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音楽ランキング Sランク編 amazarashi(アマザラシ)

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amazarashi(アマザラシ) Sランク

死ぬまでに聴かないと損する度 92 Sランク

【解説】
音楽ランキングSランク編、今回はamazarashi(アマザラシ)について書いていきたいと思う。

筆者がこのバンドを初めて知ったのは、『中島美嘉』のある曲がきっかけだった。

それは、アマザラシのボーカルで作詞作曲と、その世界観の中核を担う『秋田ひろむ』によって提供された、『僕が死のうと思ったのは』という曲。

この曲が中島美嘉のベストアルバムに収録されており、普段バラードを基本に歌っている中島美嘉らしからぬそのタイトルと、楽曲の世界観の特殊さから、筆者の印象に強く残ったのだ。

『なんだこの曲……中島美嘉らしからぬ暗さだけど……でも何故かとても胸に響く……その辺の薄っぺらい軽薄な曲とは全然違う……』

そして気になって作詞作曲した方を調べると、筆者はそこで初めてその曲を作ったのが、アマザラシのボーカル『秋田ひろむ』という方であることを知ったのである。

とても良い曲だなとは思ったのだが、その時は今のようにネット環境やSNS全盛の時代でもなかったことから、それ以上掘り下げることもなく、中島美嘉の素晴らしい一曲という印象に終わっていた。

そこからしばらく時は経ち、転機が訪れたのは秋田ひろむ自身による『僕が死のうと思ったのは』のセルフカバー、弾き語りのライブを観た時のことだった。

これがもうさすが作ったご本人だけあるというか、中島美嘉のバージョンとは比べものにならないほど『真に迫っている』というか、秋田氏自身の苦労してきた『人生そのもの』を歌い上げているようで、強い迫力と真っすぐな魂を感じる圧巻の歌唱であり、筆者はこれを観て聴いて全身で感じて、なんて素晴らしい曲となんて素晴らしい歌唱なんだと感動しまくったのである。(もちろん中島美嘉バージョンの方が好きという方もいらっしゃるだろうし、筆者もそちらも好きなのだが、個人的にはそう感じたという話)

メロディーも当然素晴らしいのだが、筆者がまず目を見張ったのはこの曲の『歌詞』の素晴らしさ。

この次の歌詞にはもう一発目からやられてしまった。

『僕が死のうと思ったのは、ウミネコが桟橋で鳴いたから』

一見死ぬこととウミネコには何ら関係性がないように思えるが、普段は(精神状態が落ち着いている時は)何とも思わない鳴き声も、心が病んでいる時は自分の背中を押すきっかけに聴こえたという、文学性の高い極めて高度な表現なのである。(!!)

これが詩的才能のない凡人であれば、『死のうと思った→何故?→その理由』にすぐに繋げたくなるのだが、一見関係性のなさそうなものを対比として持ってくることによって、その人物の『孤独』や『絶望』をより色濃く浮き彫りにするという、極めて優れた手法。

ピロウズやレミオロメンの時にも語ったが、筆者はこういった『文学性の高い歌詞』を非常に高く評価している。

この曲はその後も文学性の高い優れた表現が続くのだが、全てを解説する訳にはいかないため、その中から筆者が聴いていつも泣けてきてしまう表現を三つご紹介して終わりにしたいと思う。

『死ぬことばかり考えてしまうのは、きっと生きることに真面目すぎるから』

この歌詞からは今正に本当に悩んでいる人への、何を自分の考えを押し付けるでもない、ただ、そっと傍で見守り寄り添っているかのような、深い愛情と優しい眼差しを感じる。

そして曲は次の歌詞に転じるのである。

『僕が死のうと思ったのは、まだあなたに出会ってなかったから』

前半で『僕が死のうと思ったのは』の表現は、全て目の前の『絶望』へと繋がっていく状態だった。

それがこの歌詞では何が変わったのかというと、『僕が死のうと思ったのは、まだあなたに出会ってなかったから』ということは、逆説的に『あなたに出会ったことで、僕はまだこの世界で生きようと思った』ということであり、なんと、絶望が最後に生きることへの『希望』に転じているのだ。(!!)

そして曲は次の最後の歌詞で締めくくられる。

『あなたのような人が生きてる、世界に少し期待するよ』

秋田ひろむはけしてこの曲で、『生きろ』などという押し付けをしたりしない。

ただ、あなたがいるこの世界に『少し期待する』と言うことで、これからもこの世界で生きていくことを表現するのだ。(『期待する』ではなく『少し期待する』であるところに、またとてつもない詩心を感じる。『少し期待』ということは、つまりまだ完全にはこの世界を信用していないことを表している。『世界への絶望』と『あなたへの希望』の狭間で、それでも生きていくことを決めたということ)

と、素晴らしい表現のオンパレードであるこの曲なのだが、少し調べてみると、秋田ひろむ氏は好きな作家が『寺山修司』と『太宰治』らしく、なるほど、こういった素晴らしい詩的表現はそこから来ているのだろうなと得心が行った。

更に好きなミュージシャンは元『野狐禅』の竹原ピストルらしいというのも見て、なるほど、あのこれまでの人生を叩きつけるかのような激しい歌唱(というか魂の叫び)は、そこから来ているのではないかとこれも得心が行った。

一見すると暗いアマザラシの楽曲群だが、実はその根底に流れているのは『生への渇望』であり、『生きることへのパワー』に満ち溢れているように思う。

アマザラシの音楽は、その辺の軽薄なインスタントミュージックでは救われない、本当の『孤独』や『絶望』に悩む人たちへの力強い『応援歌』でもあり、『最後の希望』なのだと思う。
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