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??? 編
旅をする生命 その3
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桜が咲いた。五分咲きくらいの桜が。
このくらいの桜が好きだった。中途半端だから。
全て咲いたと知ってしまえば、もうその先は散るしかないのだから。
このまま時が止まって欲しい。そうすれば、彼女を探す必要すら無くなるのだから。
深い後悔など、することは無いのだから。
「咲いたねー。しかもまだまだ蕾が残ってる。これからもっと綺麗になるんだよ?ワクワクするね。」
春の陽気のように笑う彼女は、いつも私たちが集う木の枝に手を伸ばして微笑んだ。蕾に差し伸べる白い指が、桜の色を写してほんのりと薄紅色に見えた。
「満開になるの、楽しみ?」
「・・・いや、このくらいが好き。」
「おっ、気が合うね。満開も好きだけれど、私も五分咲きが一番好きだなぁ。まだ終わりじゃないよって感じがしてさ。」
話を合わせてくれたのだろうか。中途半端が好きなんて人がいるとは。
自分のことを棚に上げてそんなことを思うほどに、私と彼女は感性が似ていた。
似た者同士だ。私は勝手にそう思っていた。彼女がどう思っていたのかは、今となっては分からないが。
少なくとも毎日、夕方の時間この場所に来ては、お互いに話したいことを話した。
急な雨に降られたこと、美味しい店を見つけたこと、家の近くに野良猫が住み着いたこと。
どれもたわいない、それほど面白くもない話。
それを楽しそうに話して、嬉しそうに聞いている彼女は、まるで人恋しさに見た幻のようだった。
黒いはずなのに透き通った髪も、桜の色を写す白い肌も、消え入りそうな儚さがあった。
「・・・私、顔に何かついてる?」
「えっ?いや・・・」
話しているうちに見惚れる、なんてことは何度もあった。その度に気恥ずかしくなり、言い訳を探す日々だった。
「あっ、髪。」
「髪?」
「髪に桜が・・・」
桜の花びらが話題を提供するかのように彼女の髪にひっついていた。
彼女は少し嬉しそうに髪についた桜を取ろうとするが、後ろ髪に引っかかって中々落ちない。
「えー、どこ?取って?」
ふと、彼女が背中をこちらに向けた。女性の髪に触れたことなど無かったからか、変に緊張してしまう。
何故か嬉しそうにしている彼女を不思議に思いながらも、まるで髪に触れたらアウトかのように慎重に花びらを取った。
「取れたよ。」
「えへへ、ありがとう。君知ってる?桜の花びらが地面に落ちないうちに取れたら、幸せになれるって話。」
楽しそうに笑って、彼女は教えてくれた。先ほどから喜んでいたのもそれが理由らしい。
微笑む顔は何度も見たが、彼女が歯を見せて笑ったことはこれが初めてだった。
「だからきっと、それ持ってたら幸せになれるよ。」
「髪についたのはセーフなの?」
「地面じゃないからセーフなの。」
やったね、と笑顔で私の頭を撫でる。まるで自分が幸せになれるかのように。
だが、私はそれを自分が貰ってはいけないと思った。何故なら、本来は彼女に寄ってきた桜なのだから。彼女が享受するべき幸福なのだから。
私はそのとき初めて、彼女に躊躇うことなく触れた。彼女の手を取り、その柔らかで冷たい掌にそっと花びらを乗せた。
「あげる。ホントは、お姉ちゃんがもらうものだ。」
彼女は目を丸くして驚いていた。そして、少し困ったような表情を一瞬浮かべた。
しまった。
その瞬間ドキッと、嫌な胸の高鳴りを感じた。
困らせた。きっと嫌な思いをさせた。
このたったの数瞬、私は人生で一番怖い思いをしたかも知れない。もう会えないのではないかとすら思った。
しかしそんなことは杞憂であるかのように、彼女は優しい笑顔を浮かべて、ありがとう、とひと言呟いて掌を畳んだ。
この日、私はようやく彼女に対して抱く感情が恋なのだと自覚した。桜は、もうじき満開を迎えようとしていた。
満開の桜を見る約束をした。またいつもと同じ時間、同じ場所、同じ桜の木の下で。
私は手紙を書いた。彼女に好きだと伝えるために。
直接言えば良いのに、肝心なところで勇気は出なかった。
ここまで頑張ったんだ、許してくれと自分に言い聞かせ、私は高鳴る鼓動を精一杯に圧しこめ、彼女に会いに行った。
会いに、行ったのだ。
「・・・まだ、来てない。」
たしかに、あの場所に。
「・・・寝てるのかな。朝弱そうだったし。」
しかし、いくら待っても彼女は来なかった。
「さすがに今来たって言えないなぁ・・・」
誰が来る気配も無かった。
「・・・・・・・・・」
あの麗らかな声も、白いワンピースも、綺麗な黒髪も、何処にも見当たらなかった。
春の風が、やけに冷たく感じた。冷めた頭で考えた。
浮かれていたのだ。まともに話せて。友人すら居なかった私に、初めて仲良くなったと思える相手が居て。
目の奥が熱くなっても、頭の奥は冷たくなっていく。
いつとも、何処とも決めていない関係だったのだ。彼女とは・・・
ふと、思い出した。
彼女の名前すら、私は知らなかった。
その瞬間、私の目から何かが頬を伝って落ちた。
何にも引っかかることなく、地面に落ちた。
桜は、見事なまでの満開だった。
このくらいの桜が好きだった。中途半端だから。
全て咲いたと知ってしまえば、もうその先は散るしかないのだから。
このまま時が止まって欲しい。そうすれば、彼女を探す必要すら無くなるのだから。
深い後悔など、することは無いのだから。
「咲いたねー。しかもまだまだ蕾が残ってる。これからもっと綺麗になるんだよ?ワクワクするね。」
春の陽気のように笑う彼女は、いつも私たちが集う木の枝に手を伸ばして微笑んだ。蕾に差し伸べる白い指が、桜の色を写してほんのりと薄紅色に見えた。
「満開になるの、楽しみ?」
「・・・いや、このくらいが好き。」
「おっ、気が合うね。満開も好きだけれど、私も五分咲きが一番好きだなぁ。まだ終わりじゃないよって感じがしてさ。」
話を合わせてくれたのだろうか。中途半端が好きなんて人がいるとは。
自分のことを棚に上げてそんなことを思うほどに、私と彼女は感性が似ていた。
似た者同士だ。私は勝手にそう思っていた。彼女がどう思っていたのかは、今となっては分からないが。
少なくとも毎日、夕方の時間この場所に来ては、お互いに話したいことを話した。
急な雨に降られたこと、美味しい店を見つけたこと、家の近くに野良猫が住み着いたこと。
どれもたわいない、それほど面白くもない話。
それを楽しそうに話して、嬉しそうに聞いている彼女は、まるで人恋しさに見た幻のようだった。
黒いはずなのに透き通った髪も、桜の色を写す白い肌も、消え入りそうな儚さがあった。
「・・・私、顔に何かついてる?」
「えっ?いや・・・」
話しているうちに見惚れる、なんてことは何度もあった。その度に気恥ずかしくなり、言い訳を探す日々だった。
「あっ、髪。」
「髪?」
「髪に桜が・・・」
桜の花びらが話題を提供するかのように彼女の髪にひっついていた。
彼女は少し嬉しそうに髪についた桜を取ろうとするが、後ろ髪に引っかかって中々落ちない。
「えー、どこ?取って?」
ふと、彼女が背中をこちらに向けた。女性の髪に触れたことなど無かったからか、変に緊張してしまう。
何故か嬉しそうにしている彼女を不思議に思いながらも、まるで髪に触れたらアウトかのように慎重に花びらを取った。
「取れたよ。」
「えへへ、ありがとう。君知ってる?桜の花びらが地面に落ちないうちに取れたら、幸せになれるって話。」
楽しそうに笑って、彼女は教えてくれた。先ほどから喜んでいたのもそれが理由らしい。
微笑む顔は何度も見たが、彼女が歯を見せて笑ったことはこれが初めてだった。
「だからきっと、それ持ってたら幸せになれるよ。」
「髪についたのはセーフなの?」
「地面じゃないからセーフなの。」
やったね、と笑顔で私の頭を撫でる。まるで自分が幸せになれるかのように。
だが、私はそれを自分が貰ってはいけないと思った。何故なら、本来は彼女に寄ってきた桜なのだから。彼女が享受するべき幸福なのだから。
私はそのとき初めて、彼女に躊躇うことなく触れた。彼女の手を取り、その柔らかで冷たい掌にそっと花びらを乗せた。
「あげる。ホントは、お姉ちゃんがもらうものだ。」
彼女は目を丸くして驚いていた。そして、少し困ったような表情を一瞬浮かべた。
しまった。
その瞬間ドキッと、嫌な胸の高鳴りを感じた。
困らせた。きっと嫌な思いをさせた。
このたったの数瞬、私は人生で一番怖い思いをしたかも知れない。もう会えないのではないかとすら思った。
しかしそんなことは杞憂であるかのように、彼女は優しい笑顔を浮かべて、ありがとう、とひと言呟いて掌を畳んだ。
この日、私はようやく彼女に対して抱く感情が恋なのだと自覚した。桜は、もうじき満開を迎えようとしていた。
満開の桜を見る約束をした。またいつもと同じ時間、同じ場所、同じ桜の木の下で。
私は手紙を書いた。彼女に好きだと伝えるために。
直接言えば良いのに、肝心なところで勇気は出なかった。
ここまで頑張ったんだ、許してくれと自分に言い聞かせ、私は高鳴る鼓動を精一杯に圧しこめ、彼女に会いに行った。
会いに、行ったのだ。
「・・・まだ、来てない。」
たしかに、あの場所に。
「・・・寝てるのかな。朝弱そうだったし。」
しかし、いくら待っても彼女は来なかった。
「さすがに今来たって言えないなぁ・・・」
誰が来る気配も無かった。
「・・・・・・・・・」
あの麗らかな声も、白いワンピースも、綺麗な黒髪も、何処にも見当たらなかった。
春の風が、やけに冷たく感じた。冷めた頭で考えた。
浮かれていたのだ。まともに話せて。友人すら居なかった私に、初めて仲良くなったと思える相手が居て。
目の奥が熱くなっても、頭の奥は冷たくなっていく。
いつとも、何処とも決めていない関係だったのだ。彼女とは・・・
ふと、思い出した。
彼女の名前すら、私は知らなかった。
その瞬間、私の目から何かが頬を伝って落ちた。
何にも引っかかることなく、地面に落ちた。
桜は、見事なまでの満開だった。
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