あなたの代わりに恋をする、はず、だった

清谷ロジィ

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海へ

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 窓の向こうには太陽の光を反射してきらきらと輝く海、空にそびえ立つ白く大きな入道雲。嘘みたいに美しい夏の景色は、あの日とは全然違う。あの日は、すごく天気が悪かったから。
 カーエアコンの風に潮のにおいが混じった。

「チッカ、酔った? 大丈夫?」

 隣に座った瑞希が、顔を伏せた私に気付いて声をかけた。

「ぴーちゃん、少し休もうか」
「――ううん、平気。少し眠いだけだから」

 ぐいと肩を引き寄せられる。潮のにおいが遠ざかり、その代わりに私の呼吸に紛れ込んだのは遥の香り。

「寝るなら俺に寄りかかれよ」

 Tシャツ越しに伝わってくる体温に胸が音を立てる。
 私はチーの初恋を叶えるために星山高校に行き、そして遥を見つけた。だからこれでいいはず、なのに、心のどこかが軋んでいる。
 私たち星山高校文芸部はいま、瑛輔くんが運転する車で、桜田家の所有する別荘に向かっていた。部長特権で桐原先輩は助手席に座り、瑞希と私、そして遥は後部座席で身を寄せ合っていた。 

「海沿いの別荘なんてロマンチックですね。そんなとこで過ごせるなんて夢みたい!」

 瑞希がはしゃいだ声を上げる。

「本当に僕らまでお邪魔していいんですか?」
「今さらなに言ってんすか、部長。誰よりもノリノリだったくせに」

 遥が手にしたお茶のペットボトルで、助手席の背を突いた。緑色の液体がちゃぷちゃぷと音を立てて揺れる。

「いやいや、僕だって遠慮ってものくらい知ってるよ」
「どうだか」
「まあまあ。いつもは友達と行くんだけど、今回はみんな都合がつかなかったし。それに、ぴーちゃんから聞いたけど、君たちもいろいろ大変だったんだって? まあ、いい気晴らしになるかなと思ってさ」

 引率という立場もあってか、ハンドルを握る瑛輔くんの髪色は常識的なダークブラウンだった。
 服装もいつものロックテイストは鳴りを潜めて、白い半袖シャツに紺のサマージャケット、七分丈のコットンパンツという爽やか好青年スタイル。
 瑛輔くんらしくないその姿に、私はなぜか足場を失ったような気がして不安だった。

「千佳、ほら少し寝とけって」

 遥がもう一度、私の肩を引いた。

「だ、大丈夫! もうすっかり目が覚めたし!」
「そう? じゃあ、俺が寝よっかな。肩貸して」

 遥の頭が私の肩に乗せられた。柔らかい髪の毛が頬をくすぐる。
 じわりと熱を帯びた一点から緊張が走って体が強張った。なんとか距離を保とうと身をよじっていると、

「ちょっとチッカ、こっちに寄り過ぎ。ほらー、詰めて詰めて」

 瑞希がぐいと私を遥のほうに押しやると、ぺろりと舌を出した。
 こいつ……絶対わざとだ。後で覚えてろよ。
 しばらくすると、遥はすぅすぅと規則正しい寝息を立て始めた。
 窓の外の景色に向かってスマートフォンを構える瑞希と、好きな音楽の話で盛り上がる先輩と瑛輔くん。この狭い空間で、それぞれがそれぞれの時間を過ごしながら一緒にいる。その空気がなんとなく心地よかった。
 私に寄りかかる遥の寝顔をそっと観察する。
 目を閉じた遥もやっぱり綺麗だった。長いまつげ、形のよい鼻、少し薄い唇。でも、やっぱり一番綺麗なのは目だな。今は見えないのが残念だけど。
 まぶたにかかった前髪を指先ではらってやると、突然遥の目が開いた。ばっちりと目が合う。
 遥はくすりと笑って、人差し指を唇の前に立てた。そしてもう一度目を閉じると、さっきより深く私にもたれかかる。

「――っ」

 顔が熱くなる。
 遥の体温も、においも、私の頬をくすぐる髪の毛の感触も、呼吸に合わせて上下するお腹の動きも、一つ残らず感じ取ってしまう。いっそ私も眠ってしまえと目を閉じてみたけれど、感覚がより鋭敏になるだけだった。
 息ってどうやって吸うんだっけ、どうやって吐くんだっけ。私の心臓の音は遥にも聞こえているんだろうか。そんなことをただひたすらに考え続けたおかげで、潮のにおいや胸にくすぶっている不安を気にする余裕もなかった。
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