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居場所
教室 1
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私が今まさに足を踏み入れようしている一年C組の教室は、朝のざわめきの中にあった。
机に突っ伏して眠る人、忘れていた課題をやる人、友達と談笑する人……みんながどこかに居場所を持っていて、そこにいる。
小さく息を吐いて、胸に手を当てる。
大丈夫。昨日と何も変わってなんかない。そう自分に言い聞かせて教室に入ると、私の斜め前の席でスマートフォンをいじっていた久住紗英が顔を上げた。緩いウェーブのかかった長い髪が肩を滑り、人形のように大きな目が私を見る。
「おはよう、紗英」
紗英のベビーピンク色の唇が開き、言葉が出るまでの一瞬、私の胃がきゅっと縮んだ。その痛みに耐えるように、スクールバッグの持ち手を握る私の手に力が入る。
「おっはよ。ね、莉愛、昨日の『ジュエル』の生配信ライブ見た? めっちゃカッコよかったよねー。あたしの推し、超輝いてたー!」
紗英が笑ってくれたことにホッとする。
バッグを机に置くと、私もポケットからスマートフォンを取り出した。
「見た見た。スクショもいっぱい撮っちゃったよー。なんか欲しいのあったら送るけど」
「え、ホント? あたしコメント入れるのに必死だったから助かるー」
紗英が私の差し出したスマートフォンをのぞき込もうと、髪を耳にかけたとき、薄い耳たぶにきらりと光るピアスが目に入った。
昨日までは透明なやつをしていたのに。
「おはよ。紗英も莉愛もなに盛り上がってんの?」
気怠そうに教室に入ってきたのは、真島みちる。長い黒髪のストレートヘアはつややかで、アホ毛の一本さえ見当たらない。一六五センチという長身と細身な体型、クールな美貌も相まって、モデルのようだ。
みちるのメイクも以前より少しだけ派手になった気がする。
この高校に入学してから二ヶ月が経ち、紗英やみちるのような子たちは少しずつ、上手に校則をはみ出していく。
私が入学式から変わったのなんて、せいぜい髪の長さくらいなのに。
「あー! みちる、待ってたよー! あのさぁ聞いてよ。昨日、鈴木先輩にメッセ送ったんだけどね……」
立ち上がった紗英がみちるに駆け寄っていき、サッカー部の鈴木先輩の話を始めた。
好きでもないアイドルのスクリーンショットがずらりと表示されたスマートフォンの画面をオフにすると、暗くなった画面に笑顔の残骸を貼り付けた私が映る。
……これくらい、どうってことないじゃない。そう自分に言い聞かせる。
「あっ、そうだ。ねー莉愛、今日のリーディング当たりそうだから、ノート見せてもらっていい?」
紗英の話を遮って、みちるが私に声をかける。
にっこり笑って「うん、もちろん」と返事をし、バッグの中を探る間、私は紗英とみちるの会話に耳をそばだてる。
「……でねー、夜まで待ったけど、結局返事なかったの。みちるー、これどう思う?」
「もう直接会いに行ったらいいじゃん」
「えー、それはもうちょっと時間かけたいかなー。失敗したくないしー」
みちるの少しイラついた様子に気付いた私は、「あったあった。はいこれ」と、ノートを差し出した。
「サンキュー。莉愛のノート分かりやすいからマジ助かる」
みちるの言葉にホッとしながらも、紗英がもどかしそうにしているのにも気付いていた。
きっと、もっと先輩について話したいのだろう。
「私、ホームルーム始まる前にトイレ行ってくるね」
紗英は、それを聞いて分かりやすく嬉しそうにする。
いってらっしゃーい、と送り出され、トイレの個室に入って一人きりになると、はぁっと大きく息をつく。
大丈夫、何も間違えてない。大丈夫。
紗英もみちるも、教室ですごく目立つ存在だった。
スカートの丈は短めで、ちょっとだけ素行が悪くて、先輩にも知り合いが多くて、先生にもタメ口で話すような、スクールカーストの上のほうにいる人たち。
可愛い系の紗英と綺麗系のみちる。正反対な二人だけれど、人目を引く華やかなオーラを放っている、という意味ではとてもよく似ていた。二人が並ぶと、そのオーラは何倍にもなる。
どこからどう見ても「その他大勢」である私がそんな二人と友達になれたのは、単に私とみちるの出席番号が前後していたからだった。
「深山さん、だっけ。悪いんだけど鎮痛剤とか持ってる?」
入学式が始まる前、振り返ったみちるは真っ青だった。下腹部に手を当てている様子から事情を察した私は、いつも持ち歩いている鎮痛剤を渡した。
「大丈夫?」
ペットボトルの水で二つの錠剤を飲み下したみちるは小さくうなずき、
「二日目。いつもはこんなにひどくないんだけど」
と、答えた。
「あの、何かあったら言ってね。式の並びも隣だし」
「ありがと。助かる」
それがきっかけで私はみちると仲良くなれたのだった。
この教室に居場所ができた、と安堵していたけれど、紗英がみちるに声をかけ、私たちと行動をともにするようになった。そして、みちると紗英はあっという間に「親友」へと関係をグレードアップさせたのに、私はいまだ「友達」のラインにいる。
いや、そのラインすらギリギリ、少しでも間違えたら「クラスメイト」に転じてしまうくらい危ういものかもしれない。
その証拠に、みちるは男子と遊びに行くとき紗英だけを誘っているらしいし、紗英はそこで知り合って好きになったというサッカー部の鈴木先輩の話を私にはしない。
私もそのことについて口には出さない。
気付かないフリ。気にしていないフリ。それが正解。
でも、紗英と鈴木先輩がどうなっているのか、みちるはどう思っているのかは知っておかなくちゃいけない。ちゃんとアンテナを張り巡らせておかないと、いざというときに紗英やみちるが喜ぶ言葉や行動を差し出せない。
それは、間違いだから。
間違えたら、嫌われる。
嫌われたら、居場所がなくなってしまう。
私には今、ちゃんと居場所があるんだ。だから、それを守らなくちゃ。
けれど……この高校に入学してからずっと、私の心はクラゲのように教室内をふわふわとさ迷っている気がした。
机に突っ伏して眠る人、忘れていた課題をやる人、友達と談笑する人……みんながどこかに居場所を持っていて、そこにいる。
小さく息を吐いて、胸に手を当てる。
大丈夫。昨日と何も変わってなんかない。そう自分に言い聞かせて教室に入ると、私の斜め前の席でスマートフォンをいじっていた久住紗英が顔を上げた。緩いウェーブのかかった長い髪が肩を滑り、人形のように大きな目が私を見る。
「おはよう、紗英」
紗英のベビーピンク色の唇が開き、言葉が出るまでの一瞬、私の胃がきゅっと縮んだ。その痛みに耐えるように、スクールバッグの持ち手を握る私の手に力が入る。
「おっはよ。ね、莉愛、昨日の『ジュエル』の生配信ライブ見た? めっちゃカッコよかったよねー。あたしの推し、超輝いてたー!」
紗英が笑ってくれたことにホッとする。
バッグを机に置くと、私もポケットからスマートフォンを取り出した。
「見た見た。スクショもいっぱい撮っちゃったよー。なんか欲しいのあったら送るけど」
「え、ホント? あたしコメント入れるのに必死だったから助かるー」
紗英が私の差し出したスマートフォンをのぞき込もうと、髪を耳にかけたとき、薄い耳たぶにきらりと光るピアスが目に入った。
昨日までは透明なやつをしていたのに。
「おはよ。紗英も莉愛もなに盛り上がってんの?」
気怠そうに教室に入ってきたのは、真島みちる。長い黒髪のストレートヘアはつややかで、アホ毛の一本さえ見当たらない。一六五センチという長身と細身な体型、クールな美貌も相まって、モデルのようだ。
みちるのメイクも以前より少しだけ派手になった気がする。
この高校に入学してから二ヶ月が経ち、紗英やみちるのような子たちは少しずつ、上手に校則をはみ出していく。
私が入学式から変わったのなんて、せいぜい髪の長さくらいなのに。
「あー! みちる、待ってたよー! あのさぁ聞いてよ。昨日、鈴木先輩にメッセ送ったんだけどね……」
立ち上がった紗英がみちるに駆け寄っていき、サッカー部の鈴木先輩の話を始めた。
好きでもないアイドルのスクリーンショットがずらりと表示されたスマートフォンの画面をオフにすると、暗くなった画面に笑顔の残骸を貼り付けた私が映る。
……これくらい、どうってことないじゃない。そう自分に言い聞かせる。
「あっ、そうだ。ねー莉愛、今日のリーディング当たりそうだから、ノート見せてもらっていい?」
紗英の話を遮って、みちるが私に声をかける。
にっこり笑って「うん、もちろん」と返事をし、バッグの中を探る間、私は紗英とみちるの会話に耳をそばだてる。
「……でねー、夜まで待ったけど、結局返事なかったの。みちるー、これどう思う?」
「もう直接会いに行ったらいいじゃん」
「えー、それはもうちょっと時間かけたいかなー。失敗したくないしー」
みちるの少しイラついた様子に気付いた私は、「あったあった。はいこれ」と、ノートを差し出した。
「サンキュー。莉愛のノート分かりやすいからマジ助かる」
みちるの言葉にホッとしながらも、紗英がもどかしそうにしているのにも気付いていた。
きっと、もっと先輩について話したいのだろう。
「私、ホームルーム始まる前にトイレ行ってくるね」
紗英は、それを聞いて分かりやすく嬉しそうにする。
いってらっしゃーい、と送り出され、トイレの個室に入って一人きりになると、はぁっと大きく息をつく。
大丈夫、何も間違えてない。大丈夫。
紗英もみちるも、教室ですごく目立つ存在だった。
スカートの丈は短めで、ちょっとだけ素行が悪くて、先輩にも知り合いが多くて、先生にもタメ口で話すような、スクールカーストの上のほうにいる人たち。
可愛い系の紗英と綺麗系のみちる。正反対な二人だけれど、人目を引く華やかなオーラを放っている、という意味ではとてもよく似ていた。二人が並ぶと、そのオーラは何倍にもなる。
どこからどう見ても「その他大勢」である私がそんな二人と友達になれたのは、単に私とみちるの出席番号が前後していたからだった。
「深山さん、だっけ。悪いんだけど鎮痛剤とか持ってる?」
入学式が始まる前、振り返ったみちるは真っ青だった。下腹部に手を当てている様子から事情を察した私は、いつも持ち歩いている鎮痛剤を渡した。
「大丈夫?」
ペットボトルの水で二つの錠剤を飲み下したみちるは小さくうなずき、
「二日目。いつもはこんなにひどくないんだけど」
と、答えた。
「あの、何かあったら言ってね。式の並びも隣だし」
「ありがと。助かる」
それがきっかけで私はみちると仲良くなれたのだった。
この教室に居場所ができた、と安堵していたけれど、紗英がみちるに声をかけ、私たちと行動をともにするようになった。そして、みちると紗英はあっという間に「親友」へと関係をグレードアップさせたのに、私はいまだ「友達」のラインにいる。
いや、そのラインすらギリギリ、少しでも間違えたら「クラスメイト」に転じてしまうくらい危ういものかもしれない。
その証拠に、みちるは男子と遊びに行くとき紗英だけを誘っているらしいし、紗英はそこで知り合って好きになったというサッカー部の鈴木先輩の話を私にはしない。
私もそのことについて口には出さない。
気付かないフリ。気にしていないフリ。それが正解。
でも、紗英と鈴木先輩がどうなっているのか、みちるはどう思っているのかは知っておかなくちゃいけない。ちゃんとアンテナを張り巡らせておかないと、いざというときに紗英やみちるが喜ぶ言葉や行動を差し出せない。
それは、間違いだから。
間違えたら、嫌われる。
嫌われたら、居場所がなくなってしまう。
私には今、ちゃんと居場所があるんだ。だから、それを守らなくちゃ。
けれど……この高校に入学してからずっと、私の心はクラゲのように教室内をふわふわとさ迷っている気がした。
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