褪せた世界をもう一度

湊鈴

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ペンと酒

0℃の世界で

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時間は深夜の何時か、暗くてせせこましい部屋の中で、電気スタンドから降り注ぐ僅かな光と液晶タブレットの機械的な光を頼りに、私はペンを走らせる。
 
部屋は冷たい空気と汗の匂いが充満しており、加工されたオークの床のあちらこちらには私が描いた失敗作が散乱している、とてもではないが足の踏み場はない。
 
世間はクリスマスイブの真っ只中、普通の人なら友人やら彼女と談笑、又はベットで戯れているにも関わらず、私は数本のエナドリと共に憂鬱な原稿を仕上げている。
 
 
「マジ終わらねえ...最悪..」
 
 
17歳ぐらいの時に漫画家を志し、20歳の時に大学で勉学と友人付き合いに勤しむ傍ら、周囲には秘密でこっそりSNSアプリにイラストを投稿し、22歳の時に依頼を引き受けれるレベルのイラストレーターへと昇格し、25歳の時に念願の漫画家になった。
 
最初の頃は楽しかった、時に辛い事があっても絵の力で乗り越えたし、何よりになるという絶対的な目標があった。
 
だから乗り越えられた。
 
でも現実は違った。
 
世界というか神というか、皆の言う通り現実は甘くなく、寧ろ苦しすぎるほどだ。
 
夢見た漫画家になれた私に待ち受けた物は、時間的経済的な束縛は勿論の事、何より漫画が一切伸びない事であった。
 
毎日毎日椅子に座っては液晶画面と睨めっこをし、あーでもないこうでもないと試行錯誤を続け、数十時間経ってようやくSNSへと投稿出来た漫画への評価は最悪で、「つまらない」「なんか違う」「絵柄が嫌い」と無情過ぎる言葉ばかり、中には高評価してくれるコメントもある、というより過半数は賛美の物ばかりだと思うが、所謂アンチコメントばかりが私の目に入り込む。
 
昔だったら無視出来たコメントも、今は違う。
 
手塩にかけ、やっとの想いで投稿出来た絵に対してここまで言われていると思えば、軽く吐き気がした。
多分、金も稼がねばいけない事も負の感情の後押しをしたと思う。
 
ただ難しい事に、意外と金はその場しのぎてあるものの稼げてしまった。
 
お陰で今日に至るまで何とかやり繰りしつつ、この歳まで転職活動等せずにただひたすらに絵をSNSへと投下する機械へと成り果ててしまったのである。
 
結果的にはこの歳(29歳)まで運命の出会いはなし、これと言ってヒットした漫画もなし、強いていうならイラストがちょこっとバズっただけ。
 
 
「あーダメだ、腹減った。なんかなかったかぁ?」
 
 
昼からマトモな物を口にしていなかったので、グルルと永遠に腹の虫が低く鳴り響く。
頭も上手く動かせない、流石に何か食べなければ。
 
スマホでデリバリーでも頼もうか、いや流石に高すぎるか。
 
考えあぐねた末、私は先程まで握っていたプラスチック製のペンを黒めのオークの机に置き、椅子を立つ。
床に散らばった紙を踏まぬように慎重に台所まで向かう。
 
台所に備え付けられていた棚を一つ一つ丁寧に開けて、備蓄してある筈のインスタント食品を探す。
しかし全くない、どうやら昨日の分で切らしてしまった様だ。
 
溜息を吐きながら、今度は台所の横に直置きしてある大体80cm程の小さな冷蔵庫の前で腰を下げ、ノブに手をかける。
冷蔵庫の扉を手前に引いてやると、ビタっという空気感のある音と共に、逃げ場が出来て一気に解放される冷気が此方へと押し寄せてくる。
 
開けた途端、冷蔵庫の中身がもぬけの殻であった事に絶望すると同時に、その事実に見て見ぬ振りをして適当な食料を隈なく探す。
があるのは醤油などの調味料、後は適当に買った缶ビールが数本、扉の裏側の棚に規則的に並べられてただけだった
 
 
「しくった...コンビニ行かなきゃなぁ、あーめんどくさ」
 
 
不機嫌な声音を零しつつ、私は書斎へと引き返し、防寒着用の灰色パーカーを手に取る。
外は寒いだろうが、長時間いる訳ではないので一枚で十分だろう。
 
パーカーに袖を通し、チャックを最大限あげる。
近所には特にこれと言った友人や知り合いは居ないが、とりあえずマスクを付けてドス黒いすっぴん顔を隠しておく。
 
ツバの長いキャップ付きの帽子もついでに被り、準備万端。
私はそのまま手慣れた手順の様に玄関へと向かい、乱雑に置かれている靴を掻き分けて適当なスニーカーを選ぶ。
 
目立った装飾のない、シンプルな白一色である。
スニーカーを足に装着し、靴箱の上にある鍵を取り、玄関扉を開ける。
 
扉を奥に押す様にして開けると、外の冷風が一気に部屋と侵入してきた。
 
 
「おぉ、冷たっ」
 
 
予想以上の寒さに果たしてパーカー1枚で対抗出来るのか些か怪しいが、いちいち着替えるのも億劫なのでこのまま出るしかない。
 
外に出て、玄関扉に鍵を刺す。
左に回すとガチャりと金属同士が擦れる音が耳に入ってくる。
 
マンションの廊下は静かに、ただ冷たい風が吹いていて、まるで今日がクリスマスイブだとは到底想像出来ない。
一応マンションの正面に敷かれている公道からは時折、車か何かが走る音は微かに聞くことができる、ただそれが余計とこの場の空気を暗くさせてしまう様に感じれた。
 
そんな風に想像して勝手に暗い気分になりながら、エレベーターの下降のボタンを押す。
数十秒ボーッと何も考えずに、ただ床の模様として引かれた線を追う様に目で見てると、エレベーターはすぐに上がってきてドアが開いた。
 
 
「っわ、ごめんなさい」
 
「あ、さーせん」
 
 
ただ扉が開いた事だけ確認して乗り込もうとすると、何かと接触し思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
パッと頭を上げて前を見ると、茶髪の少しヤンチャそうな女が一人、スマホを弄りながら私の横を通り過ぎていった。
 
思わず顔を俯かせる。
 
香水の甘くて熱くなりそうな匂いが鼻を刺激する。
 
心の中で「香水すご」と静かに呟きながらエレベーターの中へと足を踏み入れ、ドアの真横に12から1と上から順にくっ付いてあるボタンのうち、1と書かれたボタンを押す。
 
するとエレベーターのドアが閉まると同時に、ギギギという音と共に地上へと降下していく。
 
 
「久しぶりに弁当買おうかな?いやもう弁当残ってないよなぁ」
 
 
久しぶりのコンビニ弁当、最近はインスタント系の麺類か米類が多かったので少し期待している。
インスタントと違って、当たり外れが激しいが当たりを引いた時の高揚感が私は好きだ。
 
ついでに酒とつまみでも買おう、両方幾らあっても困らない。
 
何を購入するかの構想をフラットにしていると、すぐにエレベーターは地上へと到着する。
ピコンという電子音の後に、女性の機械音声が『一階です』と丁寧に教えてくれた。
 
ガタガタと音を立てながら、鉄のドアが左にスライドしていく。
そのままエレベーターの外に足を踏み出すと、直ぐに開けたエントランスに出た。
様々な彩色がされた大理石と赤煉瓦で装飾されたエントランスを抜ける。
 
やっとマンションから抜け出せれると、すぐに歩道へと抜け出せた。
 
私は慣れた足取りで歩道を歩く。
コンビニへの道は舗装されてはいるが手入れがされておらず、雑草が道の端々に生えている。
 
街灯に照らされてはいるもののその照射範囲はそこまで広くはなく、一定の間隔で闇が広がる
 
 
「地味に遠いんよなぁ」
 
 
これでも近いほうなんだろうが、可能ならば家を出て1分以内には到着してくれる距離に出来てほしい
 
胸の中で文句を吐露しながら歩いていると、正面の3/2のガラス張りで作られた四角形の独特な建物が視界に現れた。
 
接近すると、窓がこぼれている白いデジタルな光が目に入ってくる
 
コンビニに入ろう、そう思った瞬間、いきなり横から男の罵声が上がる
 
 
「二度と関わんなよ雑魚!」
 
 
なんだろう。
 
罵声が上がった方向へと視線をやると、丁度ビルの路地裏から男が小走りで出てきて、そのまま何処かに消えていった。
 
私は説明し難いこの好奇心を抑えられず、コンビニを背に路地裏の方を凝視してしまう。
あまり暗くて見にくいが、だんだん暗闇に目が慣れ、それが何かを確認した時私は思わず息をのんだ
 
 
「うそやば、まだ子供じゃん」
 
 
まだ子供らしき人間が尻もちを突いて座り込んでいた。
顔は俯いていてはっきりとは確認できない
 
どうやら罵声を浴びたのはあの子供の様である。
 
正直、面倒事は避けたい。
だが放置するわけにはいかない
 
自分の偽善とリスクを天秤にかけて考えた末、私はその子供を助けることにした。
何故子供に手を差し伸べると決断したかは判らない、ただとりあえず助けようと思っただけ。
私は急いで子供の側に駆け寄ると、その子の前で膝まづいて話を聞くことにした。


「ぼく大丈夫?怪我ない?」

「...あーいや、何でもないです。大丈夫なんで」


子供は何故か排他的で、私を押し除けようとする。
普通なら助けでも求めるだろうに、


「でもぼく、服も汚れて....」

「だから!」


静寂に包まれた住宅街に、子供の声が広く響き渡って消える。

いきなりの大声に、私は一瞬呆気に取られて目をまん丸に見開いて子供を見てしまう。
子供も「しまった」というような表情で私の顔を見つめると、間が悪いのかそっぽ向く。

首を捻った瞬間、綺麗な黒のロングヘアーがバサリと此方へ飛んでくる。


「...すみません、じゃあこれで...」


そう言って一刻も早く立ち去りたいとでも思ったのか、子供は立ち上がって走り出そうと足を前に出す。
しかし急に動いた所為か、子供は一気に力が抜けた様に膝から崩れ落ち、そのまま座り込んでしまう。

見かねた私は子供の肩に手を置いて諭す。


「流石にやばいでしょ、大丈夫?えっと.....とりあえず家まで送ろうか?」


まるでナンパみたいだ。


「いや大丈夫です...てか家に帰るつもりはないんで」

「...なるほど」


どうやらこの子供、家出でもしてるらしい。
世間ではクリスマスイブという華やかなイベントで賑わっているというのに、余程家が嫌だったのだろう。

にしても寒い、流石にパーカー1枚は間違いだったかと私は後悔する。


「てか君、そんな薄着で寒いでしょ。これからどうすんの」

「別に...」

「凍え死ぬよ?」

「...」


「流石に死なれたら目覚め悪いんだけど」

「...じゃあどうしろと...」

「え?....うーん」


子供は何処か絶望したような目つきで地面を眺めながら呟く。
確かにこの子には帰る家も無ければ特に居場所も無いのだろう。

私も一度想像してみる。

交番...ショッピングモール...高架下...ダメだ碌な物がない。

もし方法として考えるなら、最終案にあたる物しか出てこない。
そんな闇鍋の様な思考の中から、一つだけ我ながら良い妙案が浮かんだ。
いつしかSNSで読んだ漫画のジャンルに、家出した人間を拾うといった内容の話だ。

そういえばいつか拾ってみたいとは思ったな。

だが犯罪である。
監禁罪、誘拐罪などなど....上げてはキリがない程の罪に問われるだろう。

しかし、何故か頭より先に口が出てしまう。


「とりあえず、ウチ来たら?」

「....は?」


子供はまるで変態でも見るかのような目で私を見た。
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