トンネルの菊子さん

ウズベキ

文字の大きさ
1 / 1

トンネルの菊子さん

しおりを挟む
 私の高校に、知らない者はいない怪談がある。その名も「トンネルの菊子さん」ありきたりな呼称だけど、学校の怪談なのに場所がトンネルってところは、割と斬新だと思う。
 その噂の場所は、学校の裏門を出た先にある。公道と面している正門とは裏腹に、鬱蒼とした木々が太陽の光を遮っていて、昼でも薄暗い。整備もろくにされていない道をしばらく進んだところに、狭くて短い、寂れたトンネルがある。夜中の三時に、そのトンネルの真ん中で「菊子さん」と三回言うと、恐ろしい事が起きると言われている。
「トンネルの菊子さん」の概要はこんな感じ。誰がいつ、何のために流した噂かは知らないが、学校という閉鎖的な空間での集団心理は凄まじく、トンネルはおろか裏門にすら畏怖して近寄らない生徒も多い。怖がりな私自身、その例外ではなかった。
 そんな私が、なぜ深夜の二時に、親が寝静まったのを見計らって、件のトンネルへ向かっているのか。それは私が転校生であり、イジメの標的になってしまったからだ。
 私の名前は五味薫(ごみ かおる)。私は自分の苗字が嫌いだ。転校前も、転校してからも、この苗字のおかげで、精神年齢の幼いアホにからかわれてきた。そして今日も、クラスで一番嫌な奴の加藤(下の名前なんてどうでもいい)に
「おいゴミ、今夜菊子さんのとこ行ってきたら、これからは薫って呼んでやるよ」
 と言われた。私はこんな奴に下の名前で呼ばれたくもないのに、上から目線の物言いに腹が立った。私がゴミならお前は下等だクソが。そんなことを考えながら無視を決め込んだが、下等もとい加藤が「私が今夜菊子さんのトンネルへ行く」と触れ回ったため、昼休みにはクラス中が大騒ぎだった。普段仲良くしている女子でさえも
「薫、今夜あそこ行くんでしょ? 気をつけてね」
 などと話しかけてきた、同情のこもった目の中に、はっきりと期待の色が見えた。誰も私に「あんな奴の言うことなんて気にしないで、行かなくてもいいよ」とは言わなかった。
 ホームルームが終わった後、私は加藤の「ちゃんとスマホで撮影して来いよ、証拠としてな」という声を背に受けて教室を出た。改めて、学校という閉鎖的な空間での集団心理は凄まじい、ウンザリだ。
 深夜二時五十分。トンネルの入り口に到着した私は、震える手で懐中電灯を握り直した。このままいじめられるくらいなら、菊子さんにでも呪い殺された方がマシだと、本気で思った。頼れるのは懐中電灯の出す一本の細い光だけ。反響する自分の足音に時々飛び上がりながら、私はようやくトンネルの真ん中に辿り着いた。スマホを取り出し時間を確認すると、三時の二分前。カメラを起動し、動画の撮影を始める。暗闇を映しているスマホカメラが、一秒、また一秒と録画時間を伸ばしていく度に、鼓動が早くなってくるのがわかる。そしてとうとう、撮影時間が二分を経過し、深夜三時を迎えた。
「き、菊子さん菊子さん菊子さんっ!」
 目を閉じて叫び、トンネル内にこだました私の声が完全に止むのを待った。
 恐る恐る目を開けたが、何も起きてはいない。なんだ、やっぱり噂はただの噂だったのか。スマホの録画を止めて、元来た道を戻ろうとした瞬間…
 目の前に、真っ白な女の顔があった。髪はボサボサで、目は釣り上がっている。
「ギャヒイイイイイイ」
 と、おおよそ健全な女子高生が出してはいけない悲鳴を上げ、私は尻餅をついた。腰がぬけるなんて、昔話の中でしかあり得ないと思っていた。
「イヒ、イヒヒヒ…ヒヒ…」
 恐怖が極限状態を迎え、もはや悲鳴とも笑いともつかない声が口から漏れた。すると
「なんだ、陰キャの女が一人かよ」
 幽霊がフン、と鼻を鳴らした。
「へ? き、菊子さん…ですか…?」
「その呼び方やめてくんね? マジムカつくから」
「あ、あ、す、すみません…あの…話せるの…?」
「ハァ!? 今話してんだろうが! 」
 突然顔を近付けられメンチを切られたため、私はまた「ヒェッ」と小さな悲鳴を上げた。菊子さんには眉毛が無かった。
「トンネルの菊子さん」の噂は本当だった。しかしその名前に似合わず、菊子さんはバリバリのヤンキー幽霊だった。

「たま~にだけど肝試し目的のバカップル大学生が来るんだよね、ここ。マジムカつく。アンタは何しに来たの? ちょっと眩しいから明かり下に向けろ」
 懐中電灯で菊子さんの全身を照らしてみると、うちの高校のセーラー服(冬服)を着ている。白い顔は化粧が濃かっただけだったし、ボサボサに見えた髪もただのパーマがかかったロングヘアーだった、しかも金髪。
「実は…」と、私はここへ来たいきさつを話した。話し終えた途端
「そんな男ブン殴ってやり返せよ! 同じ女として恥ずかしいんだけど。ブン殴るとまではいかなくてもさあ、もっと自分の意見をさ、ガツンと言えないわけ? 情けなくないの? 弱えなぁお前」
 めちゃくちゃ怒られた。ある意味怖い幽霊だった。
「あとこんな時間に女子がひとりで外に出てきたらダメだろ。親には『友達に急に呼ばれて、朝まで付き合うことにした』とか適当にメール送っとけ、あー今はラインとかいうやつだっけ」
 ちょっと優しいところもあった。
「あの、菊子さんは…」
「だからその呼び方やめろっての、私の名前は菊子じゃねーよ」
「…本名はなんていうの?」
「菊池愛だよ、菊子ってのは苗字からきてるんだろうねきっと。ダセェネーミングセンス」
「じゃあ、愛ちゃん」
「待てお前、今何年?」
「2018年」
「ちげーよお前の学年。まーそれも知りたかったけど」
「一年…」
「私の享年が十七で、高二の時だから敬語使え」
「は、ハイ…じゃあ愛さんで…」
「おう」
「愛さんは、なんでここにいるんですか?」
「あ? あーお前転校して来たから知らねーのか。八年前にここで殺されたんだよねー私。正面からだったら逆にブッ殺してやれたんだけど、後ろから、しかもナイフよ。ウザくねマジで。大の男が女子高生の背後から武器使うってありえなくね?」
 今のあんたの存在がありえない、とは口が裂けても言えなかった。菊子さん、もとい愛さんは、2010年の秋にこのトンネルで通り魔に襲われ、命を落としたという。
「そんで気づいたら幽霊になってたんだけど、ここから動くこともできねーし、私を殺した男がもしまたここに来るような事があればそいつに復讐することで成仏出来るんじゃね、って感じで」
「地縛霊、ってやつですか」
「そーそー、陰キャってそういう事詳しいよな」
「寂しくなかったんですか?」
 私の問いに、愛さんは少し言葉に詰まったようだった。
「認めたくないけど寂しかったかもね。生前付き合ってた彼氏…いや、元カレか…元カレが、別の女連れて肝試しに来た時とかフツーに死にたかったし。まーもう死んでるんだけど、ウケる」
「エピソードが辛すぎます全然ウケません」
「それな。でもお前みたいな陰キャと喋っててるだけでもメッチャ楽しいからありがてーわ」
「それは良かったです」
「そういやお前の名前は? なんてーの?」
「五味薫です」
「へー、燃える方? 燃えない方?」
「怒りますよ」
「おお、じゃあ燃えるゴミだな」
「帰りますよ」
「ウソウソウソ! 帰んなよ! 薫が通ってんの、私が通ってたとこと同じ高校だろ?」
「そうですね、愛さんの着てる制服見る限り」
「次いつお前みたいに話聞いてくれるヤツが来るかもわかんねーしさ、私の武勇伝聴いてけよ。苗字にコンプリートがある者同士仲良くしよーぜ」
「コンプレックス、ですか」
「それな」
 それからたっぷり一時間ほど、愛さんは幸せそうに話し続けた。話の内容は、セクハラした教頭をボコボコにした事、隣町の学校のヤンキーをボコボコにした事、浮気した元カレをボコボコにした事という、オチが毎回同じのバイオレンスな話ばかりだったが、愛さんの話し方が上手くて、どれも面白かった。
「あとさ、うちの高校に、男女の更衣室あるだろ? 体育館の横の」
「ありますね」
「あれ、女子更衣室の方がチョイ広いの知ってるか?」
「へぇ、知りませんでした。どうしてですか?」
「元々男子更衣室と女子更衣室は逆だったんだけど、私の代で男子との全面戦争に勝って、広い方を女子更衣室として奪い取った」
「全面戦争って…」
「余裕でボコボコにした」
「結局そのオチになるんですね…私も愛さんと同じ代に生まれて、同じ高校に通いたかったです」
「その願いマジで叶うかもよ」
「え?」
 気づくと、愛さんの身体が透け始めていた。
「私を殺した犯人を殺せば成仏出来ると思ってたけど、そーじゃなかったっぽい。なくなれば良かったのは私の寂しさだったわけね。これから薫が、同じクラスの男とか、何かにムカついた時は助けてやるよ。話に付き合ってくれてありがとな」
「あの、私も最後にひとつだけ訊いても良いですか?」
「ん、手短に頼むわ」
「殺されちゃった時、愛さんはなんでここに居たんですか?」
 すると愛さんは、私から目を逸らし、照れくさそうに言った。
「恥ずかしくて不良仲間には言ったことなかったんだけど、花とか植物が好きだったんだよね、私。秋になるとトンネルの周りの紅葉がマジ綺麗でさ、よく一人で見に来てたんだ」
 そう答えてくれた時の愛さんは、普通の女子高生の顔をしていた。

 私が家に帰ったのは五時ごろ、親が起きてくる直前だった。そのまま三時間ほど眠り、学校へ行った。教室に入るなり、ニヤニヤしながら加藤が話しかけて来た。
「よーゴミ。昨日ちゃんと行って来たか菊子さんのとこ」
「うん、行ってきたよ」
 ざわめく教室。
「じゃあ早く証拠出してみろ、ちゃんと動画撮ってきたんだろ?」
 どうせハッタリだ、と言わんばかりに煽る加藤。私は最初から動画なんて見せるつもりはなかった。身体の内側が熱くなるのを感じてたから。
「動画じゃないけど、これが証拠」
 そう言った途端何かに、というかさっき知り合った女ヤンキーの霊に取り憑かれたように私の身体は勝手に動き、加藤を思い切りブン殴っていた。吹き飛ばされて顔を抑える加藤に、私(?)は言った。
「お前マジウゼェ」
「わ、悪かった…薫…」
 すぐに教師が来て、職員室に連れて行かれたが、私の心は晴れやかだった。途中で体育館の前を通った時、男子更衣室よりも少し広くなっている女子更衣室を見た。どこからか「ほらな、言った通りだろ」と声が聴こえたような気がして吹き出した私を、教師は怪訝そうな顔をして見ていた。
 その後、私は加藤のことを良く思っていない女子たちから賞賛され、仲の良い友達も増えた。もう金輪際暴力は振るわないけど。それに、自分の苗字を気にすることもなくなった。同志がいてくれるおかげだ。
 そして夏休みが始まり、あっという間に新学期が始まり、秋が来た。放課後、私は裏門を開け、ひとり学校を出る。しばらく歩くと、鮮やかに色づいた紅葉が頭上に広がっている。臆せずトンネルに入り、ちょうど真ん中に来た辺りで、私は手を合わせる。
「愛さんにも自分の苗字を好きになってもらえるように」
 と、小さな花瓶にさした赤い菊の花を地面に置いた時、薄暗いトンネルの中が少しだけ明るくなったような気がした。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

2回目の逃亡

158
恋愛
エラは王子の婚約者になりたくなくて1度目の人生で思い切りよく逃亡し、その後幸福な生活を送った。だが目覚めるとまた同じ人生が始まっていて・・・

友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった

海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····? 友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))

真実の愛を見つけたとおっしゃるので

あんど もあ
ファンタジー
貴族学院のお昼休みに突然始まった婚約破棄劇。 「真実の愛を見つけた」と言う婚約者にレイチェルは反撃する。

貴方の側にずっと

麻実
恋愛
夫の不倫をきっかけに、妻は自分の気持ちと向き合うことになる。 本当に好きな人に逢えた時・・・

処理中です...