プロミネンス【旅立ちの章】

笹原うずら

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静かに暮らしたいなんて思ってない

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 ――過去――

「はぁはぁはぁはぁ」

 まだ幼い少年シェドは、ただただ真っ直ぐに走っていた。目を瞑れば、血塗れになった母の姿が浮かぶ。耳を塞げば、死に際の彼女の声が聞こえる。シェドは、そんな残響から逃れるように必死で風を切り、全速力で走った。

「あ、いってぇ!!」

不意に足元にあった根っこにつまずき、とてつもない勢いで転んでしまう少年。痛みというよりは、急に身に生じた強い衝撃に涙が出そうになる。

 しかし彼は、拳を強く握ることでそれを抑え込んだ。泣いている暇はない。自分は少しでも遠く、あの神に見つからないところまで行かなきゃならないのだ。そうしなければ、母の死が無駄になってしまう

 膝の血も気にせず立ち上がり、再び走り出そうとするシェド。そんな彼の頭の上から、聞き覚えのあるしゃがれた声が聞こえてくる。

「お前、ヤレミオの倅か? 大きくなったなぁ。どうしたこんなところで?」

 白髪混じりの髪を携えた40後半ぐらいの、狼の獣人だった。しかも父親の友人ということで、何度か父や母に会いに来たことがあったはず。確か名前は、こんな感じだった。

「ヴォルファ?」
「おお、そうだよ。数回しかあっていないのによく覚えていたな。なあ、シェド。おふくろさんは、ユキは、どうしたんだい?」.

すると、シェドの目から大量の涙が溢れてくる。当たり前のことだった。幼い彼には、あまりにもショックの大きすぎる母の死。それを経験してもなお、彼は今まで、たちどまり泣き叫ぶことなく、ここまで走ってきたのだ。だからこそ、彼の涙を堰き止めているダムは、いつ決壊してもおかしくなかった。

「……う、ああ、うわぁぁぁ、ヴォルファ。母さんが死んだんだ。目の前で神とかいう奴に、殺された! 奪われた! 母さんは! 誰にも! 奪われることなんてしてないのに!! あぁあぁぁぁ!!」

 ヴォルファの服にしがみつき、ひたすらに泣き叫ぶシェド。ヴォルファは、彼のことを慰め、彼の言葉を脳内で強く噛み締める。

「……そうか、結局間に合わなかったのか。すまない」
「うわぁぁぁぁぁあ! あぁぁ、あぁぁぁぁあ!」

 母の死に涙を流すことしかできず、ひたすらに叫ぶシェド。ヴォルファは、そんなシェドの頭をひたすらに撫でて、彼を宥める。そしてヴォルファは彼に必死でかける言葉を模索する。

「シェド。すまんなぁ。守れなくて。でもここにいたらきっと神どもが追ってくる。うちにこい、シェド。そして、あとは静かに暮らせ。あいつらに、もう2度と狙われることのないように」
「静かに暮らしたいなんて思ってない!!」

シェドは、強くヴォルファの服の裾を握りしめ、叫んだ。まだ幼い子どもの力とは思えないその握力に、ヴォルファは驚く。そして、かつての彼の旧友で、凄まじい強さを持ったヤレミオと、彼の姿が重なる。ああ、やっぱりこいつには才能がある。間違えなくシェドは、ヤレミオの子どもだ。

 そんなことを思うヴォルファに、シェドは、言葉を続ける。

「なあ、ヴォルファ! 強くなる方法を教えてくれ! 平穏な生活なんて望んでない! 幸せになんか生きなくてもいい! ただ俺は強くなりたいんだ!! 強くならなきゃいけないんだ!! じゃないと一生、俺は太陽の下で笑えねぇよ!!」

 気圧される彼の狂気とも言える強さへの欲求に負け、ヴォルファは、彼を預かり鍛えることになった。シェドは、時には寝食も忘れて、ひたすらヴォルファの修行に取り組んだ。そう、そんな命を削るような修行をしてきたからこそ、このシェドという男は、どんな獣人にも負けない力を手に入れたのだった。
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