5 / 17
第一話
05
しおりを挟む
「せっかく小学校から私立に入れてやったのに、中学で不登校なんかになるから!」
幸知の両親はずっと共働きで、家を留守にすることが多かった。幼い頃から両親の存在を薄く感じていた幸知が躓いたのは中学校の初めのころ。学校で犯人のわからない嫌がらせに遭っている、それを誰にも相談できなかったのだ。幼い心はもろく崩れて、やがて学校を休みがちになった。だって学校に行っても上履きがないから。それどころか教科書やノートもなくなり、することのない授業中は下を向いている。
(原因は周りと打ち解けないお前にあるんじゃあないのか? そう言ったのは当時の担任だ。僕は勇気を出して相談したのに、そんなこと言われるならもう最初から何も言わなきゃよかった)
誰もいない家で、幸知は学校にも行かずぼんやりと寝転がってただ天井を見ていた。しかしそうやって無断欠席していることはすぐに母にばれて、家庭に地獄が訪れる。
「不登校なんて恥ずかしいでしょう? 行きなさい、お母さんに恥をかかせないで!」
咀嚼音を立てながら朝食を食べる母の声を聞いただけで吐き気を催す幸知。父親は目も合わせず何も言わないで新聞を読みながらテレビを見ていた。
「お父さん! 何か言ってよ、幸知が学校サボるから……」
「本人に任せればいいだろう、休んで困るのは幸知だ」
「は、学校から連絡が来るのは私なのよ? そのたびに私がどれだけ恥をかいていると思うの。母親失格、そう言われているようなものじゃないの!」
「……」
「……良いわよね、お父さんは夜遅くまで好き勝手にお酒飲んで」
「飲んでない、仕事だ」
「嘘つきなさいよ! 転職したら私よりも月給少なくなったくせに遅くまで帰っても来ないで!」
家庭が荒れるのも自分のせいだと、幸知は一人涙をこらえた。楽しい食卓はいつまでのことだっただろう。ここ数年は特に荒れていて、父や幸知に対して母がヒステリックに怒鳴りつける声を聞くたびに、食事が食べられなくなっていく。母の言葉を原因にして追い詰められて病み瘦せて行く幸知。そして土日は部屋に引きこもって、やがて何かしらの理由をつけて断り食卓すらともにすることはなくなった。
いやがらせは同級生が数度目の幸知の上履きを盗んでいるところ、幸知本人が偶然目撃して終了する。しかし、その同級生は幸知に一度も謝ることはなかったし、担任も誰も幸知のフォローをすることをしないまま、母も未だに不登校の本当の理由を知らない。
***
「ひ、う……」
悪夢を見たとしか言いようがない、誰かが夜中幸知の耳元で悪意のある言葉をつぶやいていた気がする。起き上がるのも怠く息苦しい。精神的疲労による息切れと動悸もやまなくって、幸知はしばらくベッドから動けないですごしていた
(午前六時……ああ、また朝がやって来てしまった。学校に行く準備をしなければ)
正直学校なんて行きたくもなかったが行かなければ連絡が来る。階下では母の父に対する罵声が聞こえる気がした、幸知もまた何か言われないように早いうちに準備をして出かけてしまおうと、重い身体をしてゆっくりと起き上がった。
学校までは徒歩二十分、午前七時前。
さすがにまだ学校に行くのは早すぎる気がして、幸知は学校最寄りの公園で購入したホットコーヒーを飲んでいる。自販機には種類がなかっただけで本当はそれほどコーヒーが得意なわけではない。
(聞き覚えのある声だ……)
気のせいかと思った。こんな早朝に公園にいるようなタイプには見えなかったから。視界の向こうでは久賀野が朝からあの調子で声を上げて笑いながら鳩に餌をあげている。
「あ、橘野じゃん。オハヨー! 早いね、何やってんの?」
「朝食……」
「コーヒーだけ? えっ、だから具合悪くなるんじゃね? 鳩のほうが良いもん食ってるよ。なんと今朝は特製北海道クリームチーズ蒸しパン! 俺の朝飯シェアしてんの。でも俺はパンに追加でおにぎり、それでもさすがに足りないっすよ」
(……体格良いからかな、二人前食べても足りなさそう)
「学校だりぃ、今日は集会あるなあ」
「……」
「俺ね、駅向こうの知り合いがやってるスーパーで早朝にバイトしてんの、時間とか仕事内容とかは配慮してもらって、できるだけ立ち仕事にならないように週四回。橘野はバイトしないの?」
「僕は、考えてない」
「そっか、まあお前体力なさそうだから無理しないほうがいいかもな。うち、母子家庭なんだよね、だから朝昼の食費とお小遣いは自分で。去年はコンビニでバイトしてたんよ、部活の後に。あの頃はまじできつかったなー」
犬の散歩をしている老人夫婦、空いているブランコで遊ぶ若い母親と小さな子供。朝食をとる幸知と久賀野はそんな朝ののどかな風景を見ながら、ベンチに二人腰かけている。
「バスケで高校スポーツ推薦で入学してさ、その挙句のバイト帰りに自転車事故。もうバスケは一生出来ない。それで一時期グレててね、留年して母ちゃん泣かせちゃった。誰よりも俺のこと応援してくれてたのに」
母親が好きだ、というその感情。それは幸知にとって違和感でしかない。多分幸せな関係なのだろう、しかしきっとそれは一生幸知には理解できないのだ。
「さて、そろそろ行こう。いつもはまだ一時間くらいいるけどお前まで遅刻させるわけにはいかないし。今日は優等生バージョンでだな」
「別に、遅刻くらい」
「五回遅刻すると親に連絡行くぞ」
「……」
「大丈夫、お前がなんかわけありなのはわかってるよ」
幸知の両親はずっと共働きで、家を留守にすることが多かった。幼い頃から両親の存在を薄く感じていた幸知が躓いたのは中学校の初めのころ。学校で犯人のわからない嫌がらせに遭っている、それを誰にも相談できなかったのだ。幼い心はもろく崩れて、やがて学校を休みがちになった。だって学校に行っても上履きがないから。それどころか教科書やノートもなくなり、することのない授業中は下を向いている。
(原因は周りと打ち解けないお前にあるんじゃあないのか? そう言ったのは当時の担任だ。僕は勇気を出して相談したのに、そんなこと言われるならもう最初から何も言わなきゃよかった)
誰もいない家で、幸知は学校にも行かずぼんやりと寝転がってただ天井を見ていた。しかしそうやって無断欠席していることはすぐに母にばれて、家庭に地獄が訪れる。
「不登校なんて恥ずかしいでしょう? 行きなさい、お母さんに恥をかかせないで!」
咀嚼音を立てながら朝食を食べる母の声を聞いただけで吐き気を催す幸知。父親は目も合わせず何も言わないで新聞を読みながらテレビを見ていた。
「お父さん! 何か言ってよ、幸知が学校サボるから……」
「本人に任せればいいだろう、休んで困るのは幸知だ」
「は、学校から連絡が来るのは私なのよ? そのたびに私がどれだけ恥をかいていると思うの。母親失格、そう言われているようなものじゃないの!」
「……」
「……良いわよね、お父さんは夜遅くまで好き勝手にお酒飲んで」
「飲んでない、仕事だ」
「嘘つきなさいよ! 転職したら私よりも月給少なくなったくせに遅くまで帰っても来ないで!」
家庭が荒れるのも自分のせいだと、幸知は一人涙をこらえた。楽しい食卓はいつまでのことだっただろう。ここ数年は特に荒れていて、父や幸知に対して母がヒステリックに怒鳴りつける声を聞くたびに、食事が食べられなくなっていく。母の言葉を原因にして追い詰められて病み瘦せて行く幸知。そして土日は部屋に引きこもって、やがて何かしらの理由をつけて断り食卓すらともにすることはなくなった。
いやがらせは同級生が数度目の幸知の上履きを盗んでいるところ、幸知本人が偶然目撃して終了する。しかし、その同級生は幸知に一度も謝ることはなかったし、担任も誰も幸知のフォローをすることをしないまま、母も未だに不登校の本当の理由を知らない。
***
「ひ、う……」
悪夢を見たとしか言いようがない、誰かが夜中幸知の耳元で悪意のある言葉をつぶやいていた気がする。起き上がるのも怠く息苦しい。精神的疲労による息切れと動悸もやまなくって、幸知はしばらくベッドから動けないですごしていた
(午前六時……ああ、また朝がやって来てしまった。学校に行く準備をしなければ)
正直学校なんて行きたくもなかったが行かなければ連絡が来る。階下では母の父に対する罵声が聞こえる気がした、幸知もまた何か言われないように早いうちに準備をして出かけてしまおうと、重い身体をしてゆっくりと起き上がった。
学校までは徒歩二十分、午前七時前。
さすがにまだ学校に行くのは早すぎる気がして、幸知は学校最寄りの公園で購入したホットコーヒーを飲んでいる。自販機には種類がなかっただけで本当はそれほどコーヒーが得意なわけではない。
(聞き覚えのある声だ……)
気のせいかと思った。こんな早朝に公園にいるようなタイプには見えなかったから。視界の向こうでは久賀野が朝からあの調子で声を上げて笑いながら鳩に餌をあげている。
「あ、橘野じゃん。オハヨー! 早いね、何やってんの?」
「朝食……」
「コーヒーだけ? えっ、だから具合悪くなるんじゃね? 鳩のほうが良いもん食ってるよ。なんと今朝は特製北海道クリームチーズ蒸しパン! 俺の朝飯シェアしてんの。でも俺はパンに追加でおにぎり、それでもさすがに足りないっすよ」
(……体格良いからかな、二人前食べても足りなさそう)
「学校だりぃ、今日は集会あるなあ」
「……」
「俺ね、駅向こうの知り合いがやってるスーパーで早朝にバイトしてんの、時間とか仕事内容とかは配慮してもらって、できるだけ立ち仕事にならないように週四回。橘野はバイトしないの?」
「僕は、考えてない」
「そっか、まあお前体力なさそうだから無理しないほうがいいかもな。うち、母子家庭なんだよね、だから朝昼の食費とお小遣いは自分で。去年はコンビニでバイトしてたんよ、部活の後に。あの頃はまじできつかったなー」
犬の散歩をしている老人夫婦、空いているブランコで遊ぶ若い母親と小さな子供。朝食をとる幸知と久賀野はそんな朝ののどかな風景を見ながら、ベンチに二人腰かけている。
「バスケで高校スポーツ推薦で入学してさ、その挙句のバイト帰りに自転車事故。もうバスケは一生出来ない。それで一時期グレててね、留年して母ちゃん泣かせちゃった。誰よりも俺のこと応援してくれてたのに」
母親が好きだ、というその感情。それは幸知にとって違和感でしかない。多分幸せな関係なのだろう、しかしきっとそれは一生幸知には理解できないのだ。
「さて、そろそろ行こう。いつもはまだ一時間くらいいるけどお前まで遅刻させるわけにはいかないし。今日は優等生バージョンでだな」
「別に、遅刻くらい」
「五回遅刻すると親に連絡行くぞ」
「……」
「大丈夫、お前がなんかわけありなのはわかってるよ」
28
あなたにおすすめの小説
ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ねむりて。
雨水林檎
BL
村を離れた人間は皆謎の病で死んでしまう。
そんな噂のある村で育った青年は長いこと拒食に悩んでいた。
誰よりも痩せていたい、その思いだけで痩せ続ける。家族仲は最悪で居場所なんてどこにもなかった。そんな彼をやがて一人の教師が見つける。青年が特別な存在になれた瞬間だった。
※体調不良描写があります※ブロマンス小説です
身に余る不幸せ
雨水林檎
BL
虐げられた人生を生きなおそうとする拒食の青年。
生まれつき心臓に欠陥のある探偵。
全ての終わりを見届ける覚悟をした金融業の男。
救われなかった人生の不幸せについての物語。
※体調不良描写があります※ブロマンス小説
悪夢の先に
紫月ゆえ
BL
人に頼ることを知らない大学生(受)が体調不良に陥ってしまう。そんな彼に手を差し伸べる恋人(攻)にも、悪夢を見たことで拒絶をしてしまうが…。
※体調不良表現あり。嘔吐表現あるので苦手な方はご注意ください。
『孤毒の解毒薬』の続編です!
西条雪(受):ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。
白銀奏斗(攻):勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。
たとえば、俺が幸せになってもいいのなら
夜月るな
BL
全てを1人で抱え込む高校生の少年が、誰かに頼り甘えることを覚えていくまでの物語―――
父を目の前で亡くし、母に突き放され、たった一人寄り添ってくれた兄もいなくなっていまった。
弟を守り、罪悪感も自責の念もたった1人で抱える新谷 律の心が、少しずつほぐれていく。
助けてほしいと言葉にする権利すらないと笑う少年が、救われるまでのお話。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
クラスのボッチくんな僕が風邪をひいたら急激なモテ期が到来した件について。
とうふ
BL
題名そのままです。
クラスでボッチ陰キャな僕が風邪をひいた。友達もいないから、誰も心配してくれない。静かな部屋で落ち込んでいたが...モテ期の到来!?いつも無視してたクラスの人が、先生が、先輩が、部屋に押しかけてきた!あの、僕風邪なんですけど。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる