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瑞希の「本当」
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塚本先生による事情聴取が終わって廊下に出た私たちは、ホッと大きく息をついた。
「あー……最悪だった」
遥がこぼした一言が、全員の気持ちそのものだった。
「あの、ごめん」
瑞希が私と遥に向かって頭を下げた。ぎゅっと握りしめたスカートのチェックが歪んでいる。
「前にちょっと話したけど、うち男兄弟ばっかでさ。あたしも男みたいに育てられたんだ。小学校まではそれでよかったんだけど、中学になったとき、気が付いたらみんなは、なんていうか『女の子』になってた。服装とかメイクだけじゃない。使ってるシャンプーとか、ハンカチの柄とか、髪を結うゴムとか、そういうとこがもう、あたしとぜんぜん違ってた」
彩りよりも食欲を満たすことを目的にした、いつも茶色ばっかりのお弁当。
もしかしたら、昔の瑞希を取り巻くものもそうだったのかもしれない。
「ずっと変わりたかった。でも、親も兄弟も『まだ子どもなんだしそのままでいいじゃん』しか言わないし、仲間に入ろうと頑張ってもなんか空回りばっかで、いつの間にかみんなに煙たがられて、無視されて、一人になって、三年のときは学校に行けなくなった。それでもずっと変わりたくて、この高校に入ったら、全部なかったことにして新しく生まれ変わろうって決めてた。嘘ついて、ごまかしていればそのうち、こっちのあたしが『本当』になるって信じたかった」
オレンジ色の爪。ミルクティーベージュの髪。灰色のカラーコンタクト。短いスカート。
あれはきっと瑞希の決意表明で、過去の自分へのさよなら。
「でも、入学式でチッカのスピーチに感動したっていうのは本当なの。それだけは信じて。みんなの前でそんなこと言えるなんてすごいって。それに、あたしもその他大勢になんかなりたくない、なってたまるかって思った。だから……チッカの友達になりたかった。ずっと嘘ついてて、迷惑かけて、ごめんなさい」
瑞希がもう一度、深く頭を下げた。
「瑞希は嘘なんかついてないよ。いまの瑞希も、昔の瑞希も、ぜんぶ本当でしょ。迷惑をかけてきたのは向こうだし」
私の隣で、遥が小さく笑った。
「瑞希ちゃんは、俺と千佳の大事な友達だからさ。ああいうときは怒らせてよ」
「遥は、ちょっとやり過ぎ。反省して」
「……ごめん」
私たちのやり取りに、瑞希が笑った。握りしめていたスカートのチェックが、ほどけて揺れる。
遥は塚本先生にこっぴどく叱られて、反省文の提出を命じられていた。あれだけ大暴れして、それだけで済んだのは奇跡的でもある。
「お前が悪いとは言わない。しかし、暴力的な解決はあまりに短絡的だ。そこは反省するように」
懇々と遥に言い聞かせる塚本先生のレンズの奥の目は、いつもよりずっと柔らかかった。
融通が利かない厳しいだけの教師かと思っていたけれど、あれでなかなか硬軟織り交ぜた優秀な教育者なのかもしれない。
「それにしても、塚本先生が文芸部の顧問だなんて知らなかった。桐原先輩もなにも言ってくれないし」
相原くんと吉田さんの所業について話したとき、塚本先生は「桐原が言ってた生徒か」と口にした。先輩からの報告で、学校側も調査を始めたところだったらしい。
きょとん、とした私たちに塚本先生が説明したところによると、塚本先生は桐原先輩の元担任で、三年生が卒業したあと廃部寸前だった文芸部の顧問になってくれるよう頼みこまれたのだそうだ。
「まさか本当に部員が集まるとはな。まったく、あいつにはいつも厄介ばかり押し付けられる」
わずかに眼鏡を押し上げて目頭を揉むその姿は、内心ちょっと楽しんでいるようにも見えたけれど。
「つーかさ、部長ってなんで相原のこと知ってたの?」
遥が当然の疑問を口にする。塚本先生もそこまでは教えてくれなかった。
「なんかいろいろ調べたみたい。文芸部をバカにした報いは受けてもらわなきゃねって言ってた」
……怖すぎる。
いつもアガサ・クリスティを手に、にこにこしている桐原先輩しか知らなかったけれど、その内側こそが、なによりもミステリーだ。
「あ、でも瑞希。あれは嘘でしょ。恋愛マスターってやつ」
申し訳ないけれど、中学時代の姿を見る限り「そっち方面に自信がある」とはとても思えない。
「違うよ、それは本当。恋愛指南本とか雑誌のモテテクとか読み漁ってるもん」
「実践が伴わないんじゃ意味ないから」
「オカンか」
「いや、だから」
ふふっと笑い合う。
「そのツッコミ合ってないし」
「二人とも仲いいね。ちょっと悔しい」
「遥くんも友達でしょー。あ、でもチッカは……」
「ほらほら! 遅くなっちゃったし早く帰ろ!」
二人の手を引いて強引に歩き出す。
誰かに触れられるのは嫌い。
だけど、遥と瑞希。この二人は「誰か」じゃない。伝わってくる体温に心がすっと馴染んでいく。
「千佳、怪我は大丈夫?」
手のひらと膝にでかでかと貼られた絆創膏を見ながら、遥が聞いた。
「平気だよ。大げさすぎて恥ずかしい」
「そっか。――ごめんな。俺、約束したのに、またダメだった」
また。
その言葉に引っかかりを覚える。
うつむいて口をつぐんだ遥に、私は曖昧に微笑むことしかできなかった。
前髪を撫でつける。
――これはねぇ、はるかと、わたしのひみつ。
ずっと聞こえなかったチーの声がした。
嘘つきは瑞希じゃない。私だ。
私は、かつて取り返しのつかない嘘をついた。そして、今もつき続けている。
それを償うために、私は遥に嘘をついてチーになろうとしてる。
だって、私の嘘がチーを殺したから。
「あー……最悪だった」
遥がこぼした一言が、全員の気持ちそのものだった。
「あの、ごめん」
瑞希が私と遥に向かって頭を下げた。ぎゅっと握りしめたスカートのチェックが歪んでいる。
「前にちょっと話したけど、うち男兄弟ばっかでさ。あたしも男みたいに育てられたんだ。小学校まではそれでよかったんだけど、中学になったとき、気が付いたらみんなは、なんていうか『女の子』になってた。服装とかメイクだけじゃない。使ってるシャンプーとか、ハンカチの柄とか、髪を結うゴムとか、そういうとこがもう、あたしとぜんぜん違ってた」
彩りよりも食欲を満たすことを目的にした、いつも茶色ばっかりのお弁当。
もしかしたら、昔の瑞希を取り巻くものもそうだったのかもしれない。
「ずっと変わりたかった。でも、親も兄弟も『まだ子どもなんだしそのままでいいじゃん』しか言わないし、仲間に入ろうと頑張ってもなんか空回りばっかで、いつの間にかみんなに煙たがられて、無視されて、一人になって、三年のときは学校に行けなくなった。それでもずっと変わりたくて、この高校に入ったら、全部なかったことにして新しく生まれ変わろうって決めてた。嘘ついて、ごまかしていればそのうち、こっちのあたしが『本当』になるって信じたかった」
オレンジ色の爪。ミルクティーベージュの髪。灰色のカラーコンタクト。短いスカート。
あれはきっと瑞希の決意表明で、過去の自分へのさよなら。
「でも、入学式でチッカのスピーチに感動したっていうのは本当なの。それだけは信じて。みんなの前でそんなこと言えるなんてすごいって。それに、あたしもその他大勢になんかなりたくない、なってたまるかって思った。だから……チッカの友達になりたかった。ずっと嘘ついてて、迷惑かけて、ごめんなさい」
瑞希がもう一度、深く頭を下げた。
「瑞希は嘘なんかついてないよ。いまの瑞希も、昔の瑞希も、ぜんぶ本当でしょ。迷惑をかけてきたのは向こうだし」
私の隣で、遥が小さく笑った。
「瑞希ちゃんは、俺と千佳の大事な友達だからさ。ああいうときは怒らせてよ」
「遥は、ちょっとやり過ぎ。反省して」
「……ごめん」
私たちのやり取りに、瑞希が笑った。握りしめていたスカートのチェックが、ほどけて揺れる。
遥は塚本先生にこっぴどく叱られて、反省文の提出を命じられていた。あれだけ大暴れして、それだけで済んだのは奇跡的でもある。
「お前が悪いとは言わない。しかし、暴力的な解決はあまりに短絡的だ。そこは反省するように」
懇々と遥に言い聞かせる塚本先生のレンズの奥の目は、いつもよりずっと柔らかかった。
融通が利かない厳しいだけの教師かと思っていたけれど、あれでなかなか硬軟織り交ぜた優秀な教育者なのかもしれない。
「それにしても、塚本先生が文芸部の顧問だなんて知らなかった。桐原先輩もなにも言ってくれないし」
相原くんと吉田さんの所業について話したとき、塚本先生は「桐原が言ってた生徒か」と口にした。先輩からの報告で、学校側も調査を始めたところだったらしい。
きょとん、とした私たちに塚本先生が説明したところによると、塚本先生は桐原先輩の元担任で、三年生が卒業したあと廃部寸前だった文芸部の顧問になってくれるよう頼みこまれたのだそうだ。
「まさか本当に部員が集まるとはな。まったく、あいつにはいつも厄介ばかり押し付けられる」
わずかに眼鏡を押し上げて目頭を揉むその姿は、内心ちょっと楽しんでいるようにも見えたけれど。
「つーかさ、部長ってなんで相原のこと知ってたの?」
遥が当然の疑問を口にする。塚本先生もそこまでは教えてくれなかった。
「なんかいろいろ調べたみたい。文芸部をバカにした報いは受けてもらわなきゃねって言ってた」
……怖すぎる。
いつもアガサ・クリスティを手に、にこにこしている桐原先輩しか知らなかったけれど、その内側こそが、なによりもミステリーだ。
「あ、でも瑞希。あれは嘘でしょ。恋愛マスターってやつ」
申し訳ないけれど、中学時代の姿を見る限り「そっち方面に自信がある」とはとても思えない。
「違うよ、それは本当。恋愛指南本とか雑誌のモテテクとか読み漁ってるもん」
「実践が伴わないんじゃ意味ないから」
「オカンか」
「いや、だから」
ふふっと笑い合う。
「そのツッコミ合ってないし」
「二人とも仲いいね。ちょっと悔しい」
「遥くんも友達でしょー。あ、でもチッカは……」
「ほらほら! 遅くなっちゃったし早く帰ろ!」
二人の手を引いて強引に歩き出す。
誰かに触れられるのは嫌い。
だけど、遥と瑞希。この二人は「誰か」じゃない。伝わってくる体温に心がすっと馴染んでいく。
「千佳、怪我は大丈夫?」
手のひらと膝にでかでかと貼られた絆創膏を見ながら、遥が聞いた。
「平気だよ。大げさすぎて恥ずかしい」
「そっか。――ごめんな。俺、約束したのに、またダメだった」
また。
その言葉に引っかかりを覚える。
うつむいて口をつぐんだ遥に、私は曖昧に微笑むことしかできなかった。
前髪を撫でつける。
――これはねぇ、はるかと、わたしのひみつ。
ずっと聞こえなかったチーの声がした。
嘘つきは瑞希じゃない。私だ。
私は、かつて取り返しのつかない嘘をついた。そして、今もつき続けている。
それを償うために、私は遥に嘘をついてチーになろうとしてる。
だって、私の嘘がチーを殺したから。
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