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第十七話
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繁華街から出てしばらく、住宅街を尚夏と鳴海は二人で歩いていた。尚夏のこの頃の悩みを聞いた鳴海は少しずつ言葉を選びながら彼に言い聞かせるように話をしている。
「専門学校かあ……たしかに尚夏くんの勉強したいって気持ちはわかるよ。わからない仕事は不安だろうし、知識はあったほうがいい。でも僕はそのために無理して夜の仕事なんてして欲しくないんだ。君には日の当たる道を歩いていて欲しい。君の事情も考えないで、って怒るかもしれないけれど」
「別に、ちょっと欲張っただけだよ。お金なら昼間のバイトだけでも何年かすればいつかは貯まる」
「別に学校にこだわる必要はないんじゃないかなあ。知識は仕事しながら少しずつ覚えていけばいいよ。わからないことは先輩に聞いてさ、実際働いて得る知識や技術は学校の何倍もある」
「でも、俺自信なくて……大学も結局辞めることになっちゃったし」
「それは事情が違うから。本当にやりたいって思った仕事なんでしょう?」
「……うん」
尚夏は今にも泣きそうになってしまっていた。鳴海に心配させて、一瞬でも良くない方向に進もうとしたこと。
「尚夏くんが頭の良い子なのは僕が良く知っているよ。だからきっと君なら働きながらでも一人前になることは出来ると思うんだけどね」
「先生、ごめんなさい、俺……」
「別に謝ることはないよ。君の年齢だったらまだ保護者のもとでバイトもしないで学校に通っている子はいっぱいいる。その権利を奪ってしまったのは僕ら身勝手な大人たちだ」
「先生……」
その時だった。尚夏の隣を歩いていた鳴海がその場に崩れ落ちる。慌てた尚夏が抱き留めたので怪我をすることはなかったが、すっかり血の気のひいた顔をしていた。
「せ、先生! しっかりして」
「ごめ、……尚夏くん、……気持ち悪い……」
「先生!」
尚夏は動けなくなった鳴海を背負って慌てて帰路を急いだ。ぐったりとした鳴海はそのまま反応が鈍くなる。尚夏は意識を完全に失わせないように声を掛けながら必死で坂を駆け上り、鳴海の屋敷にたどり着く。そこでは玄関の前で心配した蒼平が待っていた。
「どうした! 鳴海?」
「蒼平さん……! ふ、布団敷いて、先生が」
「倒れたのか?」
「帰ってる途中に、突然」
「顔色悪いな……寝かせよう、ちょっと待ってろ」
鳴海の様子を見た蒼平は急いで寝室に向かって行った。尚夏は廊下にそっと鳴海を降ろす。真っ青な顔色で、意識が朦朧としているのか声をかけても返事をすることがなかった。やがて布団の準備をした蒼平と尚夏に抱えられて鳴海は寝室に運ばれて行く。
***
「吐きそうか? 鳴海」
「少し落ち着いてきました……もう少ししたら多分治る、大丈夫」
「冷や汗がひどい、尚夏、タオル持ってこい」
「わかった、先生、ちょっと待ってて」
青ざめた顔色はなかなか回復することはなかった。枕元には蒼平が、尚夏は急いで熱いお湯で絞ったタオルを持ってくる。蒼平はタオルを受け取り、汗ばんだ鳴海の顔を拭った。
「眩暈がする……耳鳴りも酷くて」
「貧血か? 疲れていたんだろう、少し寝ていろ」
「先生……」
無理をして尚夏を迎えに行ったせいで鳴海が体調を崩した。そもそも尚夏が心配をかけるようなことをしなければよかったのだ。自己嫌悪で尚夏の心はいっぱいだった。そんな尚夏を気にしたのか、鳴海は汗をかいた冷たい手のひらで尚夏の頬に触れる。
「そんな顔しないで、大丈夫だから」
「ごめん、先生……俺が悪かった」
「わかったならいいよ、尚夏くんが良い子なのは知ってるし。僕の気持ちを聞いて理解してくれたのならもういいから。ただ、自分を大切にしてってことだよ」
「じ、自分を大切にしなきゃいけないのは先生の方だろ?」
尚夏の声が震える。それでも未だに鳴海は尚夏にとって先生だった。いつでも一歩前を歩いて、尚夏が間違った道に行かないよう示してくれる。いまでも尚夏には鳴海がいないと駄目だった。
気分が悪そうに目を閉じたままだった鳴海がやがて穏やかな呼吸をする。疲れていたせいかそのまま眠ったようだった。蒼平はため息をつき、タオルを持ったまま少しほっとした顔をした。
「尚夏、飯食って来い。なんか冷蔵庫にあるだろ。お前もバイトしてきて疲れただろうし」
「食欲なんかないよ……」
「いいから、なんか食え。鳴海の面倒を見るんだろ?」
台所に古ぼけたりんごがあった。もともとは鳴海に食べさせようと買って来たものだったがいつの間にか時間がたってしまい処分に困っていたのだ。捨てるのにはもったないが食欲のない鳴海に食べさせるにも……尚夏はそれを皮もむかずにかぶりつく。あまり歯ごたえの良いものではなかった。
「尚夏ぁ、俺帰るわ。鳴海も落ち着いて眠っているからもうそのままにしとけ。もし何かあって困ったら俺呼べよ。すぐ来るから」
「あ、はい。おやすみなさい」
「おやすみー、またな」
そう言って蒼平は帰って行った。車のエンジン音がして、やがて遠ざかって行く。りんごを食べ終わった尚夏は鳴海のもとに戻ることにする。
「……尚夏くん?」
寝室で眠っていた鳴海は目を開けて尚夏の姿を見る。目を覚ましたようだ。
「先生、大丈夫? 具合はどう?」
「うん、気分は良くなった。もう大丈夫だよ」
「顔色も良くなったみたいだね」
青ざめていた顔色が少し赤みがさして、血の気が戻って来たようだった。横たわっている鳴海の頬を尚夏は恐る恐る撫でる。
「よかった……温かい」
「尚夏くんの手も、温かいね」
「先生、ん」
鳴海の頬に手を添えながら、尚夏はそっとキスをした。くちびるも色が戻ってみずみずしく柔らかだった。
「……先生、抱きたい」
「専門学校かあ……たしかに尚夏くんの勉強したいって気持ちはわかるよ。わからない仕事は不安だろうし、知識はあったほうがいい。でも僕はそのために無理して夜の仕事なんてして欲しくないんだ。君には日の当たる道を歩いていて欲しい。君の事情も考えないで、って怒るかもしれないけれど」
「別に、ちょっと欲張っただけだよ。お金なら昼間のバイトだけでも何年かすればいつかは貯まる」
「別に学校にこだわる必要はないんじゃないかなあ。知識は仕事しながら少しずつ覚えていけばいいよ。わからないことは先輩に聞いてさ、実際働いて得る知識や技術は学校の何倍もある」
「でも、俺自信なくて……大学も結局辞めることになっちゃったし」
「それは事情が違うから。本当にやりたいって思った仕事なんでしょう?」
「……うん」
尚夏は今にも泣きそうになってしまっていた。鳴海に心配させて、一瞬でも良くない方向に進もうとしたこと。
「尚夏くんが頭の良い子なのは僕が良く知っているよ。だからきっと君なら働きながらでも一人前になることは出来ると思うんだけどね」
「先生、ごめんなさい、俺……」
「別に謝ることはないよ。君の年齢だったらまだ保護者のもとでバイトもしないで学校に通っている子はいっぱいいる。その権利を奪ってしまったのは僕ら身勝手な大人たちだ」
「先生……」
その時だった。尚夏の隣を歩いていた鳴海がその場に崩れ落ちる。慌てた尚夏が抱き留めたので怪我をすることはなかったが、すっかり血の気のひいた顔をしていた。
「せ、先生! しっかりして」
「ごめ、……尚夏くん、……気持ち悪い……」
「先生!」
尚夏は動けなくなった鳴海を背負って慌てて帰路を急いだ。ぐったりとした鳴海はそのまま反応が鈍くなる。尚夏は意識を完全に失わせないように声を掛けながら必死で坂を駆け上り、鳴海の屋敷にたどり着く。そこでは玄関の前で心配した蒼平が待っていた。
「どうした! 鳴海?」
「蒼平さん……! ふ、布団敷いて、先生が」
「倒れたのか?」
「帰ってる途中に、突然」
「顔色悪いな……寝かせよう、ちょっと待ってろ」
鳴海の様子を見た蒼平は急いで寝室に向かって行った。尚夏は廊下にそっと鳴海を降ろす。真っ青な顔色で、意識が朦朧としているのか声をかけても返事をすることがなかった。やがて布団の準備をした蒼平と尚夏に抱えられて鳴海は寝室に運ばれて行く。
***
「吐きそうか? 鳴海」
「少し落ち着いてきました……もう少ししたら多分治る、大丈夫」
「冷や汗がひどい、尚夏、タオル持ってこい」
「わかった、先生、ちょっと待ってて」
青ざめた顔色はなかなか回復することはなかった。枕元には蒼平が、尚夏は急いで熱いお湯で絞ったタオルを持ってくる。蒼平はタオルを受け取り、汗ばんだ鳴海の顔を拭った。
「眩暈がする……耳鳴りも酷くて」
「貧血か? 疲れていたんだろう、少し寝ていろ」
「先生……」
無理をして尚夏を迎えに行ったせいで鳴海が体調を崩した。そもそも尚夏が心配をかけるようなことをしなければよかったのだ。自己嫌悪で尚夏の心はいっぱいだった。そんな尚夏を気にしたのか、鳴海は汗をかいた冷たい手のひらで尚夏の頬に触れる。
「そんな顔しないで、大丈夫だから」
「ごめん、先生……俺が悪かった」
「わかったならいいよ、尚夏くんが良い子なのは知ってるし。僕の気持ちを聞いて理解してくれたのならもういいから。ただ、自分を大切にしてってことだよ」
「じ、自分を大切にしなきゃいけないのは先生の方だろ?」
尚夏の声が震える。それでも未だに鳴海は尚夏にとって先生だった。いつでも一歩前を歩いて、尚夏が間違った道に行かないよう示してくれる。いまでも尚夏には鳴海がいないと駄目だった。
気分が悪そうに目を閉じたままだった鳴海がやがて穏やかな呼吸をする。疲れていたせいかそのまま眠ったようだった。蒼平はため息をつき、タオルを持ったまま少しほっとした顔をした。
「尚夏、飯食って来い。なんか冷蔵庫にあるだろ。お前もバイトしてきて疲れただろうし」
「食欲なんかないよ……」
「いいから、なんか食え。鳴海の面倒を見るんだろ?」
台所に古ぼけたりんごがあった。もともとは鳴海に食べさせようと買って来たものだったがいつの間にか時間がたってしまい処分に困っていたのだ。捨てるのにはもったないが食欲のない鳴海に食べさせるにも……尚夏はそれを皮もむかずにかぶりつく。あまり歯ごたえの良いものではなかった。
「尚夏ぁ、俺帰るわ。鳴海も落ち着いて眠っているからもうそのままにしとけ。もし何かあって困ったら俺呼べよ。すぐ来るから」
「あ、はい。おやすみなさい」
「おやすみー、またな」
そう言って蒼平は帰って行った。車のエンジン音がして、やがて遠ざかって行く。りんごを食べ終わった尚夏は鳴海のもとに戻ることにする。
「……尚夏くん?」
寝室で眠っていた鳴海は目を開けて尚夏の姿を見る。目を覚ましたようだ。
「先生、大丈夫? 具合はどう?」
「うん、気分は良くなった。もう大丈夫だよ」
「顔色も良くなったみたいだね」
青ざめていた顔色が少し赤みがさして、血の気が戻って来たようだった。横たわっている鳴海の頬を尚夏は恐る恐る撫でる。
「よかった……温かい」
「尚夏くんの手も、温かいね」
「先生、ん」
鳴海の頬に手を添えながら、尚夏はそっとキスをした。くちびるも色が戻ってみずみずしく柔らかだった。
「……先生、抱きたい」
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