランス」
「おはよう」
ミルランスが笑うとラドウィンはなんとも言えない幸せな気持ちになった。
さて、こう表現するとラドウィンの人格を疑われそうであるが、彼は元々ミルランスを愛していた訳ではなかった。
もちろん彼女の事は好きであったが愛と呼べるものではなく、ただミルランスの献身に応えてあげたいという気持ちの方が強かったのが事実だ。
だけど、彼女と結ばれて分かったのは、ミルランスが肩書きではないラドウィンを見ていたという事だ。
皇帝の血筋でも無く、辺境伯でも無く、モンタアナ領主でも無い、ありのままのラドウィンを見ていてくれたのだ。
例えば世の結婚となれば富や名声を狙ったものも多い。
ラドウィンはそういったものも一つの愛だとは思っていたが、なぜ仕事の中で利害関係に悩み、家庭にまで利害関係を持ち込む必要があるのかと思った。
少なくともラドウィンは家の中でくらい日々のあらゆる仕事を忘れて好き勝手したかった。
それでミルランスはそんなラドウィンそのものを好きで居てくれたから、ラドウィンは余計な肩肘を張らなくて済んだのだ。
二人ともせかせかと忙しい世界を嫌って、贅沢を言わずにゆっくりと暮らす静かな生活を望んでいたのも相性が良かった。
そういう訳でラドウィンは今となっては心の底からミルランスの事を愛していて、ミルランスもまた彼の事を愛していたのである。
あるいは二人が求めた幸せな暮らしというものはこういうものだったのかも知れない。
ともすれば、領主の地位だった捨てて、どこか見も知らぬ土地で静かに暮らしても良いとすら思う。
そう思った所でモンタアナの人々を見捨てられないのがラドウィンなのであるが。
ラドウィンは服を着替えて質素な食事――卵と三切れのベーコン、それとライ麦のパンとパンを柔らかくするための野菜スープ――を食べると『モンタアナ町』にある役場へと向かった。
役場はモンタアナが大きく発展してきた為に新設された広い建物だ。
町と村の違いを述べるなら、この役場があるかどうかが一つの基準とも言える。つまり正式にモンタアナは村から町になった。
その役場の特に広い一室で月に一度、ラドウィン領の各地を治めている人々が集まって会議をする。
例えば今シンサンを治めているのは、かつて賊に身を落としていたデビュイで、この会議には彼の代理の男が来ていた。
ラドウィンは護衛としてタッガルとキルムを連れて役場のその部屋に入ると会議を始める。
会議と言っても、大概は収穫量の話や細やかな問題事の話でラドウィンはあくび混じりにそういった話を聞いているくらいだ。
この姿を見ると、戦争の時の気迫に武人とは思えない気の抜けようであった。
実際、ラドウィンはこんな予定調和な事しかしない会議なら行う必要も無いと思っていたのである。
さて、そんな会議もそこそこに終わろうかという時、モンタアナを実質治めている役場の長トゥートゥーがモンタアナの自警団に関する問題を述べた。
五十歳で老齢のトゥートゥーは白い髭の生える顔を疲れさせて言うのだ。
かつてタッガルは自警団の長であったが、彼は今や軍団の将として重要な位置であったから、今はゴズという男がモンタアナの自警団を率いていたのである。
トゥートゥーの述べるところによれば、そのゴズが問題という事なのだ。
「ゴズは自警団の権力を利用して、好き放題に暴れています」
そのゴズという男は大層な暴れん坊で、しかも悪知恵の働く者であった。
ラドウィンやタッガルなんかの偉い人々にバレないよう悪行を行う天才とも言えた。
ラドウィンは欠伸をやめて真面目な心持ちでタッガルにゴズの事を聞く。
タッガルは口元を撫でながら、申し訳なさそうな顔で「そんな事は無いと思いますが、あいつの性格ならあるいは……」とその可能性を示唆する。
「分かった。直ちに調べて適切な処置をしよう」
ラドウィンはそうトゥートゥーに伝えると、今度は列席している皆を見渡して、「他には? 無ければこれで会議を終わらせよう」と言った。
すると、一人、静かに手を挙げた者がいる。
それはデビュイの代理でこの会議に参加していたモルクールという男だ。
彼は三十歳くらいの内気な男であるが、真面目な男である。
そんな彼は懐から手紙を出して広げると、「この手紙に関して、皆さんに伝えたく思います」と読み上げた。
その手紙の内容というものが、皇帝ティタラの直筆で「ラドウィンを裏切って帝国に帰参しろ」というものである。
もちろんデビュイがそのような言葉に乗るわけもなく、このようにラドウィンを代理の使者を出して手紙の件を伝えに来たのである。
「今回、私がデビュイの代理で来たのは、帝国がシンサン経由で攻めてくる危険性を考慮したからです」
デビュイは、いつ帝国が攻めてきても良いように軍備を進めている。
モルクールは気の小さそうな顔を困らせてそう伝えた。
ラドウィンは帝国がわざわざデビュイを変心させようとする理由を考える。
理由としては、帝都北方の要害の地を欲している可能性。
もう一つは『モンタアナそのものを攻めよう』としているか。
実際、ラドウィンは一度命を狙われているのでその可能性も考慮に入れる事は出来た。
「シンサンの防衛を強化しよう」
ラドウィンがそのように採決を下す。
他にはあるのかと聞くと誰もおらず、会議もついに終わりかと思われた。
その時「ちょっと待て」と言った者がいる。
それは口髭をビンビンに生やした老騎士のガッツォンだ。
彼は不満な顔をラドウィンに向けて「我が主人にサスパランドを返すのはどうなった」と言う。
確かにモンタアナにはサスパランド領主であったトルノットの妻と娘が居る。
だが、彼女達の為にカルバーラ地方に攻め込む約束などしてはいない。
それにラドウィンの保有戦力は領土の割に少ないので他国を攻める余裕など無かった。
なので、善処はするけど期待しないで欲しいとガッツォンに伝えて会議を終わらせたのである。
役場から出たラドウィンは溜息が出た。
ゆっくりと暮らしたいのだが、どうもゆっくり出来そうに無い。
ひとまず、タッガルへと信頼できる者を自警団に入団させて内情を探るように伝えた。
それからキルム達と別れたラドウィンは屋敷の執務室にて各地の町村に防備と援軍態勢を整えるよう命じた手紙を書いた。
もちろん手書きゆえ、領土が増えるとその分の手紙も増える。
なので半日は手紙と格闘せねばならなかった。
途中でミルランスの手料理を食べて––その日はミルランスが世話になっていた老婆が来て、老婆とミルランスの二人で作った料理を食べた––、それからゆっくりと談笑をお茶請に紅茶を嗜んだ。
お茶が終わったのはやや太陽が傾いてきた時で、老婆を見送り、ミルランスが食器を片付けているのを見ると、さあもうひと頑張りだぞとラドウィンは執務室に戻り、手紙を書くのであった。
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