マトリョシカ

葉山流人

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第一章

第7話 経験不足

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「……だめだ」
 そう呟いてとおるはタイピングの手を止めた。
 日曜日。学生文芸展に向けて小説を書き始めて三週間。構成をやっとのことで終わらせたのが一昨日。透はある壁に直面していた。
「デートのシーンが書けない」
 今書いている小説は学生が主人公の恋愛もので、恋愛ものにはもちろんデートのシーンは欠かせない。だが透には肝心の経験がなかった。今まで恋愛ものの小説を好んで読まなかったのも痛い。
「やっぱ読書量が足りないかな」
 思い立ったが吉日。透は部屋着から服を着替えて家を出る準備をした。
「ちょっと出てくる」
「はーい」
 リビングにいる母と妹に声をかけて家を出る。
 道路沿いの桜並木をぼんやりと眺めながら歩く。桜の花びらはとっくに散り、青々とした葉桜が風に揺られていた。
 駅前の横断歩道に差し掛かり、信号を待っていると見覚えのある姿が駅から歩いてきた。
「あれ、佐野君」
 さくらが透に気づき声をかける。
「田宮さん。そういえばこの辺に住んでるんだっけ」
「うん、ここから二駅のところ」
「そんな近かったんだ」
「まあ同じ市内だしね。中学校も近かったじゃない」
「そうだった」
 信号が青に変わる。
「じゃあ、俺はこれで」
「私もこっちよ」
 桜は透に並んで歩きだす。
「佐野君はどこに行くの?」
「駅前のデパート。ちょっと本屋に用事があって」
「そうなんだ。私もデパートに行くところなの。折角だからちょっと付き合ってよ」
「えっ」
 透は予想外の展開に戸惑う。
「いや俺本屋行くだけなんだけど」
「いいじゃない。どうせ暇でしょ」
「……まあいいや」
 小説の執筆があったので別に暇ではなかったが頑なに断るほど切羽詰まってはいなかったので了承することにした。

「どんな本探してるの?」
 特に本屋に用はないのか桜はずっと透の後ろをついてくる。
 透は少し迷って答える。
「……恋愛小説」
「えっ!意外だね。恋愛小説読むんだ」
「それ絶対言うと思った」
「だって読みそうにないんだもの。なんなら嫌いくらいじゃない?」
「別に嫌いではないけど。まあ普段は全く読まないね」
 話題図書の棚を眺め、最近テレビのCMでよく流れている恋愛映画の原作を手に取る。
「じゃあどうして……あ、もしかして学展?」
「まあ、ね。よくわかったな」
「なんとなくね。でもなんで恋愛もの書こうと思ったの?」
「今までの受賞作と最近の流行りが恋愛ものだから書いたら審査員の受けもいいんじゃないかと思って」
「そういうことかー」
 理由を聞けて納得したのか桜は雑誌の棚へ歩いて行った。透はまた何冊か恋愛小説を手に取り裏表紙のあらすじを確認する。
「正直どれがいいかわからないな」
 あらすじを読んでも特にピンとこない。どれも同じようなものに感じてしまうのは気のせいだろうか。これが流行りというものなのだろうか。とりあえず読んでみないことには始まらない。
 透は棚から三冊ほど本を選びレジに会計へ向かった。

「ごめん。待たせた」
「ううん。全然。じゃあ行こっか」
 桜はそう言って歩き出す。透は少し後ろから桜の姿をぼんやりと見つめる。大学で会う時よりも服装が心なしかお洒落に見える。余所行き用の服なのだろうか。
「どうしたの?」
 透の視線に気が付いたのか桜は振り向く。
「いや、ええと。田宮さんはどこに用事があるの」
「いや、特にないけど。ぶらぶらして気になったお店に寄る感じ?」
「女子ってなんでみんなそうなんだ」
 透は思わずため息をつく。
「えー。デパートはウインドウショッピングが楽しいんじゃない」
「目的をあらかじめ決めて来た方が効率的でしょ」
「そういうこと言う男はモテないわよ」
「余計なお世話だ。付き合わされる身にもなってくれよ」
「あら、経験があるのね」
 図星だった。デートの場面がかけなくて恋愛小説を買いに来るくらいには透は恋愛経験がない。
 透は降参の意味も含めて何も言い返さずにだんまりを決めた。
「あ、あの店寄ってもいい?」
「……どうぞ」
 透の敗北感をよそに、桜は足軽にアパレルショップへと向かうのだった。

「ふう……」
 透は荷物を適当に放り出しベッドに寝転ぶ。昼過ぎに家を出たのだが帰ってくる頃には日は沈んでいた。
「疲れた……」
 結局本屋での用事を済ませた後、十店舗以上も付き合わされ、デパートの隅から隅まで歩き回る羽目になった。
 しかし収穫もあった。女子と二人で買い物に行くという経験をした今、問題のデートの場面を書き上げることができるかもしれない。
「今日はもう無理だな……」
 普段必要以外の外出をしないのが祟って透は疲労困憊だった。ベッドに寝転んだとたん睡魔が襲ってくる。
 もうこのまま眠ってしまおうか。そう思って目を瞑った瞬間、一階にいる母の声が聞こえてくる。
「もう飯の時間か」
 透は重い腰を上げてベッドから起き上がり自分の部屋を出る。一階へと向かう足取りは、疲れている体とは裏腹に軽やかだった。
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