蛾は蝶に憧れていた

覗見ユニシア

文字の大きさ
上 下
4 / 35

4.パラレルワールドの奈良時代に召喚され式神契約の儀式をされる

しおりを挟む


 勝と触れ合ったと思った指先は、虚空を掴んだだけだった。
 蝶の群れが一斉に消え、暗闇の中、一匹の蛾だけが、飛んでいた。


『…我…』
 蛾から声が聞こえる……?

『我を守れ。我と生きよ』
 蛾が人の姿を取る。

『我は、そなたを欲しておる』


 助彦は、驚きのあまり目を見開き、息を呑んだ。
 蛾が人間に姿を変えたのは、衝撃的な光景だった。
 だが、それよりも気になったのは、現れた人物だった。
 桔梗色の着物に身を包んだ青年は、背が高く、大人びた顔立ちをしている。

 助彦は、その顔に見覚えがあった。
 そう、その青年は、助彦が夢にまで見た大人になった自分の姿。
 理想の姿をした青年は、手を差し出した。

『そなた。我に使えよ』


 差し出された手を夢現で握った助彦は、天地がひっくり返ったかのような、衝撃を受けた。



「いって~!」

 助彦は、痛さに悲鳴をあげた。どうやら、地面に腰を打ちつけたらしい。
 痛い腰をさすりながら立ちあがると、先ほどいたアスファルトの道で無いことに気づいた。足元はかたい土で、助彦を囲むように円が書かれている。円に沿うように書かれた文字は、青白く発光していたが、徐々に光を失い、円ごと消え去った。
 辺りを見渡すと、なにかの儀式で使用する札が、木の枝のあちらこちらに吊るされている。どうやら、助彦が今いる場所は、林のようである。

「あれ?おれ、さっきまで、通学路を歩いていたはずなのに……」

 あまりの風景の違いに茫然としていると、聞き覚えのある声がした。

「貴様が我の式か?名を申せ」
「えっ」

 声のした方を向くと、そこには、不可思議な空間で出会った青年が、品定めをするように助彦を見下していた。

「聞こえなかったのか?貴様の名を名乗れ。式神」
「……式神?」

 首をかしげる助彦に、青年は、偉そうな態度で説明した。

「貴様は、人の姿に扮した妖怪の類であろう。ならば、陰陽師に使えられるのは、名誉に値するはずだ。特に、位の高い藤原家の者に使えられるのは、感激であろう」

「藤原家?おれは、藤原助彦だけど?」
「妖怪如きが、藤原の姓を名乗るな!」

 青年の目が細くなる。腰に吊るしてある刀に手を添えた。

「それ、本物の刀じゃないよな?」

 助彦は、身の危険を感じて、腰を落としたまま見構えた。

「真剣に決まっておろう。試し切りされたいのか?」

 青年は、ためらいもなく刀を抜いた。研ぎ澄まされた刃におびえ切った助彦が映る。

「あんたが何を勘違いしているのかわからないけれど、おれは妖怪じゃない。人間だ!」
「人間?」
「そうだ!」
「では、そのおかしな格好は、なんだ?」
「おかしな格好?お前こそ、奈良時代みたいな着物を着て……」

 そこまで告げて、助彦は気付いた。
 目の前の青年が着ている着物は、奈良時代に流行った形状で、母、京子がもっとも愛する形状の着物でもある。
 助彦が疑問の眼差しを目の前の青年に向けると、林をかき分けながら男性が姿を現した。

「ヤジリ。式神召喚の儀式は、順調に進んでいるか?」

 男性は、低い声で、助彦と向き合っている青年に声をかけた。
 年は、二十代後半ぐらい。足元に届きそうな程長い銀髪だ。紫色の下地に菊の花が銀で刺繍してある質の良い着物を着ている。
 ヤジリと呼ばれた青年は、男性に頭を下げた。

「菊之介様。召喚した式神ですが、自分は人間だと名乗り始めて……」
「人間だと名乗る妖怪だと?それはまた奇妙な……」

 菊之介と呼ばれた男性は、助彦を見ると息を呑んだ。

「……時は、満ちたか」
「菊之介様?」
「ヤジリ。この者は、おそらく我ら陰陽師の宿敵、鬼の間者(かんじゃ)だ」
「鬼の間者ですか?」
「ああ、本来召喚されるべき妖怪では無く、儀式を利用して紛れ込んだ鬼の手先だろう」
「殺しますか?」

 ヤジリの目が殺意を込めて細くなる。

「いや。様子を見よう。しばらくは、ヤジリの式神として扱え」
「しかし菊之介様。それでは、鬼の思う壺なのでは……」
「そなたほどの優秀な陰陽師ならば、いつでも退治は可能だろう。今は、見える所で躍らせておけばいい」
「ですが……」
「ヤジリ」

 菊之介が、助彦に聞こえないように、ヤジリの耳元で何かを呟いた。
 その途端、ヤジリの瞳が虚ろになる。
 そして、ヤジリは、菊之介に導かれるまま、接吻を交わした。
 男同士での接吻。

「なっ!」

 助彦は、何が起こったのかとっさに理解出来ずにただ赤くなった。
 菊之介との接吻を終えたヤジリは、虚ろな表情のまま、助彦の前に立つ。

「なっ。なんだよ!」

 助彦の戸惑いを気にせずに、ヤジリは、早口に呪詛を読む。

「我と契約を交わす者には、恵を与えん
 我の願いを叶えるのならば、そなたの願いを叶えん
 我に従え。それが、そなたの誇りになるだろう
 我と共に歩め。そなたの運命なり
 我を守れ。我と生きよ
 我は、そなたを欲しておる
 そなた。我に使えよ」

 不可思議な空間の再現のようにヤジリは、呪詛を読む。
 先ほどとよく似た青白い光を放つ術式が、助彦を中心に展開された。

「汝、藤原助彦よ。式神契約の儀式はここに完了した。いついかなる時も我に従い、我に使えよ」

 ヤジリの閉めの言葉で術式は、助彦の身体に吸い込まれた。
 助彦はいままで自由だった、‘なにか‘が捕えられたような束縛感を感じた。
 身体全体を拘束されたようないやな刺激が襲いかかり、喘ぎながら意識を手放した。



しおりを挟む

処理中です...