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山波の山羊龍編
混乱
しおりを挟む山羊龍は跳ねたり転がったりと自身の身体を自由自在に使いこなし、縦横無尽に動き回って際限なく噴き出る蟻の猛攻を巧みに避けていく。
それに巻き込まれた木々は次々になぎ倒され、蟻たちによって引き起こされる地震も相まって森の地形はどんどん破壊されていった。
蟻たちは際限なく地中から溢れ出てくるが、山羊龍の動きに数テンポ及ばずこの調子では一生触れられそうにない。
山羊龍は自分からは攻撃を仕掛けずしばらく相手の出方を窺っていたが、地中から噴出し降り注ぐという変わり映えのしない相手の動きに飽きたのかついに攻撃へと転じる。
蟻たちが噴出し最高高度まで到達した瞬間、山羊龍は地面を強く蹴り上げ蟻たちの最高高度よりもさらに上空へ達すると顔を少し後ろへ反らした瞬間一気に前に突きだし口から炎の吐息を吐き出した。
ボオオオという風を揺さぶるような凄まじい音と共に空を舞う蟻たちを焼き尽くし、そのまま地中を抉って森の中を突き抜け地中で蠢く蟻たちまで焼き殺した。
吐息が通った場所には深く長い窪みができ、そこには宝石のような美しい朱の色はみる影もなくなった黒焦げの蟻たちが大量に散見された。
だが、その数はあまりにも多く一体どれ程の規模がこの地中を蠢いているのか想像もつかない。
それでも山羊龍にとっては大した脅威ではなかった。相手は自分の動きについてこれていないのだし、仮に攻撃を受けても傷を負うとは思えない。
加えて、吐息攻撃はかなり有効のようだ。吐息で地中を抉っていけばいつかは蟻たちも滅びるだろう。
問題があるとしたらこれ以上祭儀広場や周辺の森を破壊すると十年ぶりの捕食の機会である龍奉際に支障が出ることだろうか。
人間は脆くあまりにも弱い。先ほどの軽い戦闘でも何人か踏み潰したような気がする。
だが龍奉際には人間の力が不可欠だ。これ以上人間に被害を与えないためには戦う場所を変える必要があるだろう。
そんな風に考えながら両翼を羽ばたかせ飛行していると急に山羊龍の視界がぐらりと揺らいだ。
空中で身体が傾きバランスが取れない。両翼を羽ばたかせても無様に落下していくだけだ。
背中から落下した山羊龍はここぞとばかりに噴出する蟻たちを転がって避けながら、自身の両翼を確認すると蟻たちによって喰い破られぼろ布のようにいくつもの穴をあけられていた。
「今……山羊龍様が落ちていったように見えなかったか……?」
「まさか……翼を喰い破られたのか!?」
集団に動揺が広がりそのせいで進行も止まる。
「バカな!蟻が龍の体皮を破るだなんて!」
「だがそれしか考えられんぞ!」
「馬鹿を言うな!見間違いじゃろう!」
「ふん!例えそうだとしても山羊龍様にはその程度かすり傷にもならんわ!」
強がるようにホホクロは嘲あざける。
「ホホクロ殿の言う通りじゃ!皆、山羊龍様の逸話を知らぬわけでもあるまい」
キレレキもホホクロに賛同する。
だが、対照的にカンコンは表情を引きつらせ大声で急かす。
「皆止まるな!出来るだけ早く森を抜けるのだ!」
その言葉を聞いて先を急ごうとしたセンは今までに感じたことのない衝撃を感じて思わず獣が警戒する時に見せるような姿勢になる。
「おい!後がつかえてるんだ!早く行け!」
怒鳴られるがセンは全く意に介していない。何かに取り憑かれたようにじっと上空を見つめていた。
「セン?」
ーーゴギャアアアアアアアアアアアッ!!!
ヲチがセンに声をかけた瞬間、山羊龍の咆哮が再び森全体に響き渡った。
センを除いた全員が耳を塞いで顔を地面に埋めるようにする。
一度目の咆哮は臨戦態勢を意味していた。では二度目の咆哮にはどんな意図が?
「本気になったんだ」
ヲチのふとした疑問に知ってか知らずかセンはそう答えた。
「急げ!」
それを聞いたカンコンは強く叫ぶとより一層速度を上げ進み始めた。
そうして進んでる内にいつまでも続く長い激震により地形が大きく変形しているのがわかった。
立つことすらままならない揺れが続いているのだから当然といえば当然だ。
皆、身体を土や泥だらけにしながら必死に進んでいる。最早、蟻たちよりも山羊龍が本気になったことの方が彼らの絶望感を強くしていた。
そんな最中でもヲチは何か自分に出来ることはないかとヤギ村に来てからのことを思い出していた。
(蟲籠山に入った時も異様に長い地震があった……今思えばあれは朱の蟻たちが僕らの真下を通過していたということなのだろうか……)
ゾッとする話だ。運が悪ければあの時喰い殺されていてもおかしくなかっただろう。
加えて、地中より噴き出し空高く舞い上がる飛行?あるいは跳躍能力と人間を易々と殺し龍の翼をも食い破った強靭で頑丈な顎、さらには災害とすら言える計り知れない繁殖力だ。
(もう『蟻』だとか『蟲』だなんて次元じゃない。自然災害とすら言える程の脅威……そういう意味なら龍種にすら匹敵するのかもしれない)
蟻のことだけではない。
青く妖しく発光する蝶に誘われ足を踏み入れた、奇々怪々な蟲たちが住まうあの不気味な空間。
元来そこに住まう虫たちなのかと思えばセンの反応を見るにどうも違うようだ。
新種なのか外来種なのかは不明だが、ヲチにとってそれらは本でも見たことのない生態だったので強く印象に残っていた。
今思えばあの空間は何か特殊な環境だったのではないだろうか。
あの不気味な空間に満ちていた異様な生態と破壊的な生態をもつ朱の蟻が無関係とはヲチにはどうしても思えず、だからこそ、まだ何かあるんじゃないかという疑念が頭から離れなかった。
(そう……例えば僕らが一目散に逃げ出す羽目になった……あの不気味な鳴き声……いやあれはセンと話し合って風の音だってことになったじゃないか。大丈夫、これ以上悪いことなんて起こりっこない)
自身にそう言い聞かせ落ち着かせる。
思考を巡らせる内にカソ村に現れた人を襲う蟻の話を思い出した。
(人が蟻に襲われるという状況が以前からカソ村ではあったんだ……これは……ただの偶然なのか……?)
すると横にいたセンが急に顔を上げ叫んだ。
「まずい!逃げろ!」
その瞬間、集団から少し出遅れていたため最後尾にいたアコ村の村長コヤマを含めた五人が炎の吐息によって一瞬で消し飛ばされた。
喰い破られた?こんな小さな小さな生き物に?
山羊龍はぼろぼろになった自身の片翼を見つめながら目を見張る。体皮の最も柔らかい部位とはいえまさか喰い破られるとは思わなかった。
このままではいずれ四肢や胴体の体皮まで喰い破られるかもしれない。
もしそうなったら……
山羊龍は自身の全身に蟻たちが群がり体皮を突き破って肉を抉る様を想起した。
直後、無表情だった山羊龍の表情が一気に変容する。口角がぐにゃりと上に曲がり生気の抜けた眼は血走り闘志に満ち溢れていた。
山羊龍はかつてのあの日々を思い出していた。
一瞬たりとも気の抜けない生死を懸けた闘争に明け暮れていたあの時代。生気に満ち溢れていたあの日々を。
死を意識した瞬間、ずっと長い間冷めて空っぽだった山羊龍の心に熱い何かが滾たぎっていった。
ーーゴガギャアアアアアアアアアアア!!!
山羊龍は咆哮をあげた。歓喜と本気の殺意をもって臨むという意味をこめて。
最早、人間のことなど頭になかった。自らの力を全力で振るうことへの解放感が山羊龍の心を支配していた。
現状はまだ両翼に穴をあけられ飛ぶことができなくなった程度だ。
だが、胴体や四肢が喰い破られたら致命傷は避けられないだろう。
身体に穴を開けられた程度で死ぬことはないが体内から四肢や首の筋肉まで食い千切られれば流石に身動きが取れなくなる。
そうなれば抵抗することもできず敵の餌えさと成り果て、全身を食い荒らされ殺される。
そうなる前に全ての敵を焼き尽くさなければならない。そのためにはこの辺り一帯を火の海にする必要がある。
多少時間はかかるがそう難しいことでもない。その結果人間たちがどうなるかなんてことは一切頭によぎることはなかった。
相変わらず蟻たちは一辺倒に噴水のように地中から噴き出し山羊龍の上空に舞い上がるとそのまま降り注ぐといった動きを繰り返している。
だがその速度も山羊龍の身体運びに一歩二歩及ばない。
そんな蟻たちを避けながら噴き出てきた穴に向かって強烈な炎の吐息を浴びせそのまま地面を抉り地中に潜む蟻を焼き尽くす。
吐息を受けた地面には長く幅広い溝ができ、その周囲にある木々は大きく傾いたり火が燃え移りその範囲を徐々に広げていた。
吐息を吐いて地中に潜む蟻もろとも焼き尽くしていく。その度に大量の蟻が燃えカスになって現れる。
これを繰り返していけばいずれ全滅させられるだろう。
しかしそれでも蟻たちが怯む様子はない。
蟻たちからは恐怖だとか怒りといった感情は一切感じられず、ただ無機質にその行為に没頭している。
敵がどれほど巨大でも。どれほど力の差があったとしても、小さな命を集めて重ねて燃やして挑んでくる。
そんな相手との戦いは山羊龍にとって初めての体験だった。
あとはこの身体が動かなくなるのが先か奴らが全滅するのが先か、だ。
そうして山羊龍は幾度も跳び跳ね、吐息を吐きまもなく祭儀広場とそこを囲む森は炎に包まれた。
吐息をあびた者たちの身体のほとんどは灰になってどこかへいってしまった。
「う、うあああああああ!!!」
「そんなぁっ!コヤマ村長おおおぉ!」
「駄目だぁ、もうどうにもならあん!」
「ふざけるなあ!どうして俺たちがこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだあ!」
山羊龍の吐息に焼かれて死んだ。仲間が。すぐ目の前で。ずっと崇め奉り、尽くしてきた相手によって。
そんな理不尽が村人たちのわずかな希望を打ち砕いた。
「おい!止まるな進め!もうそれしかないのだぞ!」
キレレキが泣き叫び打ちひしがれる者たちに怒鳴るが彼らはもうその場から動こうとしなかった。
(まずい……このままでは……)
カンコン自身、覚悟していなかった訳ではないが実際にコヤマ村長が山羊龍の吐息で焼き尽くされた瞬間を見て強く動揺していた。
全身から汗が流れ自分が今何をすべきか、何を言うべきかわからなくなってしまう。
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