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第1章
11.ミケside
しおりを挟む照明が落としてある、薄暗い店内。
いつも流れている静かな音楽も沢山の話し声も、今はない。
「……お酒飲みたい」
狭いカウンターのスツールに腰掛けて、ぽつりと言った。
「ダーメ。出禁にするわよ?」
カウンターの内側でグラスを磨きながら、ユカリさんが言う。
「だいたいアンタがここにいる事自体、まずいんだから」
飲酒とか喫煙みたいな、見つかった時にどうやっても誤魔化せない事はしないこと。
それが初めにユカリさんがだした条件だった。
「なんか元気ないわね」
そう言いながら、アイスコーヒーをカウンターに置いてくれる。
「……そうかな」
ネイルが施された指先を眺めながら呟いた。
とても男だとは思えない、綺麗な手。
ユカリさんは二十七の時にその道に目覚め、脱サラしてこの店を始めたらしい。
二丁目の端にある、雑誌にも載らないような小じんまりとしたバーだけど、内装はシンプルな割に凝っていてセンスが良かった。
ユカリさんは美人で屈託のない明るい性格なのでファンも多く、開店してから三年、店はそれなりに繁盛しているみたいだ。
「センセイにフラれた?」
「……違うって。ねぇ、シロップない?」
「はいはい」
コーヒーにシロップがゆらゆらと混ざっていく様子を、じっと眺める。
フったフラれた、なんて甘いもんじゃない。
河西とはあくまで仕事上の関係で、特別な感情なんてどこにもない。
とゆうか、いままで身体の関係を持った相手に対してそんな感情を抱いた事はなかった。
それがルールだと思ってたから。
まっとうに生きるうえで、抑圧された欲望を満たす為、金を出す客。
同じくまっとうに生きる為、金を必要とし、その身を提供する自分。
キブアンドテイク。
そう、割りきっていたはずだったのに。
……どうしてこんなに、気が重いんだろう
河西の奥さんに、子どもができた。
今日偶然、職員室で教師たちが話しているのを聞いたのだ。
しばらく連絡がなかったので仕事が忙しいのかと思っていたら、実はそうではなかったらしい。
俺とはなんの関係もない、あの男の人生。
「……いいな、オトナって」
「どうして?」
「自由だから。なんでも自分で選べるし、どこにだって行けるじゃん」
「……そうでもないけどね」
ユカリさんは小さく笑った。
「いろんな事に縛られてる時の方が、案外楽かもよ」
「………。それってどういう意味?」
「自分で選ぶって事は、自分の意思で何かを捨てるって事」
「……よくわかんない」
そう言うと、ユカリさんはにっこり笑って俺の頭を撫でた。
「さて、そろそろ開けなきゃね。ミケ、ちょっと手伝って」
「うん。……でも、いろいろあった時にお酒が飲めるのっていいよね」
立ち上がりながら言うと、ユカリさんは確かにね、と言って笑った。
自分の部屋に戻ったのは、日付が変わる頃だった。
「……やっぱストーカーじゃん」
ドアの前の人物を見て、げんなりする。
寺嶋は慌てた様子で違うと言った。
「じゃあ何?なんか忘れもんでもしたの?」
不機嫌な声が出る。
……やっぱ家に入れるんじゃなかった…
本当にどうかしてた。
あの時は。
「……こんな時間まで、どこ行ってたんだよ?」
「……別に」
そういうあんたは何してんだよと思いつつ、玄関のカギを開ける。
「……入んなよ」
「……え」
「そんなとこにずっといられたら、近所の人に変に思われんだろ」
「……あ、あぁ」
……あぁ、まじイラつく
疲れてるから、さっさと寝ようと思ってたのに。
さっきまで客とホテルにいた。
ユカリさんの店は、そういう相手を見つけるには恰好の場所だ。
社会人は生徒と違って、金持ってるし。
「……で?」
ペットボトルの水を一気に飲んでから、部屋の真ん中に突っ立っている寺嶋を見る。
「………。この前の、事だけど」
言いにくそうな顔。
「……あぁ、」
窓を開けると、涼しい夜風が入ってくる。
「今更金払えとか言わねーから、安心しろよ」
笑って言うと、そうじゃねぇよと真面目な顔で寺嶋は言った。
「そうじゃなくて…俺がおまえを買うって話。あれ、本気だから」
「……は?」
「だからもう、金の為にあんなことすんの、やめろ」
……まだ言ってんのかよ…
「あのさぁ、あんたが何考えてんのか知んないけど、買ってどうすんの?あんたあの時、すげー気持ち悪そうだったじゃん」
「……あれは、」
「てゆうか、現実的に考えて無理だろ。それとも何、あんたが俺の代わりに働いてくれんの?」
一体なんの為に?
「まじ迷惑だから、もう俺に関わんないで?」
……イライラする
ワケわかんねー事言ってないで、友達と仲良く遊んでればいいだろ。
「あんたと俺は、生きてる場所が違うんだよ」
「ミケ、」
「帰んなよ。もうここには来るな」
吐き捨てるように言うと、寺嶋を部屋から追い出した。
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