純白のレゾン

雨水林檎

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難しい年頃

01

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「なあなあ砂和ァ、何やってんの」
「学校では苗字で呼んでくださいよ、青海(おうみ)先生」

 放課後、帰宅する生徒らを見ているといきなり職員室のベランダで無理矢理に肩を組んできた。そのたくましい腕を振りほどく。

「ああ、なんだ無垢じゃん。あいつ髪型変えたか? まるで女子生徒だなぁ」
「切らないんですよ、伸ばしてるんです。みっともないから散髪に行けと何度も言っているのに」
「はは、色気付いたのか?」
「……反抗期ですよ」

 最近言うことを聞かなくなって来た、同居の弟のような子供だった。小鳥遊無垢(たかなしむく)は十六歳、いまだ反抗期が終わらないような気がする。長い髪の似合う端正な顔、血が繋がっているわけではないから私と似ているはずもない。
 向島砂和(むこうじまさわ)二十六歳。今年の春は、私が勤めているこの高校に入学して来た無垢にまるでからかわれているような日々だった。しかしこの街にやって来たばかりの無垢も、数人の友人が出来たようだ。その点だけはほっとしている。私は兄のようにはなれるかもしれないが、友人にはなってやれない。その十歳の年の差と、初めて会ってからの十年の月日。友人と言うには少し重くて……そんなことを考えていたら左手首がむずむずして、私は思わず腕時計の上から掻きむしった。

「砂和、週末時間あるか?」
「今週末は、ちょっと」
「ああ、言ってもお前も年頃だもんなぁ。悪いねこんなバツイチの暇つぶしに付き合わせるのは」
「青海先生、だからもう……特に用事はないんですけど、無垢の片付けない引越しのダンボールを片そうと思っていただけです。引越しからもう一ヶ月以上もたつのに」
「はは、なんだそれなら俺も手伝いに行ってやるよ。親戚から良い日本酒送られて来てさ、片付けが終わったら酒盛りでもするかぁ」

 青海大河(おうみたいが)はこの学校の先輩教師だった。ひとまわり歳の離れた彼は距離が近くて厚かましく、しかし何かと私を助けてくれる。新任教師の頃からその心の優しさはわかっているつもりだ。彼もまた何かと過去を抱えているようだが、その辺は本人から言わない限り聞かなかったことにするか。誰かのプライベートを踏み荒すほど、私は他人の心の中に入っては行けなかったから。

「私と飲んでも楽しくはありません」
「知ってる、酔わないもんな」
「酔っても私は私のままなだけですよ、いくら飲んでも変わりませんし」
「あー、俺はいつかお前を泣かしてやりたいんだけどなあ」
「そこまで喜怒哀楽に富んだ人間ではないので」
「ああ言えばこう言う。全く、最近可愛くねえなお前!」

 青海と会話をして言る途中で今晩の夕食は確か冷蔵庫の中に鮭の切り身があったな、なんて今頃思い出した。無垢に後で米を多めに炊いて待っているように伝えて、焼き魚の後は味噌汁を作って一日を終えよう。成長期の無垢には少し足りないかもしれないが、その辺は漬物でも出して。なんて言えばまた年寄りくさいメニューだなんて、無垢に呆れられてしまうかもしれないが。
 実家の両親はもういない、いや、義理の実家と言うのだろう。私が向島の家の養子になって、十五年目に養父母は事故で亡くなった。しかしその知らせを聞いてもその時の私は不思議なことに涙すら出なかったのだ。どんなに世話になったのか、その恩は忘れたつもりはないのに。

「すみませーん良いですか向島先生、委員会の……」
「ああ、いま行きます」

 私は多分どこか壊れているのだろう、どうしようもないこんな自分に随分と前から嫌悪感を抱いている。
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