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序章 総ての始まり
第4話 美沙緒、危機一髪
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案内されたのはすぐ近くにある、昔ながらの雰囲気を持つ床屋さんだった。おじさんはウチを連れて店に入ると、入口に「準備中」の札をかける。
「えっと……ウチ、どこにかけたらいいですか?」
「そうだね、そこの待合のソファーにでも」
言われた通り、店内の入口の方にある革貼りのソファーに座る。年代物らしく、所々糸がほつれて中の緩衝材が見えちゃってる。
おじさんは予備の丸椅子を店の奥から持ってきて、そこに腰かけた。ウチはそれを確認すると、絵を描く準備を始める。
「いやぁ、自分で言い出した事だけど、絵のモデルなんて初めてだから緊張するね。その、喋っちゃいけないとかあるのかい?」
「喋りながらで大丈夫ですよ。でも、なるべく動かないで下さいね」
「ああ、解った」
話をしながら、バッグから愛用のスケッチブックと2Bの鉛筆を取り出す。文字を書くには固い鉛筆の方がいいけど、絵を描くには濃い鉛筆の方が陰影が付けやすく、タッチも柔らかくなる。
「お嬢ちゃんは、絵を描いて長いのかい?」
「はい。本格的に描き始めたのは中学に入ってすぐかな」
「そりゃあ、出来上がりが楽しみだ」
和やかな会話を交わしながら、紙の上に鉛筆を滑らせていく。こんなに期待されて絵を描くなんて久しぶりだから、自然と気合も入る。
喋りながらも、視線は被写体と絵に集中。この絵にウチの未来が懸かっている!……かもしれない。
そうして紙と格闘する事約十五分。完成した絵を見てウチは――凍り付いた。
「……え……?」
信じられない思いで、ウチはソレを見る。だって、だってソレは……明らかに、人間を描いた絵ではなかった。
白目と黒目が反転したような、酷く吊り上がった目。犬歯が牙みたいに長く伸びた口。凹の字を九十度傾けたような、不気味に湾曲した耳。
何より、五本の指の代わりに、鋭い一対の鋏がくっついた両手。
どう見ても、怪物そのものだ。これを人間を見ながら描いたと言っても、誰も信じないだろう。
何で? 何でこうなるの? ちゃんとモデルを見ながら描いた筈なのに……!
「どれ、出来たみたいだね」
手を止めたウチに絵が完成したと思ったのか、おじさんが立ち上がってこっちに近付いてくる。ど、どどどどうしよう、何とか誤魔化さないと……!
「そ、そのですね、全然納得出来る出来じゃないから描き直したいと、そう思ってましてっ」
「じゃあそれはそれとして、その絵も見せてよ。見てみたいな」
「ホ、ホントに、お見せ出来ないレベルですからっ!」
ウチはブンブンと首を横に振って、スケッチブックを後ろ手に隠そうとする。ところが――。
「あっ……」
その時手が滑って、スケッチブックやら鉛筆やらの手に持ってた物を全部床にぶちまけてしまった。ウチは慌ててスケッチブックを拾おうとするけど、それよりもおじさんがスケッチブックを拾い上げる方が早かった。
「どれどれ?」
「ち、ちょっと待っ……!」
ウチの制止も虚しく、おじさんはスケッチブックを開いて中を見てしまう。その顔から――一瞬で表情が、消えた。
ヤバい、怒らせた――! ウチは咄嗟に、思い付く限りの言い訳を口にする。
「あっ、あの、違うんです! ウチ、馬鹿にしてるつもりじゃなくて、ウチにも何でそうなったのかっ」
「……どこで知った?」
「え?」
けどおじさんは低い声でそう言うと、素早い動作でウチを床に叩き付けた。床に強く背中を打った衝撃で、束の間、上手く呼吸が出来なくなる。
――ダンッ!
明滅する視界の中、何かが首の両脇に突き立った。それは――あの似顔絵のようにおじさんの手首から不自然に生えた、大きな鋏だった。
「――全く、まさか俺の正体を知っている奴が現れるとはな」
「しょう……たい?」
声が震えて、上手く言葉にならない。雰囲気も喋り方もまるで変わってしまったおじさんは、ぎらついた目でウチを睨み付ける。
「とぼけるな。何のつもりで俺に近付いたかは知らねえが、正体を知られたからには生かしちゃおけねえ」
「え……え?」
「お前の髪が綺麗なら、監禁して飼ってやっても良かったが。全く、折角平和に綺麗な髪を集めてたのによ」
吐き捨てるようなその言葉に、一気に背筋に寒気が襲う。こいつ……噂の髪切り魔!?
こいつが一体何者なのかとか、この鋏のような手は一体何なのかとか、色んな事が頭の中でグチャグチャになって訳解んなくなってるけど、これだけは解る。このままだとウチ……殺される!
「ウ……ウチ、ホントに知らなくて……たす、けて……」
「嘘吐け。何も知らない奴があんな正確に俺を描ける訳ないだろ。そう……」
必死に言葉を口に出し、許しを請うウチの目の前で、おじさんの顔が不意にグニャリと歪んだ。まるで不出来な加工写真みたいに、その顔はみるみる形を変えていく。
そうして現れたのは……さっきウチが描いた、そのままの顔だった。
「……この、俺の素顔をな」
「ヒ、ヒッ……!」
あまりの恐怖に、喉が強くひきつる。嫌だ、まだ、こんな所で死にたくない――!
「ハーイ、そこまで」
その時だった。そんな場違いに軽い声が、耳に響いたのは。
「誰だ!?」
おじさん、いや怪物が、店の入口の方を見る。けど次の瞬間、怪物の顔面には正面からの拳がめり込んでいた。
「はがっ!?」
横に吹き飛んでいく、怪物の体。同時に首の両脇の鋏がなくなって、ウチは体の自由を取り戻した。
派手に何かがぶつかり合ったような衝突音に、すっかり腰が抜けてしまったウチは何とか顔だけを向ける。すると散髪道具の置かれてたんだろう壊れた銀色の台の下敷きになって、怪物はすっかりのびていた。
「怪我はないかい? 毛虫ちゃん」
上から声が降ってくる。視線を上に向けると、スーツ姿の誰かがウチを見下ろしていた。
どこかで見たような……。あれ、でも、どこで見たんだっけ……?
「立てる? 立てたらちょっと僕と一緒に来て欲しいんだけど。おーい」
スーツ姿の誰かは、あくまで軽い調子で声をかけてくる。その気の抜けた感じに緊張の糸が切れたウチは――。
「……あれ? 毛虫ちゃん?」
――そのまま、急速に意識を手放した。
「えっと……ウチ、どこにかけたらいいですか?」
「そうだね、そこの待合のソファーにでも」
言われた通り、店内の入口の方にある革貼りのソファーに座る。年代物らしく、所々糸がほつれて中の緩衝材が見えちゃってる。
おじさんは予備の丸椅子を店の奥から持ってきて、そこに腰かけた。ウチはそれを確認すると、絵を描く準備を始める。
「いやぁ、自分で言い出した事だけど、絵のモデルなんて初めてだから緊張するね。その、喋っちゃいけないとかあるのかい?」
「喋りながらで大丈夫ですよ。でも、なるべく動かないで下さいね」
「ああ、解った」
話をしながら、バッグから愛用のスケッチブックと2Bの鉛筆を取り出す。文字を書くには固い鉛筆の方がいいけど、絵を描くには濃い鉛筆の方が陰影が付けやすく、タッチも柔らかくなる。
「お嬢ちゃんは、絵を描いて長いのかい?」
「はい。本格的に描き始めたのは中学に入ってすぐかな」
「そりゃあ、出来上がりが楽しみだ」
和やかな会話を交わしながら、紙の上に鉛筆を滑らせていく。こんなに期待されて絵を描くなんて久しぶりだから、自然と気合も入る。
喋りながらも、視線は被写体と絵に集中。この絵にウチの未来が懸かっている!……かもしれない。
そうして紙と格闘する事約十五分。完成した絵を見てウチは――凍り付いた。
「……え……?」
信じられない思いで、ウチはソレを見る。だって、だってソレは……明らかに、人間を描いた絵ではなかった。
白目と黒目が反転したような、酷く吊り上がった目。犬歯が牙みたいに長く伸びた口。凹の字を九十度傾けたような、不気味に湾曲した耳。
何より、五本の指の代わりに、鋭い一対の鋏がくっついた両手。
どう見ても、怪物そのものだ。これを人間を見ながら描いたと言っても、誰も信じないだろう。
何で? 何でこうなるの? ちゃんとモデルを見ながら描いた筈なのに……!
「どれ、出来たみたいだね」
手を止めたウチに絵が完成したと思ったのか、おじさんが立ち上がってこっちに近付いてくる。ど、どどどどうしよう、何とか誤魔化さないと……!
「そ、そのですね、全然納得出来る出来じゃないから描き直したいと、そう思ってましてっ」
「じゃあそれはそれとして、その絵も見せてよ。見てみたいな」
「ホ、ホントに、お見せ出来ないレベルですからっ!」
ウチはブンブンと首を横に振って、スケッチブックを後ろ手に隠そうとする。ところが――。
「あっ……」
その時手が滑って、スケッチブックやら鉛筆やらの手に持ってた物を全部床にぶちまけてしまった。ウチは慌ててスケッチブックを拾おうとするけど、それよりもおじさんがスケッチブックを拾い上げる方が早かった。
「どれどれ?」
「ち、ちょっと待っ……!」
ウチの制止も虚しく、おじさんはスケッチブックを開いて中を見てしまう。その顔から――一瞬で表情が、消えた。
ヤバい、怒らせた――! ウチは咄嗟に、思い付く限りの言い訳を口にする。
「あっ、あの、違うんです! ウチ、馬鹿にしてるつもりじゃなくて、ウチにも何でそうなったのかっ」
「……どこで知った?」
「え?」
けどおじさんは低い声でそう言うと、素早い動作でウチを床に叩き付けた。床に強く背中を打った衝撃で、束の間、上手く呼吸が出来なくなる。
――ダンッ!
明滅する視界の中、何かが首の両脇に突き立った。それは――あの似顔絵のようにおじさんの手首から不自然に生えた、大きな鋏だった。
「――全く、まさか俺の正体を知っている奴が現れるとはな」
「しょう……たい?」
声が震えて、上手く言葉にならない。雰囲気も喋り方もまるで変わってしまったおじさんは、ぎらついた目でウチを睨み付ける。
「とぼけるな。何のつもりで俺に近付いたかは知らねえが、正体を知られたからには生かしちゃおけねえ」
「え……え?」
「お前の髪が綺麗なら、監禁して飼ってやっても良かったが。全く、折角平和に綺麗な髪を集めてたのによ」
吐き捨てるようなその言葉に、一気に背筋に寒気が襲う。こいつ……噂の髪切り魔!?
こいつが一体何者なのかとか、この鋏のような手は一体何なのかとか、色んな事が頭の中でグチャグチャになって訳解んなくなってるけど、これだけは解る。このままだとウチ……殺される!
「ウ……ウチ、ホントに知らなくて……たす、けて……」
「嘘吐け。何も知らない奴があんな正確に俺を描ける訳ないだろ。そう……」
必死に言葉を口に出し、許しを請うウチの目の前で、おじさんの顔が不意にグニャリと歪んだ。まるで不出来な加工写真みたいに、その顔はみるみる形を変えていく。
そうして現れたのは……さっきウチが描いた、そのままの顔だった。
「……この、俺の素顔をな」
「ヒ、ヒッ……!」
あまりの恐怖に、喉が強くひきつる。嫌だ、まだ、こんな所で死にたくない――!
「ハーイ、そこまで」
その時だった。そんな場違いに軽い声が、耳に響いたのは。
「誰だ!?」
おじさん、いや怪物が、店の入口の方を見る。けど次の瞬間、怪物の顔面には正面からの拳がめり込んでいた。
「はがっ!?」
横に吹き飛んでいく、怪物の体。同時に首の両脇の鋏がなくなって、ウチは体の自由を取り戻した。
派手に何かがぶつかり合ったような衝突音に、すっかり腰が抜けてしまったウチは何とか顔だけを向ける。すると散髪道具の置かれてたんだろう壊れた銀色の台の下敷きになって、怪物はすっかりのびていた。
「怪我はないかい? 毛虫ちゃん」
上から声が降ってくる。視線を上に向けると、スーツ姿の誰かがウチを見下ろしていた。
どこかで見たような……。あれ、でも、どこで見たんだっけ……?
「立てる? 立てたらちょっと僕と一緒に来て欲しいんだけど。おーい」
スーツ姿の誰かは、あくまで軽い調子で声をかけてくる。その気の抜けた感じに緊張の糸が切れたウチは――。
「……あれ? 毛虫ちゃん?」
――そのまま、急速に意識を手放した。
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