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夕立

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「まりも羊羮って知ってる?」

パチン。

「まりもって泳ぐんだってー」

パチンパチン。

「ねー、聞いてるぅ?」
「聞いてない」

山のようにある書類をホッチキスで綴じながら即答すると、橋本まどかは口を尖らせた。

「つまんないのー」
「てゆうか仕事しろよ…」

こっちは部署が違うにも関わらず、手伝ってやってんのに…。

「やっぱりお刺身かなぁ?」
「……天然記念物だろ」
「そうなのー?アオちゃんは物知りだねぇー」
「………」

たぶんこいつの脳みそは、まりもでできてるんだろう。



部署を問わず、新入社員の仕事の八割は雑用だ。
データをまとめたり、会議で使う資料を用意したり。
単純だけどやたらと手間がかかるので、同期のよしみもあって互いに助け合ったりもするのだが。



「……マジかよ…」

会社を出ようとして、外がひどい雨だということに気がついた。
朝は晴れてたから傘なんて持ってきてないし…。
今日は何かとツイてない。

ぼんやりと鈍色の空を眺めながら、どうしようかと考えた。
駅まで走るか、近くの喫茶店で時間を潰して雨が弱まるのを待つか。

「すごいな、」
「………!」

聞き慣れた声に驚いて振り向くと、隣りに彼が立っていた。

「ほら、」

差し出されたのは、黒い傘。

「……でも、」
「どうせ、すぐに止むだろう」

戸惑う俺の手に傘を持たせると、気をつけて帰れよと彼は言った。

「おまえは昔から、よく転ぶから」



その穏やかな表情に、優しい声に。
彼の一挙一動に、俺の平穏は壊される。

それはまるで、突然降りだしたかと思えばあっさりと止む、この夕立のように。
気まぐれで呆気なくて。
その余韻だけが、いつまでも残る。



「あ、神崎くんやー」

ちょうど信号待ちをしている時だった。
見ると、鞄で頭をガードした中沢さんがこっちに駆け寄ってくる。

「なぁなぁ、駅まで入れてくれへん?」
「え…」
「あぁなんやったら、そこのコンビニまででえぇから」

人好きのする笑顔で頼むわぁ、とお願いされると断りにくい。

「………。どうぞ、」
「おおきに。あ、俺が持つわ」

すい、と自然に傘を取られた。

「……珍しいですね」
「え?」
「こんなに早い時間に」
「あぁ、やって疲れてん」

そんなんで仕事しても効率悪いやろ?と鞄を脇に挟み、片手でネクタイを緩めながら中沢さんは言う。

「そういう時はゆっくり休んで、また明日頑張ればええかなと」
「………」
「神崎くんも、疲れとるみたいやねぇ」
「……え?」
「さっきからボーッとしとるし。仕事、大変なん?」
「いえ、別に…」

仕事のことなんて正直どうでもよくて、それよりもあのひとに会えたことが。
あのひとから傘を受け取った時に、かすかに触れた手の温度が。

ずっと、残っていて。

「疲れた時は、ゆっくり風呂に入って早く寝るのが一番やで?あぁ、ここでえぇわ。ありがとな、」

じゃあおつかれさんーと言った彼は、まるで雨があがった後の太陽のような清々しい笑顔を浮かべていた。

「………」

コンビニに向かうその背中を見送って、俺は未だ止む気配のない雨に濡れた街のなかを歩きだした。


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