弱肉強食 ー君臨する龍、異形の蟲ー

世の中退屈マン

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山波の山羊龍編

朱の蟻

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「変?確かに一般的な龍のイメージとはかなりかけ離れてるとは思ったけど……」

「違う、多分そういうことじゃない。見たか?あいつの表情」

「……?すごく落ち着いているように見えたけど……」

「いや、あれは落ち着いてるんじゃない。無気力なんだ、生気が感じられない」

 無気力。つまり生きる気力がない。何をやろうにもやる気が出ないという症状のことだが、ヲチにはよく分からない。
 そもそも山羊龍カプリコーンを見たのが初めてなのだから普段の表情と比べてどう違うのか分かるはずもない。

「こらっ、お前たち祭儀の最中に無駄口を叩くとは何事だ」

 二人のすぐ後ろにいた男から厳しい表情で睨まれる。

「す、すいません……」

 ヲチは即座に謝ったがセンはくってかかった。

「今の話のどこが無駄口だって言うんだ?」

 想定外の返答に一瞬ぎょっとした表情を浮かべた男だったが

「お前たち今がどんな状況かわかってるのか?」と決して声を荒げずしかし怒気のこもった強い口調でセンを睨む。

「質問の答えになってないぜおっさん。俺たちの会話のどこが無駄口だって言うんだ?」

「セン、不味いよ。非常識なのは僕らの方だ」

「そうだ。祭儀の最中での、身勝手な言動は山羊龍様への礼を欠く行為だとなぜわからない?この祭儀がどんな意味を持っているかお前は理解していないのか?」

「自分たちの故郷、暮らしを今日まで守護してくれた龍の恩に最大限の礼と感謝をもって報い、龍との絆を次の世代に繋ぐ崇高で尊い大いなる儀式……だろ?」

「わかってるならもういい口を閉じろ。俺もこれ以上無駄口を叩きたくはない」

「…………」

 センは何も言わずただ相手を見つめる。

「……なんだ?」

「違うね」

「何?」

「ただ家畜を飼い慣らしてるだけさ。あんたたちが有り難がってるこの大がかりな茶番は。これでカプリコーンあいつの何がわかるんだ?」

「何だお前は……一体何を言っている……家畜を飼い慣らしてるだと……?正気の沙汰じゃない」

 男は信じられないといった表情でセンを見る。それはたしかに恐怖の対象を見る眼だった。

「そうか……お前……わかったぞ……お前は……」

「…………」

「あの疫病神の子供だな……」

 その瞬間センは男を殴り飛ばしていた。
 殴られた男は近くにいた数人を巻き込みながら後へ飛ばされる。

「ぐ……は……」

 周囲の人たちも何事かと、一斉にこちらに視線を向けるが、この状況で仲裁に入る様子はない。

「母さんは……何も間違ってなんか……」

「セン!よすんだ!少なくとも今は不味い!今はこの祭儀を無事……に……」

 突然周囲に濃い影がさしたため、ヲチは発言を中断し視線を上に向ける。
 そこには山羊龍カプリコーンの顔があった。無感情かつ穏やかな表情でじっとこちらを見つめていた。

(不味い……騒いでるのが聞こえたんだ……)

 ヲチは死を覚悟した。
 センの母親に続き山羊龍連合龍奉祭史上2人目の犠牲者になってしまうのか、と。それは周囲にいた村人たちも同じ気持ちだっただろう。

 唯一センだけが違っていた。
 センは決して臆することなく俺たちは対等だと言わんばかりに山羊龍カプリコーンを見つめていた。
 そして、山羊龍カプリコーンも同様に一切表情を変えることなくセンを見つめていた。

 ヲチはセンと山羊龍を交互に見ながら観察していたが、双方共に一言も言葉を交わさなかった。
 どれほど時間が経っただろうか、しばらく見つめあうと山羊龍カプリコーンは再び捕食を始め、それを見た村人たちは胸を撫で下ろした。

「おい!一体何があった!」

 二人の男が血相を変えてこちらにやって来た。服装や祭儀広場側から来たことからカンコンの付き人であることがわかる。
 付き人たちはセンの存在に気付き動揺するが不祥事の原因を察した様子でセンの前に立つ。

「セン、まさかお前が来てたとはな」

「あれほど龍奉祭に関わるなと言っておいたのに……どういうつもりだ?」

「別に了解しましたなんて一言も言った覚えは無いけどな」

 センも立ち上がり拳を強く握り締める。

「セン、これ以上カンコン村長の顔に泥を塗るのは止めろ」

「ッ…………」

 カンコンの名前を出されたセンは明らかに動揺し無言でうつむいてしまう。

「お前は家に帰れ」

 付き人はそう言うと二人がかりでセンの腕に自身の腕を絡め連行していき、センは無抵抗のまま引きずられていく。

「あ、あの!僕も手伝います!」

 センを止めようとしなかった罪悪感から自分だけここに残るのは躊躇ためらわれたヲチが同行を求める。
 付き人は値踏みするようにヲチを見るが抵抗しないセンを見て、付き人が二人も龍奉祭から離れるのを嫌がったのか一人は祭儀広場へと戻っていった。

 ヲチがセンを腕を掴んだ時、木から赤い粒ほどの大きさの何かが二つ三つほど村人の背中に落ちていったのが視界に入った。
 眼を細めてよく見るとそれは手の指の先から第一関節までの大きさの蟻ありのようでよく見かける黒や茶色ではなく全身鮮やかな朱色の体色をしていた。

 ここにもこんな珍しい虫がいるんだなあ、などと考えつつセンを連れ一歩踏み出した瞬間だった。

「あぎゃっ!あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ!!!!!!」

 その村人がいかなり叫び出したかと思うと背中から大量の血を噴き出しながら地面をのたうち回った。
 ヲチやセンだけでなく付き人や他の村人たちもその場にいる全員が唖然あぜんとしていた。

「おい、あんたどうしたんだ……」

 付き人がもがき苦しむ男に駆け寄ろうとするのをヲチが腕で静止する。

「様子が変です……」

 明らかに負傷している。しかもかなり重症だ。
 でもあまりに急すぎる。のたうち回っている村人は先ほどセンと口論になった男だった。
 つい先ほどまで何の外傷なく健康そのものだった筈なのに。
 この一瞬でこの人に何が起きたっていうんだ?

 ヲチは必死にこの状況を分析しようとするがいてくるのは疑問ばかりだ。
 やがて男は動かなくなり血溜まりを作って息絶えた。

「ひ……あ……あ……」
「嘘……何よ……これ……」

 死んだ男の周囲にいた村人たちからも動揺した恐怖の声が広がる。

「きゃあああああああああっ!!!!!」

 すると少し離れた所からも女の叫び声が聞こえてきた。

「い、痛い!……い"だい"、いやあああああああああっ!!!」

 やがてそれは苦痛を訴える声に変わる。
 さらに他所でも次々と悲鳴や叫び声があがり始め、森の中は一気に恐怖が伝染し大混乱となっていた。

「何だ……何が起きてる……」

 付き人の男は事の重大さを理解しながらも身体を震わせ立ち尽くすことしか出来ない。

「どうして……何者からか攻撃受けたのか……?でも何も……何も聞こえなかったし何も見えなか……」

 恐怖で身体を震わせながらも必死に思考を巡らせるヲチはあることに気がついた。

(そういえば……さっきあの人の背中に何かが落ちていった……たしかあれは……)

 ーーグシャッ、ザッザッ

 かすかに聞こえた肉を喰い千切るような生々しい音に気づいたヲチはその音が聞こえてくる息絶えた男の腹部に眼を凝らした。

 ーーバシュッ、ブチブチ、ビリィッ

 それは男の赤い血に全身を染めながら腹部を喰い破って現れた。

(これは……ありだ……)

 その瞬間ヲチは確信に近いものを得たと感じた。
 つまり先ほど木から落ちてきた朱色の蟻こそがこの騒動の元凶。

 そして恐ろしいことにその蟻は人を容易に殺すことができる攻撃手段をもち、現在その殺人蟻が木々から落下し襲ってくるが一体どれ程の数が潜んでいるのか見当もつかないということだ。

「ヲチ!ぼさっとするな!俺たちも早く逃げるぞ!」

 センの一声でヲチは思考の渦から抜け出し我に返る。気づけば森の中は血を流しもがき苦しむ者、恐怖で逃げ惑う者、死者を前に泣き崩れる者たちで滅茶苦茶な状況だった。

「セン!森の中を逃げるのは危険だ!祭儀広場に逃げ込むんだ!」

「……どういう事だ?何か知ってるのか?」

 有無を言わさずセンの腕を掴んで祭儀広場へと踏み入る。幸い二人は祭儀広場のすぐ近くに位置取りしていたため数歩の距離だった。

「セン!敵の正体は蟻だ!木から降ってきた蟻が人間の肉を喰い千切って人を殺してるんだ!」

「……ヲチ、正気か?」

「僕だって信じられない、信じたくないよ!けど……この状況、そうとしか考えられない……」

「だったら……森の中を逃げてる奴らは……」

「かなり……危険だと思う……」

「っ!!!」

 センは奥歯を噛みしめるような表情をすると、森の中を逃げ惑う人たちに向かって叫ぶ。

「おい!森の中は危険だ!祭儀広場の方がまだ安全だ!」

 だが逃げ惑う人たちや悲しみに暮れる人たちにはセンの声は全く届かなかった。
 その様子を見ながらヲチは苦い表情をしていた。
 ヲチには分かっていた。この状況はもう収集がつかない、どれだけ声をあげようと恐怖で周りが見えなくなった彼らには決して届かないということを。

「お前たち!何か知ってるのか!?」

 森の中から唯一こちらにやって来たのは付き人の男だった。

「あの……信じてもらえるか分からないんですが……」

「何か知ってるなら来い!村長たちと合流する」

 村長たちがいる方を見ると変わらず規律正しく並んで跪いている。あの距離では森の中の悲鳴よりも山羊龍の咀嚼音の方が耳に届きやすいのかもしれない。

(どうも胸騒ぎがするのぉ……)

 先ほどから森の様子がなにやらおかしい。
 供物となる食糧は龍奉祭の最中でも運搬役の者たちがどんどん運びこんでくる筈なのだが彼らの姿がさっきから一切確認できない。

 森の中の音は山羊龍の咀嚼音によってかき消されてしまうし、老いて弱くなった視力ではやはり状況を確認することはできない。

「カンコン村長!カンコン村長!」

 そんな時、祭儀には到底似つかわしくない自分の名を呼ぶ大きな声が耳に届いた。
 他の村長や付き人たちが険しい目付きでこちらに向かってくる三人を睨む。

「カンコン村長!緊急事態です!」

「一体何事だ!龍奉祭の最中に騒ぐやつがおるか!」

 サト村の村長キレレキが静かに怒鳴る。

「よい。何があったか言うてみよ」

 カンコンは嫌な予感を感じながらも平静を保とうと心がける。
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