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乙女ゲームは始まらない
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私には前世の記憶がある。そしてここは乙女ゲームや小説の世界……かどうかは分からない。だって数え切れないくらいの物語が存在していたし、その全てを把握しているわけでも覚えているわけでもないから。でもねぇ……私同様転生者らしき彼女は、ここが何かしらの物語の世界で自身がヒロインだと思いこんでいるみたい。
「レイナード様ぁ」
「君、離れてくれ」
「もうっ。ジェマって呼んでくださいって言ってるじゃないですか」
とまぁ私の婚約者であるレイナード王太子殿下の腕に、子爵令嬢であるジェマが無遠慮に絡みついているのでね。
「きゃっ、こわーい。オリヴィア様が睨んできます~」
「…………」
公爵家の娘である私オリヴィアに喧嘩を売るなんて、この方は命が惜しくないのかしら?
子爵家の庶子であるジェマさんは少し前まで平民として市井で暮らしていた。なのでただ無知なだけである可能性も——ないわね。むしろ平民は相手が王族だと分かった瞬間、触れ合うどころか視線を合わせることすらためらうもの。完全にヒロイン補正があると思っているのでしょう。だって、彼女ったら乙女ゲームヒロインのテンプレートをなぞっているんだもの。
例えばジェマさんはよく笑う。もちろん淑女らしい微笑みなんてものではなく、歯を見せ『あはは~』と大声を上げて笑っているのだ。前世や平民社会であれば屈託のない笑顔だと好印象を与えるだろう。でも貴族社会ではどうか。学園という公共の場で大声を出して笑うのは品位がないし、歯を見せるなんて無作法でしかない。
食事だってそう。いちいち『わぁ、美味しそう!』と声を上げて喜び、一口を大きく頬張る。もちろん食器はカチャカチャ鳴らすし、口端に付いたソースは舌で舐め取っている。そんな食事を楽しむ姿だって、貴族社会に当てはめると躾がなっていないようにしか見えないのだ。
そうねぇ……食事の際に箸で摘むのではなく刺して食べたり手掴みで食べる。これってお箸を持ち始めた幼子であれば微笑ましい光景だけど、自分と同世代がしていたらどう? 微笑ましくはないよね。
感情のままにすぐ泣くのは感受性が豊か? いいえ、それは精神が未熟だと判断されるわ。これはスーパーの床に寝転び、手足をバタつかせて駄々をこねる幼児を見た時の心境に似ているかもしれないわね。3歳児であればどうしても買って欲しいものがあるのねと苦笑いで済むが……同級生がやると引くよね? まぁ少し違うかもしれないが、貴族女性にとって涙は武器でもある。その武器を上手く使えないのはやっぱり精神が未熟なのよ。
そうそう、異性との距離が近くやたらと触れようとする、そんな誰にでも媚態をさらけ出す姿なんてまるで娼婦のようだと思われているわね。彼女はモテテクのつもりなのでしょうけど。
貴族社会においてマナーとは単なる礼儀作法ではない。自身の教養、血統、相手への敬意を示すもので、それは信頼の証明であり一種のコミュニケーションでもあるのだ。そんな世界で生きてきた人間がヒロインを好きになるわけがない。むしろジェマさんが攻略対象者だと信じているご令息たちが、迷惑がっているのをただただ照れているだけだと思えるなんて、随分都合のよい目をお持ちですこと。
そもそもさ、現実的に考えて乙女ゲームって始まらないと思わない? だってまず出会いイベントが成功するとは思えないもの。騎士とか側近とか取り巻きとかが回避してしまうだろうし、なにより刺客か間諜かもって疑われると思うのよね。ヒロインが正しくヒロインであっても始まらないのに、ジェマさんが乙女ゲームを始められるわけがない。
一応ね、転生者のよしみで忠告してあげたこともあるのよ? でもほら、私ってレイナード様の婚約者だからジェマさんの中では悪役令嬢なわけで。せっかくの忠告もいじめだとか『私が下位貴族だから~』ってあの定型文を言ってくるから早々にやめたわ。面倒事に関わりたくないし自滅するならご勝手にどうぞ。
幼子とは違い既に癖付いてしまい、習得までに時間がかかってしまうこともあるだろうと多くの者がその異常さに目を瞑ってきた。だが何度注意を受けても変わらない態度に、出来ないのではなく努力しない姿に、もしかして彼女は平民に戻りたいと私たちに訴えているのではないか? と勘違いする者が出てくるのは仕方ないと思う。
「当初は望んでいない貴族社会に入れられたことへの抵抗なのかとも思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうでな。男爵には精神科医に診せるべきだと進言するつもりだ」
守るべき民だからとジェマさんの言動と許し続けてきたレイナード様。毎日毎日追いかけ回され、とうとう限界が来てしまったご様子。
「平民から貴族となったことへの戸惑いが大きいのでしょうね」
「そうかもしれないな。何にせよ、彼女はまだ学園に通うには早すぎたのだろう。可哀想にな」
そしてそれが違っているのであるならば、もう精神異常くらいしか思い当たらない。よってジェマさんは精神病棟への入院が決まったそうな。
幼い頃に婚約し、ゆっくりと仲を深めていった私とレイナード様は今や相思相愛。ヒロインなんかに邪魔されることなく半年後に結婚する。
やはり乙女ゲームなんて現実では始まりすらしないのだ。
「レイナード様ぁ」
「君、離れてくれ」
「もうっ。ジェマって呼んでくださいって言ってるじゃないですか」
とまぁ私の婚約者であるレイナード王太子殿下の腕に、子爵令嬢であるジェマが無遠慮に絡みついているのでね。
「きゃっ、こわーい。オリヴィア様が睨んできます~」
「…………」
公爵家の娘である私オリヴィアに喧嘩を売るなんて、この方は命が惜しくないのかしら?
子爵家の庶子であるジェマさんは少し前まで平民として市井で暮らしていた。なのでただ無知なだけである可能性も——ないわね。むしろ平民は相手が王族だと分かった瞬間、触れ合うどころか視線を合わせることすらためらうもの。完全にヒロイン補正があると思っているのでしょう。だって、彼女ったら乙女ゲームヒロインのテンプレートをなぞっているんだもの。
例えばジェマさんはよく笑う。もちろん淑女らしい微笑みなんてものではなく、歯を見せ『あはは~』と大声を上げて笑っているのだ。前世や平民社会であれば屈託のない笑顔だと好印象を与えるだろう。でも貴族社会ではどうか。学園という公共の場で大声を出して笑うのは品位がないし、歯を見せるなんて無作法でしかない。
食事だってそう。いちいち『わぁ、美味しそう!』と声を上げて喜び、一口を大きく頬張る。もちろん食器はカチャカチャ鳴らすし、口端に付いたソースは舌で舐め取っている。そんな食事を楽しむ姿だって、貴族社会に当てはめると躾がなっていないようにしか見えないのだ。
そうねぇ……食事の際に箸で摘むのではなく刺して食べたり手掴みで食べる。これってお箸を持ち始めた幼子であれば微笑ましい光景だけど、自分と同世代がしていたらどう? 微笑ましくはないよね。
感情のままにすぐ泣くのは感受性が豊か? いいえ、それは精神が未熟だと判断されるわ。これはスーパーの床に寝転び、手足をバタつかせて駄々をこねる幼児を見た時の心境に似ているかもしれないわね。3歳児であればどうしても買って欲しいものがあるのねと苦笑いで済むが……同級生がやると引くよね? まぁ少し違うかもしれないが、貴族女性にとって涙は武器でもある。その武器を上手く使えないのはやっぱり精神が未熟なのよ。
そうそう、異性との距離が近くやたらと触れようとする、そんな誰にでも媚態をさらけ出す姿なんてまるで娼婦のようだと思われているわね。彼女はモテテクのつもりなのでしょうけど。
貴族社会においてマナーとは単なる礼儀作法ではない。自身の教養、血統、相手への敬意を示すもので、それは信頼の証明であり一種のコミュニケーションでもあるのだ。そんな世界で生きてきた人間がヒロインを好きになるわけがない。むしろジェマさんが攻略対象者だと信じているご令息たちが、迷惑がっているのをただただ照れているだけだと思えるなんて、随分都合のよい目をお持ちですこと。
そもそもさ、現実的に考えて乙女ゲームって始まらないと思わない? だってまず出会いイベントが成功するとは思えないもの。騎士とか側近とか取り巻きとかが回避してしまうだろうし、なにより刺客か間諜かもって疑われると思うのよね。ヒロインが正しくヒロインであっても始まらないのに、ジェマさんが乙女ゲームを始められるわけがない。
一応ね、転生者のよしみで忠告してあげたこともあるのよ? でもほら、私ってレイナード様の婚約者だからジェマさんの中では悪役令嬢なわけで。せっかくの忠告もいじめだとか『私が下位貴族だから~』ってあの定型文を言ってくるから早々にやめたわ。面倒事に関わりたくないし自滅するならご勝手にどうぞ。
幼子とは違い既に癖付いてしまい、習得までに時間がかかってしまうこともあるだろうと多くの者がその異常さに目を瞑ってきた。だが何度注意を受けても変わらない態度に、出来ないのではなく努力しない姿に、もしかして彼女は平民に戻りたいと私たちに訴えているのではないか? と勘違いする者が出てくるのは仕方ないと思う。
「当初は望んでいない貴族社会に入れられたことへの抵抗なのかとも思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうでな。男爵には精神科医に診せるべきだと進言するつもりだ」
守るべき民だからとジェマさんの言動と許し続けてきたレイナード様。毎日毎日追いかけ回され、とうとう限界が来てしまったご様子。
「平民から貴族となったことへの戸惑いが大きいのでしょうね」
「そうかもしれないな。何にせよ、彼女はまだ学園に通うには早すぎたのだろう。可哀想にな」
そしてそれが違っているのであるならば、もう精神異常くらいしか思い当たらない。よってジェマさんは精神病棟への入院が決まったそうな。
幼い頃に婚約し、ゆっくりと仲を深めていった私とレイナード様は今や相思相愛。ヒロインなんかに邪魔されることなく半年後に結婚する。
やはり乙女ゲームなんて現実では始まりすらしないのだ。
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