終のすみか

第13話 細胞の死骸

　夜の帳が降りると、町は静寂に包まれた。スマートフォンの画面だけがわずかに光り、婚活アプリのトップ画面が待ち構えている。登録を躊躇う指先に、過去の失敗と孤独が重くのしかかる。

「本気でやるの？」
　背後から母の声が響く。私は慌てて画面を消し、寝室のドアを閉めた。

　数日後、意を決してプロフィール作成画面を開いた。ニックネーム、生年月日、職業、趣味、自己紹介――項目は無機質に列挙され、空欄のままでは先へ進めない。私はキーボードに向かい、震える文字を打ち込んだ。

「はじめまして。桐原実花、33歳です。読書と映画鑑賞が好きですが、人見知りで友人は少ないです。真剣にお付き合いしてくださる方を探しています。」

　送信ボタンを押すと、「プロフィール登録完了」の文字が短く跳ね返った。胸の奥にわずかな安堵が生まれると同時に、冷たい不安が襲った。

　翌朝、通知欄には既読者１名――だが、その足跡はすぐに消えていた。誰もメッセージを送ってくれない。私は膝を抱え、ソファの背にもたれかかる。

「こんな私、誰が求めるの…？」
　思わず漏れた声に、部屋の静寂が重く答えた。

　昼間、郵便受けに見慣れないチラシが一枚。地域の婚活パーティーの案内だった。「初参加限定」「無料」「男女各10名募集」の文字に、心臓が高鳴る。だが、それは闘技場の招待状のようにも見えた。

　夜、会場となる町のコミュニティセンターに足を運んだ。ドアの向こうには無数の視線が待ち構えており、胸が締めつけられる。白い名札を胸に貼り、「桐原　実花」とだけ書かれた文字が震えて見えた。

　自己紹介タイム――順番が回るたび、緊張で声が震え、言葉が途切れる。対面の男性は愛想よく笑うが、その視線は賞味期限切れの食品を選ぶように、私を品定めしている。

「趣味は？」
「映画…ですが、ほとんど一人で観に行きます」
「なるほど…」
　会話は続かず、すぐに次の人へと場が移った。

　休憩時間、受付の女性が渡してくれた簡易アンケートの結果用紙を見ると、私が「再度話したい」と思われたのはゼロ人。対岸ではカップルが楽しげに笑い、私の存在はもはや風景の一部に過ぎない。

　帰り道、夜風が肌を刺す。「ひとり」の実感が骨まで冷え込んだ。錆びついた庭のサボテンのように、私は生き延びてきたが、細胞のひとつひとつが死滅していく痛みを感じる。

　部屋に戻ると、スマホの通知は再び沈黙をまとう。布団にもぐりながら、私は短いメッセージを自分に送った。

「…おやすみ、実花。また明日。」

　ひとりきりの声が、暗い天井に吸い込まれていく。希望も絶望も区別がつかないまま、夜は深まっていった。