終わる世界で恋を探す

八神響

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四章

それはある晴れた日のこと(1)

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「桜を見に行こう」

 午前八時五十分、いつも通り教室で葵と話していたら急に葵がボケたことを言い出した。

「いや……、これから授業だろ」

 俺は頬杖をつきながら引き気味に答える。
 葵が妙なことを言い出すのは今に始まったことじゃないが、さすがに唐突すぎる。
 そりゃあ俺も葵も、なんなら堀以外の全員が授業をサボったことぐらいはあるけど、こんな授業直前の教室でそれを言い出した奴は初めてだ。意図が全く分からない。

「そうだね。確かに君の言う通りこれから授業が始まる。授業は大切だ、こんな世界で教育をしてくれる人がいるというだけでも私たちはとても恵まれている。それに加え桜井先生は教え方も上手くて、美人で、人間的にも素晴らしい人だ。本来なら受けられる授業は全て受けるべきなんだろう」
「まあ、何も間違ったことは言ってないけど」

 葵は授業の準備を終えた桜井先生を横目で見ながら言う。
 少し過剰と言えるくらい持ち上げているのは、俺達の会話が聞こえていた先生への配慮のつもりなのだろう。
 実際目の前でサボりの企てをされていた桜井先生は泣きそうになっていたし、その泣き顔を見た堀が凄い勢いで睨んできていたから必要な気遣いだったのだと思う。褒められ始めてからは多少先生の頬が緩んでいたし。

「だけど、今現在に関して言えば桜を見に行くことの方が授業より大事なんだ」
「一応聞くけど理由は?」
「私が見に行きたいから」
「…………」

 澄んだ瞳で断言してるけどこいつは王様にでもなったつもりか? 
 今の時代規則も法律もあって無いようなものだけど、それでも発言する内容と場所は選ぶべきだ。
 思った以上にしょうもない理由でサボられそうになっていると分かった先生がまた泣きそうになってる。

「というか見に行きたいなら葵一人で行けばいいだろ。わざわざ俺を誘わなくても……、いつもだってわりと一人でどっか行ってんのに何で今日に限って」
「もちろんそういう気分だったからさ。さあ、分かってくれた所でそろそろ行こうか。授業が始まった後に教室を出ていくなんて失礼な真似はしたくないからね」
「失礼な真似なら大分前からやってると思うけど、って待て待て引っ張るな俺は行くとは……!」
 言うが早いか葵は俺の腕を掴んで先生が何かを言う前に手早く教室を出ていった。

 ……今度先生に会った時は挨拶よりまず謝罪をしよう、と心に決め俺は状況に流されることにした。

              ◇

 学校に出ても葵は目的地も言わず俺の手を取ったまま歩いていく。
 街並みもそこにいる人々も前に一人で歩いた時と変わらないのに、どうしてか俺の気分は高揚している。
 いや、どうしてかなんて考えなくても理由は明白で、思い返せば俺は葵といる時はいつも胸が高鳴っている。
 特に最近はずっと葵のことを考えているせいか、それが顕著に表れている。こうなると先生には申し訳ないけど学校をサボったことも良かったかのように思える。学校を抜け出して二人で遊びに行っているという事実も高揚に一役買っているだろうし。

 ……それにしても、手を繋いで歩くなんていつぶりだろう。俺が葵を意識し始めてからは、そういった接触は気恥ずかしくて避けるようになっていた。
 最初の方こそ葵も不思議がっていたが、いつしかそれが普通になり、俺達は必要以上に近づくことはなくなっていた。
 今までそれを残念に思うことは無かったけど、久しぶりにこうしているとなんだか勿体ない事をしていたように思える。
 いつか離れる時が来るのなら今ぐらいは幼馴染という関係に甘えるべきではないのか? 
 ……やめよう、そんなことは今まで嫌になるほど考えてきた。考えても考えてもこの気持ちを『幼馴染』で終わらせたくないから、俺は悩んでいる。

「……葵、ここまで来たらもう逃げやしないし手を離してくれ」
「ん? ああ、ごめんごめん。ついこのまま来てしまったね。自然すぎて忘れてたよ。何だろね、関係が近すぎると相手の体を自分の一部だと錯覚してしまうのかな?」

 葵はパッと手を離して首を傾げる。
 ……こんな風に好意的に接してくるからいつまでも俺の感情の整理がつかないんだろうなぁ。

「それはお前が変わってるだけだと思うぞ。そんな所有欲じみたものは俺にはないし」
「所有欲か。なるほど、そういう考え方もあるんだね。この気持ちが高じれば独占欲に繋がるのかな? そうなると私はいつか君を監禁したりするかもしれないけど、その時は広い心で許してほしい」 

 別に俺としてはそんな人生を送っても苦とは思わないけど、それを素直に言ったら引かれそうだ。

「俺が許すかどうかはともかくお前が一箇所に留まるなんて想像もつかねぇよ。監禁されたらそのまま忘れられそうって不安の方が大きいし」
「……よくよく考えてみたらそうだね」
「よくよく考えなくてもお前が自分の好奇心に勝てるわけもないからな」
「私のことを分かってくれてるようで嬉しいよ」 

 葵は薄く笑いながら肩を竦める。
 俺のことを自分の理解者みたいに言う葵だが、こんなのは葵と一年も一緒にいたら分かることだ。なんなら葵の人間性の中でも一番表面化されている部分だろうし。
 葵は迂遠な言い回しや深い思考とは裏腹に案外分かりやすい性格をしている。葵自身はそれに自覚がない上に、そんなことをわざわざ指摘する相手もいないため、今みたいに少しでも葵への理解を出すと、葵は俺を特別視してくれる。言葉を重ねずとも理解し合える関係性というのはとても心地の良いものだから。
 だけどこんな誰でも分かるようなことを言うだけで、葵からの信頼を得ているこの状況は何も知らない幼子に詐欺を働いているみたいであまり気分は良くない。何よりもきぶんはよくないと思いながら、心の底には嬉しさがある自分が浅ましくて気持ち悪い。
 ……葵がただの友達ならここまで自分が嫌になることもなかったのに、本当に恋愛感情というものは厄介だ。昔の人はよく普通に生活できてたな。
 そうして色々頭を悩ましながら葵の横を歩いていると、いつの間にか学校からはそこそこ距離があるはずの駅に着いていた。

「電車か……、久しぶりに乗るな」
「君は出不精なところがあるからねぇ……、最後に乗ったのはいつになるんだい?」

 葵に問われて俺は記憶を探ろうと虚空に視線を移した。
一ヶ月、二ヶ月、と頭の中で時間を遡らせていると、朧気にだが以前電車を利用した時のことを思い出せた。

「確か前に乗ったのは葵と一緒に平城京跡を見に行った時だな。それ以降はそんなに遠出した覚えがない」
「それって三ヶ月も前の話じゃないか。嘘だろう? 本当にあれから一度も?」
「嘘つく必要もないだろ。俺は一人でどっか遠くへ行くこともないし、お前の記憶にもなければ本当にそこが一番最近だ」
「隼人とかと出掛けたりは……」
「一緒に遊ぶことはあったけど全部近場だな」
「…………」

 そう答えると葵は難しい顔をしてその場に立ち止まってしまった。

「……? どうしたんだ? そんな今更不思議がることでもないだろ」
「それはそうなんだけど、予想以上だったというか……。ねぇ、君はこの街を離れたくない程の思い入れがあるとか、遠くに行くのが凄く嫌とかだったりするのかい?」
「いや? 単に一人だと労力をかけてまで遠出する理由がないってだけだ。誘われれば多分どこにだって行くし、ここを離れなければならない理由が出来たら特に葛藤もなく離れると思う」

 より正確に言うのなら葵が行く所ならどこでも行くし、そこに葵がいないのなら別段居場所にこだわりはない。本人には言えるはずもないけど。

「そうか……、なら良かった。じゃあ行こうか、そろそろ電車も来る時間だ」

 葵の質問の真意は分からなかったが、葵は俺の回答に満足そうに頷き、電車が来るホームを指差した。
 そしてそれとほぼ同時に電車が到着し、俺と葵はその電車に乗り込む。
 俺にとっては三ヶ月ぶりの電車だったが、特に目新しいものは無く、いつもどおりという言葉がよく似合う。
 俺が生まれた時から何も変化がないのだから、きっと俺が死ぬまで何も変わらないのだろう。
 俺達が乗った電車は駅で五分ほど停車した後、ゆっくりと入り口を閉め、目的地に向かって走り始めた。
 ガタ、ガタ、と少しの振動とともに列車は走る。窓の外の風景は次々と変わり、自分が今乗り物に乗っているのだと自覚させてくれる。

 電車は便利な乗り物だ。ただ乗っているだけで人間の足では到底辿り着けない所まで自動で運んでくれる。
 葵に聞いた話では昔の電車は何両もの列車が連結していて、時間帯によってはその全ての列車に許容量を超えた数の人間が乗り込んでいたらしい。
 しかし今ではどこへ行く電車も一両しかなく、その一両にすらほとんど人は乗らない。
 俺達が乗っているこの電車も俺達以外に人影はなく、車内は静寂に包まれていた。
 俺も葵もその中で無理に何かを話そうとはせず、ただ外を眺めて座っている。
 この静けさを気まずいとは感じない。むしろいつまでもこのままの状態でいたいとすら思える。
 そんな願いも虚しく、電車は次々と駅を通過していく。俺の予想が正しければ、次の駅が葵の目的地だろう。

「あ、次の駅で降りるから、ちゃんと目を覚ましておいてくれよ?」

 葵の言葉で予想は確信に変わったが、注意されたことの方が気にかかってしまい、つい口を尖らせる。

「大丈夫だよ、ちゃんと起きてる。というかそもそも最初っから寝てないし」
「そうなんだけど一応言っておかないと思ってね。昔の君は電車に乗ると一駅も経たない内
に寝てしまってたから、今でもそうなる可能性は十分にある」
「お前も言ったように、それは昔の話だ。もうそんな子供みたいなことはしない」
「子供みたいなこと、か。そうだね、私達ももう十七歳だし要らない世話だったかな。ああ、そうこう言っていたら着いたね。じゃあ降りようか」

 立ち上がって電車を降りていった葵に続き、俺も電車を後にする。
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