光の君と氷の王

佐倉さつき

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第6章 統べる者

葛藤 ※氷の王視点

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「まだ起きていたのか?」
私が寝室に行くと、ハルは長椅子に座って闇の精霊王様の背中を撫でていた。
精霊王様に「無責任に手を出すな」と言われて以来、ハルのところに行く時間が遅くなってしまっている。
執務が忙しいのもあるが、私の気持ちの問題も大きい。
以前は執務を無理やりにでも終わらせて、一刻でも早くハルの元に行こうとしていた。
しかし、今はハルと顔を合わせづらくて、自ら仕事量を増やしている。

ハルと一緒にいると、ハルに触れたくなってしまう。
ハルは繊細なのか、細かいことを気にして悩んだり、すぐに自分に非があると考えて謝ってきたりする。
「そんなこと気にしなくていい」「大丈夫だ」と声をかけて頭を撫でたり、抱きしめたりして、ハルを安心させたくなる。
ハルに触れたくて手を伸ばしそうになるのを必死で抑えているが、そうすると私とハルの間に気まずい空気が流れる。
ハルの不安そうな目に気づいているのに、うまく取り繕うことができない。
一緒にいればいるほどハルを傷つけてしまう気がして、ハルと一緒にいるのが怖い。

せめてハルが寝ていてくれれば、ハルを傷つけなくてすむのではと思うのだが、「遅くなるから先に休んでいていい」と伝えているのに、ハルは起きて待っていてくれる。
部屋に入った私に、ハルが笑顔で「お疲れ様です」と声をかけてくれると、仕事の疲れも吹き飛んでいくほど幸せな気持ちに包まれる。
しかし、それと同時に、ハルを抱きしめたいという自分の欲求と格闘しなくてはならなくなるのだ。
「ああ、ありがとう」と応えるのが精いっぱいで、ハルに悪いと思うのに背を向けてしまう。
不安そうな目で私を見つめるハルの顔を見たら、ハルに触れられずにはいられなくなる。
そうならないようにするためには、ハルを見ないようにするしかないのだ。
ハルが寝ていてくれれば、ハルを傷つけることもないし、無様な姿を見られることもないのだが・・・。

しかし、ハルが寝ていたとしても、自分の欲求との闘いは起きる。
私の体はハルを抱きしめた時の温もりを覚えてしまっている。
やわらかい髪の感触を・・・そして、滑らかな頬の感触を・・・
そして、私の口唇はハルのやわらかい口唇を覚えてしまっている。
ハルに背中を向けて眠っていても、何度も振り返りたくなる。
我慢しきれずに振り返ってハルの寝顔を見てしまい、衝動的に手をのばそうとしたところで精霊王様の存在に気づき、居たたまれなくなって逃げるように退室したこともある。

こんなに苦しい思いをするのなら、ハルと一緒に寝るのをやめればいいと思うのだが、それすらできないでいる。
精霊王様にハルをとられてしまいそうで、ハルが遠くに行ってしまいそうで、怖いのだ。
どんなに苦しくても、ハルを手放すことができない。


「すみません。精霊王様とお話ししていたら遅くなってしまいました。」
私の問いにハルが俯きながら答える。
ハルの「すみません」は、私の「先に休んでいていい」という言葉に従わなかったことへの謝罪だろうか。
ハルは悪くないのに、自分を責めているのだろう。
精霊王様が“我のせいにするな”と怒っているところからして、おそらくハルは私を待っていてくれたのだろう。
だが、私の負担にならないようにするためか、私を待っていたとは言わない。
ハルの気遣いが嬉しいのと同時に、ハルを苦しめているであろう自分自身が許せない。

精霊王様がいなかったら・・・
私は、「気を遣わせてすまない」と言って、ハルの頭を撫でていたであろう。
「起きていてくれて嬉しい」と言って、ハルを抱きしめていたかもしれない。

精霊王様が聖女神殿に来られてから、何度「精霊王様さえいらっしゃらなかったら」と思ったことだろう。
だが今夜は、邪魔者のように感じている精霊王様にお願いしないといけないことがある。

「ハルが謝る必要はない。・・・夜分に申し訳ないのですが、精霊王様にお話ししたいことがあります。私と一緒に隣の居間に来ていただけませんか。」
“我に話とは珍しいな。よかろう、話を聞こう。”
常日頃、王家の人間が好きではないという雰囲気を醸し出している精霊王様には断られるのではないかと心配していたが、すんなりと了承してくださった。
もしかしたら、今のセントラルランドの状況や私たちが話す内容を事前に察していらっしゃるのかもしれない。
「申し訳ないが、ハルは先に休んでいてくれないか。」
「はい、わかりました。」
ハルは何か言いたそうだったが、我慢して了解してくれた。


*****

寝室の隣の居間には、私と精霊王様、ディルク、オスカルが集まっていた。
“我に話とはなんだ?”
精霊王様の問いに、私はゆっくり呼吸をして心を落ち着かせてから口を開いた。
「私とディルク、オスカルは、明日、北部に行かないといけなくなりました。その間、精霊王様にハルを守っていただきたいのですが、お願いできますか?」
“北部に何をしにいくのだ?”
「北部で、大規模な洪水が起きています。その復旧のために、水の魔法が使える私と土の魔法が使えるディルクが行くことになりました。」
“光の君は、連れて行かないのか?”
「この洪水は人為的に引き起こされた罠の可能性があります。国民は聖なる光の聖女であるハルの活躍を願っているでしょうが、そのような危険な場所にハルを連れて行くわけにはいきません。ディルクがハルに変装して魔法を使い、復旧させます。国王と聖女が出かけるのに近衛騎士団長がいないのは不自然なので、オスカルも連れていきます。そうなると、ハルを守れる人間がいません。」
“それで、私に光の君のことを頼みたいというわけか。国王は、それでいいのか?”
精霊王様の目が鋭くなった。
嘘やごまかしは許されない。

「はい。ハルを危険な目に合わせるわけにはいきません。もし、私に何かあった時には、ハルのことを頼みます。悪い人間に利用されないように、ハルが心穏やかに生活できるようにお願いします。」
“我は、人間の生活のことはわからん。光の君を守りたいのなら、国王が側にいて守ればいい。だが、人間だけでは心配だから、我もついていってやろう。我にとっては、ディルクの命も大切だからな。光の君とディルクのついでに、国王たちのことも守ってやろう。”
「私は、ついでですか?」
“我は、王家の人間は嫌いだ。”
笑顔でばっさりと切り捨てられてしまった。

“それから、我は今夜はディルクのところに行く。傷ついた光の君の相手は疲れた。これ以上、光の君を傷つけるようなら、他の人間の命は守っても、国王だけは見捨てるぞ。”
ますますいい笑顔を浮かべながら、とんでもないことを言ってくる。
「でも、ハルはもう寝ていますよ。」
“その時は、自分の命を諦めるんだな。”
楽しそうに笑う精霊王様の顔を見て、逃げることは許されないと悟った。

「陛下、明日の朝食は馬車の中で食べられるようにしておきますので、朝はいつもより遅くても大丈夫ですよ。」
「道中は、俺がしっかり警護するから、馬車の中でハルと寝ていても大丈夫だぞ。」
どうやら私の味方はいないらしい。
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