迷子猫(BL)

第5章

8.海斗side

　
記憶のなかの彼女は笑う。

――あの子、あなたのことが好きなのよ

わかりやすいの、あの子。
今日も朝からそわそわして、何回も服を着替えたりして。
子どものくせに、色目使って。

――泥棒猫のくせに、

ねぇ、信じられる？
二人でずっと、私を騙してたのよ？
私は恋人と実の娘に裏切られたの。
なのに、あの子だけ幸せになるなんて。

――そんなの、許せるわけないじゃない





女の顔の半分は、白い包帯で覆われていた。
怪我自体は軽い火傷だったが運ばれた時は錯乱状態だったらしく、今は薬で眠っていた。

「……ボヤで済んだからよかったものの、」

美咲の父親が溜め息混じりに言う。
彼女はホテルで、相手の男が寝ている間にライターのオイルを撒いて火をつけたらしい。
確かに下手したら大惨事だった。

「一緒にいた男も無事だったようだし」
「………」
「……母親が母親なら、娘も娘だな」

皮肉めいたその言葉に、その場の空気がいっきに凍りついた。

「こんな時に、男と朝帰りか」
「違います、俺と美咲さんはそんなんじゃ…」
「もう沢山だっ」

なんなんだおまえたちは、と彼は吐き捨てるように言う。

「お父さん！」

病室から出ていく彼を追おうとした美咲を引き止める。

「今はやめたほうがいい」
「でも…っ、」

混乱してるのは皆同じだ。
きっとすぐには冷静になんてなれないだろうし、こんな時に話をしても状況を更に悪化させるような気がした。



病室の外の薄暗い廊下は、とても静かだった。
備え付けの長椅子に座って、彼女の話を聞いた。

「あたし、ずっとお父さんが欲しかったの…」

美咲には、生まれた時から父親がいなかった。
幼かった彼女が母親の恋人と仲良くなろうと思ったのは、ただ純粋に父親になってほしいという気持ちからだった。
そして優しかったそのひとの言葉や行動に、なんの疑いも持たなかった。

「だけど、二人だけの秘密にしようねってその人は言って…」

子どもだった彼女は成長するにつれて、自分が母親の恋人と何をしているのかを理解した。
けれど気づいた時にはもう、後戻りはできなくなっていた。

「お母さんがあのひとと別れた時はほっとした。あのひとからはそれきり連絡もなかったし、このまま何もなかったことにしようって思った」

そして母親は別の相手――さっき病室を出ていった男と再婚して、それですべては過去になったはずだったのに。
彼女は気づかなかった。
その過去に、母親がずっと捉われ続けていたことに。

「……あの時、ちゃんと話してたら…こんな事にはならなかったかもしれないのに…」

嗚咽混じりに彼女は呟く。

「……美咲は悪くねぇよ」

まだ子どもで何もわからなかった彼女に、罪なんてあるはずがない。
むしろ誰よりも傷ついて、なのに全部一人で抱え込んで。

泣き続ける美咲に、俺はかける言葉を見つけられずにいた。