宇宙を超えて

荒谷宗治

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2章

第7話 小さな盾

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 休日の朝、うるさい掃除機の駆動音で覚醒し、目を開けた志穂の視界に映ったのは天井と、通常なら見えない筈の壁だった。首だけ持ち上げフットボードの方へ視線を動かすと、いつも見えているクローゼットの扉が半分近く隠れている。どうやらベッドに『角度』がついてしまっているようだ。
 一体何が起きているのか原因を探るよう寝起きの鈍い脳が寝起きで鈍い身体に命令を下すより早く、ベッドの角度が上がっていく。重力に引かれ、ずり落ちないようベッドのへりを咄嗟に掴むが固定されていない毛布が顔面へと飛び込んでくる。

「わぷ!」

 毛布に視界を奪われると、間もなくベッドの動きが止まり、掃除機の音が近づいてくる。若干の息苦しさを感じつつも、志穂は息を吐いて顔の毛布を剥ぎ、口を開く。

「ねえ~……何してんの……?」
「掃除だ。わからんか?」
「そういう意味じゃないんだけど……」
「ならなんだ?」
「……人が寝てる時に勝手にベッド動かさないでよ。びっくりするでしょ~……。なにこの逆リクライニング……」
「だったら最初からそう言えばいいだろう」

 返答に志穂が閉口していると、傾いていたベッドがゆっくりと元の位置に戻っていく。志穂は1つため息を吐くと起き上がり、掃除機を動かす自称宇宙人を見やる。

(結構真面目に掃除するのよねこいつ……)
 
 部屋の隅々まで掃除機を行き渡らせているベムを見つめながらそんなことを考える志穂。先程の逆リクライニングも、片手でベッドを持ち上げ、もう片方の手で掃除機を持ち、ベッドの下の埃を吸っていたのだろうと志穂は推理する。普通なら掃除しにくいベッド下を、そうやって掃除してるところをここ数日で何回か見ていたからだ。それ以外にも、冷蔵庫や洗濯機も片手で簡単に持ち上げて周囲を掃除している場面を志穂は目撃していた。それどころか洗面所やトイレ、フローリングの隙間等も掃除している姿も記憶に新しかった。
 
(そんなところまでやるなんて、意外と潔癖症なの?)

 宇宙人の性質に思案を巡らせる志穂だが、その考えは次の瞬間粉々に打ち砕かれる。

「そうだ。ゴキブリが取れたんだがどうす……」
「あーーー!!! 見せんなーーー!!! 早く処分して!!!」
「了解した」

 淡白に了承したベムは志穂に突きつけた、指先でカサカサと手足を動かすゴキブリを握り潰す。拳が開かれると砕けたゴキブリがパラパラとビニール袋に入っていく。そして、ベムは再び掃除機に手を伸ばす。

「触んないでよそれで!!!! 手ぇ洗って!!! ちゃんと洗剤つけて!!!!」

 志穂の叫びに、ベムは無言で小さく手を上げると立ち上がり、洗面所へ向かう。その後ろ姿を見届けた後、志穂がベッドから降りる。

「はあ……全く……宇宙人の衛生観念どうなってんの……。捕まえたゴキブリを見せてくるって……猫かあいつは。見た目は全然可愛くないクセに……」

 ぼやく志穂が着替えようと目線を上げると、うつ伏せに倒れた1人の男性が視界に飛び込んでくる。その光景に志穂が絶句して固まっていると、洗面所からベムが戻ってくる。

「ねえ……誰あれ?」

 男性を震える指で差しながら恐る恐るベムに尋ねる志穂。志穂の質問にベムは落ち着き払った態度で答える。
 
「私達の周囲を嗅ぎ回っていたレランカの駒の1つだ。先程捕獲した」
「捕獲って……っていうかなんで捕まえたの?」
「可能性は低いがレランカに繋がる情報を持っているかもしれない。だが外で調べる訳にもいかんのでな。連れてきた」
「……調べてなんかわかったの?」
「なにも」
「じゃあどっか別の所に置いてきてくれる? これ捨てるついでに」

 その言葉にベムが顔を動かすと、ゴミ袋を突き出した志穂の姿が視界に映った。


 ゴミ袋と意識を失っている男をそれぞれの手に持ったベムが家を出て扉が閉まると志穂が大きく息を吐く。

「着替えよ……」

 寝巻きのスウェットからTシャツとジーンズに着替えると、ゴトリと何かが落ちる音が志穂の鼓膜を揺らす。
 苦虫を噛み潰したような表情でリビングへ向かうと、机の上に中心に黒点のある白い石が転がっていた。

「駄目か……」

 そう漏らして志穂は机の上の超念石を手に取る。超念石。ベムのいた銀河の星間戦争を終わらせた古代兵器の欠片。彼の任務はこの超念石の回収。そして、その『超念石』を狙うテロリスト宇宙人の排除。この2つを達成するため地球に来て、現在志穂の部屋に居候している。
 何故かというと超念石は現在、志穂の精神と融合しており、その状態ではどんな場所にあろうと超念石は必ず彼女の元へ舞い戻る。

「五重くらいに密閉したんだけどなー……」

 ベムに突き出したゴミ袋。あの中には、生活ゴミに紛れ、バラバラにしたティッシュや調味料の空き箱、スーパーの無料ビニール袋等で幾重にも覆われた超念石が入っていたのだ。だが志穂の努力も虚しく、超念石は現在彼女の手の中に収まっている。
 川に捨てる。土に埋める。宇宙人ベムとの共同生活が始まってから志穂は何度も超念石の放棄、破棄を試してみたが全て失敗に終わっている。回収が目的であり、仮にそれらが成功すれば不利益をこうむる筈のベムも「無駄なことだ」と一蹴し、目の前で行われる志穂による超念石の放棄、破棄行為を一度も止めようとしなかった。

「トイレに流してみる……? いやでもこんなデカくて硬いの流れないか……」

 それでも志穂は廃棄を諦める気はないようで、握られた超念石を眺めながら考えを巡らせる。しかしそれは、部屋に鳴り響いたインターホンの音にかき消される。石を無造作に投げ捨て、モニターを確認するとそこには何も映っていない。

「すいませーん!」

 すると、今度は幼い少女の声が聞こえてくる。恐らくインターホンを鳴らした人物と少女は同一人物なのだろうという推測と、何故見ず知らず他人の家を訪ねて来たのかという疑問が志穂の頭に浮かんでくる。声色からしてひっ迫した状況にさらされているとは少し考えづらい。単なる間違いか、それとも迷子か、どっちにしろ一度詳しく話を聞く必要があると判断した志穂はドアを開けることにした。

「はい」

 扉を開けるとそこにいたのは志穂の膝丈ほどの身長しかない少女だった。背中まで伸ばした黒髪にスカートを履いて、見上げるような姿勢でにっこりと笑みを携えている。志穂はふっと笑うとチェーンを外してしゃがみこみ、口を開く。

「どうしたの? 間違えちゃった? それとも迷子になっちゃった? お母さんかお父さんどこにいるかわかる?」

 優し気に少女へ問いかける志穂だが当の本人は彼女の質問に答えず、肩に掛けていたバックの中から本を取り出し彼女の前へ掲げる。

「これもらってくださーい!」
(げ……)

 無邪気な少女の笑顔とは対照的に志穂は顔をしかめる。目の前に突きつけられた本は黒を基調とした500ページ程の厚みがある文庫本で、表紙には『神と宇宙の真実』『真の幸福への道筋』等おおよそこの年頃の少女が読む内容の本ではないことが一目で分かる文字列が躍っている。いったいどう声をかければいいのか志穂の頭が考えを巡らせると視界の外から手が伸び、少女の頭を撫でる。少女とほぼ同時に目線を上げると少し頬のこけた、長い黒髪を一つ結びにした穏やか笑顔の女性が立っていた。

「ママー……」
(うげ……)

 不安気に抱きつく少女を笑顔で迎える母親とは対照的に、苦虫を噛み潰したように顔を歪ませる志穂。
 諸般の状況から考えて、少女は家を間違えた訳でも迷った訳でもない、恐らく母親の指示で自分の家に訪ねてきたのだ。そして、訪ねてきた理由も既に予想はついていた。

「こんにちは。貴方は神様を信じますか? 私達、こういう活動をしているものです」

 優しげな笑顔でそう言った母親がパンフレットを取り出す。志穂は立ち上がると無言で目を逸らし、拒絶の意を示す。

「輪廻転生ってご存知ですか? 人は前世の徳の積み方で現世の人生が決まるというものですが……」

 意図が通じていなかったのか、それとも分かっていてやっているのか、母親はお構いなしに勧誘文句と思われる文言を喋り始める。
 
「すいません。そういうの興味ないんで」

 冷淡に言い放ち、ドアを閉めようとする志穂。だが少女の母親が手を挟みこみ、それを阻止する。
 
「なっ……!」

 志穂が思わず声を漏らし、咄嗟に両手でドアノブを力いっぱい引き、無理矢理扉を閉じようとするが、身体をドアの間に挟み込んで家の中を覗き込むように少女の母親が身を乗り出してくる。その場から離れようと反射的にドアノブから手を離した瞬間、少女の母親に腕を掴まれ引き寄せられる。
 
「私も以前は辛いことばっかりで、事故で夫に先立たれて、職場でも上手くいかず、この子も身体が弱くてよく体調を崩してはそれの対応に追われて……本当に辛い日々だったんです!」

 母親の前置きであろうその言葉に志穂は眉をひそめる。
 
「あの時はなんで私だけこんな目に……っていつも思っていたのですが、神様に出会ったことで宇宙の真実を知り、頭の中の霧が晴れたようで……今はあのときの辛い出来事にも感謝できるようになったんです」

 志穂の腕をがっしり掴んだまま勧誘文句をつらつらと語る少女の母親の、異様に澄んだ眼に気圧されつつも、志穂はせめてもの抵抗として彼女を睨みつける。

「ほら、貴方も言って」
「えーと……私も学校でいじめられたり、よく風邪を引いてたりしてたんだけど……お母さんと一緒に先生のお話を聞いたらいじめられなくなったし元気になったの! お姉さんも一緒に入ろう? 楽しいよ」

 母に促され、たどたどしい口調で真実なのか疑わしい体験談を口にする少女だが志穂の姿勢は変わらない。それどころか視線はより冷たく、侮蔑や軽蔑の意図を隠さないまま母親に注がれる。

「あなたもこれを見ていただければ考えが変わると思いますよ」

 すると、母親が話を中断して懐のバックに手を突っ込み何かを探し始める。
 
「これなんですけどね……」

 そう言って母親が懐から何かを取り出そうとした瞬間だった。彼女の身体が一瞬にして宙に浮くと同時に何かが地面に落ちる音がする。目線を上げると、何度目かも分からない景色が見えた。ベムがその剛腕で母親の頭を掴み上げているのだ。泣き出した少女を志穂が反射的に抱きしめ、あやすように背中を撫でる。

「なんなんださっきからこいつらは。ペラペラとやかましいな。殺すか」

 そう言ってベムが手に力を籠め始め、少女の母親の頭からミシミシと嫌な音が鳴り始める。
 
「ちょ、ちょ! なにしてんのやめなって! 離しなよ!」

 志穂が縋りつくようにして懇願する。ベムが志穂を一瞥すると、頭を掴んでいた手からバチリと音を立てて光が迸る。そして手を開き、持ち上げられていた母親が落下し尻餅をつく。

「あ! え? え! な、な、なに? なに!? ひい!?」

 すると、さっきまでの記憶が無いかのように動揺を見せる母親は、ベムが視界に入ると同時に恐怖に顔を歪ませ、志穂が抱きしめていた今だ泣き止んでいない少女をひったくるとバックを置いたまま一目散に逃げ出す。そんな母親の背中を志穂は複雑な表情で見つめていた。

「あの人って……もしかして……あんたが言うテロリスト宇宙人……レランカだっけ? それの……」
「ああ。そいつに洗脳されていたとみて間違いない」
「……子供の方は?」
「そっちの方は問題ない。母親の言葉に、何もわからないまま従っているのだろうな」

 ベムの言葉に志穂の眉間に皺が寄り、表情が険しくなる。

「……ああいうの嫌い」
「何がだ?」
「子供を盾にしてくるところ。ああやって断りづらくしてくるのほんと卑怯だと思う。頭のおかしい神様気取りのバカ教祖のせいで母親に連れまわされて、可哀そうでしょ」
「それもあの少女の人生だ」

 淡泊に一言で切って捨てるベムに志穂が冷ややかな視線を向ける。

「……とりあずありがとう。助かったよ。でももうちょっと別のやり方があったんじゃない? 子供も泣いてた……」

 そこまで言ったところでベムが志穂の目の前にナイフを突きつける。

「し……」

 刃先に返しのついた凶悪な形状の刃物が眼前に現れ、志穂は言葉を失う。間もなく、ベムがナイフを握っていた手を軽く上げ、志穂の鼻先にあった刃が離れていく。

「あの母親の持ち物だ」

 次の瞬間、ベムがナイフを握り潰す。パラパラと彼の手の中から砕けたナイフが地面に溢れ落ちたところで志穂が口を開く。

「あたし……ひょっとして刺されかけてた……?」
「そうだな。超念石がある以上命を奪われることはないと思うが、足や腕の一本は持っていかれただろうな」

 その一言に志穂の背筋に寒気が走る。脅しであるベムの時とは違う、未遂とはいえ自分自身に向けられた、簡単に命を奪える道具による物理的暴力。宇宙人の突飛な行動の連続に、どこかぼんやりとしていた当事者意識がはっきりと浮かび上がってくる。
 この危険な状況はいつまで続くのか、敵がより過激な手段を使ってくる可能性。大学にいても家にいてもこうして狙われる。考えれば考えるほどいつ終わるかも分からない不安定かつ危険な状況にいることがはっきりと分かる。志穂の胸に不安と恐怖が溢れ、寒さに震えるように自分の身体を両腕で抱きしめる。そんな彼女を、ベムは無言で見つめていた。

「とりあえず……」

 それだけ言って押し黙る志穂。次の言葉をベムが腕を組んで静かに待っていると、彼女の口が開かれる。

「ナイフとか片づけてご飯食べよう」

 いつもと変わらない調子で言い放ち、部屋に戻っていった志穂に、ベムは目を見開き腕組みを解いた。
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