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クロエ編⑦いたずら
孤高の魔女、ルネ。影を渡る風の囁き。
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夜になったリヴィエール。
街は静まり返り、灯りのひとつひとつがやさしい呼吸のように揺れていた。
その屋根の上――誰もいないはずの場所に、黒い影がひとつ、軽やかに腰を下ろす。
月明かりを背に、微笑む女。
「ふふふ……まったく、相変わらず面白い男ね、健司って」
その女――孤高の魔女、ルネ。
誰も彼女の行動を予測できない。どこから来て、どこへ行くのか。
風のように現れ、影のように消える。
だから、人は彼女を“孤高”と呼ぶ。
「メルガもスルネも、まるで恋する少女じゃない。……ほんと、愛の魔法って怖いわね」
屋根の上で足をぶらぶらさせながら、ルネは楽しそうに笑った。
彼女の瞳は、リヴィエールの広場に集まる健司たちを捉えている。
ソレイユ、セレナ、リーネが目を覚まし、笑い合う姿。
メルガとスルネが、涙を流しながら「ここにいたい」と言ったあの光景。
――それを、ルネはすべて影の中から見ていた。
「……ふふ、いいこと思いついちゃった。セイラにちょっかい出してみようかしら」
彼女は月に向かって指を鳴らす。
その瞬間、風が渦を巻き、影が彼女の身体を包み込む。
次の瞬間、ルネの姿はリヴィエールから消えていた。
⸻
場所は変わって――ホワイトヴェル。
雪に覆われた冷たい大地。
白銀の光が、野蛮な魔女たちの砦に反射している。
ここは、野蛮の魔女の本拠地。
戦火と混乱を生き抜いてきた魔女たちの集まりであり、血と誇りに染まった場所。
広間の中央には長い石のテーブル。
その上には、無数の地図と、報告書、そして焦げた紙片が散乱していた。
その奥で、椅子に足を組んで座る女がいる。
漆黒の髪、鋭い瞳、闇のような気配――セイラ。
野蛮の魔女の頂点に立つ者。
「ねぇ、ルネイア。あんたまた笑ってるの?」
「だってさぁ、セイラ様。真面目な顔してると、怖いんだもん」
ルネイアは明るい声で返す。
彼女はこの組織の潤滑油のような存在で、いつも空気を和らげていた。
その時――扉が勢いよく開かれた。
「セ、セイラ様!! たいへんな事態でございます!」
駆け込んできたのは、野蛮な魔女の一員。息を切らし、顔は青ざめていた。
「何事だ?」
セイラが低い声で問う。
「メルガ様、スルネ様が……投降なさいました」
「……何だと?」
その場の空気が一瞬で凍りつく。
ルネイアが目を見開き、テーブルの上の杯を落とした。
「嘘でしょ。あのメルガとスルネが?」
「信じられない……」
「まだ続きがございます」
報告の魔女が声を震わせる。
「二人は、リヴィエールに留まると……」
セイラが椅子から立ち上がる。
深紅のマントが翻り、周囲の空気が震えた。
「馬鹿な……メルガが? あの女は“誰も信じない”を信条にしていたはずだ」
「はい……ですが、さらに――」
「さらに?」
「二人は……健司という男に、恋をして告白した、と」
その瞬間、会議室にいた魔女たちがざわめいた。
「な、なにぃ!? あの健司とかいう人間に!?」
「狂ったのかしら……?」
「信じられない……」
ルネイアは目を丸くして笑いだした。
「ぷっ……あははは! 嘘でしょ、それ!? あのメルガが恋!?」
セイラは笑わなかった。
ただ、鋭い瞳を細め、声を潜めて言った。
「――その話、誰から聞いた?」
報告の魔女はおびえながら言葉を継ぐ。
「現地にいた者から直接……そして、もう一つだけ……」
「言え」
「2人は、“セイラ様を惚れさせるのも時間の問題”と……そう、言っていたそうです……」
……シン、と音が消えたような沈黙が落ちた。
誰もが息を潜める。
セイラの拳がテーブルに叩きつけられ、石の天板が亀裂を走らせた。
「……誰がそんなことを言った?」
「め、メルガ様と……スルネ様が――」
「違う。あの2人はそんな軽口を叩く性格じゃない」
セイラの瞳が炎のように燃え上がる。
「……ルメ」
静寂の中に、その名が落ちた。
ルネイアが目をぱちくりさせる。
「え? ルメって、あの孤高の? まさか、こんなところに――」
その瞬間、部屋の隅の影が、ふわりと揺れた。
黒い靄が形を変え、やがて人の姿になる。
「バレちゃったかぁ~。ふふっ、セイラってほんと、鋭いよね」
「やっぱりね」
セイラの声は冷たい。
「ルメ、何のつもりだ?」
ルメは肩をすくめて笑う。
「別に? ちょっとからかいに来ただけよ。ねぇねぇ、もし本当に健司があなたを惚れさせたら、どうする?」
「ありえない」
セイラの返答は即答だった。
「私は2度と恋などしない」
「ふ~ん」
ルメが歩きながら、軽く指を振る。
その周囲に小さな光の粒が舞い、セイラの過去の幻がちらりと浮かんだ。
焦げた戦場、血の香り、そして一人の青年。
その光景に、セイラの眉が一瞬だけ動く。
「やめろ」
「やっぱりね、まだ心の奥にいるんでしょ? “誰かを愛した”あなたが」
「黙れ、ルメ」
セイラの足元から黒い風が迸る。
ルメは笑いながら後ろに跳んだ。
「こわ~い。でもさ、素直じゃないところ、変わらないね。
そんなだから、仲間を健司に取られるのよ?」
その言葉に、セイラの怒気が爆発した。
周囲の空気が歪み、風の渦がルネを包む――だが、彼女の姿はそこにはなかった。
「……あら?」
セイラが周囲を見渡す。
「また消えた……」
天井の梁の上で、ルメが楽しそうに足を組んで座っていた。
「ねぇセイラ、“愛”って、燃やしても消えないんだよ。あなたも、そろそろ気づいていいんじゃない?」
「くだらない。私はそんなものに縋らない」
「ふふ、そう言うと思った。でもね――あなたの中に“愛を憎む理由”がある限り、きっとまた出会うよ。健司とね」
ルメはウインクし、風のように消えた。
残されたのは、何ともいえない空気と、静かな沈黙。
ルネイアがぼそりと呟く。
「やっぱりルメって、いちばんタチ悪いわね……」
セイラはその場に立ち尽くし、拳を強く握った。
心の奥に、消せない痛みと、微かな揺らぎが生まれていた。
「……健司、か。あの男、いずれ会うことになるかもな」
月明かりがホワイトヴェルの雪を照らし、風の女王の影を長く伸ばしていた。
その影の奥で、ルネの笑い声が風に溶けた。
街は静まり返り、灯りのひとつひとつがやさしい呼吸のように揺れていた。
その屋根の上――誰もいないはずの場所に、黒い影がひとつ、軽やかに腰を下ろす。
月明かりを背に、微笑む女。
「ふふふ……まったく、相変わらず面白い男ね、健司って」
その女――孤高の魔女、ルネ。
誰も彼女の行動を予測できない。どこから来て、どこへ行くのか。
風のように現れ、影のように消える。
だから、人は彼女を“孤高”と呼ぶ。
「メルガもスルネも、まるで恋する少女じゃない。……ほんと、愛の魔法って怖いわね」
屋根の上で足をぶらぶらさせながら、ルネは楽しそうに笑った。
彼女の瞳は、リヴィエールの広場に集まる健司たちを捉えている。
ソレイユ、セレナ、リーネが目を覚まし、笑い合う姿。
メルガとスルネが、涙を流しながら「ここにいたい」と言ったあの光景。
――それを、ルネはすべて影の中から見ていた。
「……ふふ、いいこと思いついちゃった。セイラにちょっかい出してみようかしら」
彼女は月に向かって指を鳴らす。
その瞬間、風が渦を巻き、影が彼女の身体を包み込む。
次の瞬間、ルネの姿はリヴィエールから消えていた。
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場所は変わって――ホワイトヴェル。
雪に覆われた冷たい大地。
白銀の光が、野蛮な魔女たちの砦に反射している。
ここは、野蛮の魔女の本拠地。
戦火と混乱を生き抜いてきた魔女たちの集まりであり、血と誇りに染まった場所。
広間の中央には長い石のテーブル。
その上には、無数の地図と、報告書、そして焦げた紙片が散乱していた。
その奥で、椅子に足を組んで座る女がいる。
漆黒の髪、鋭い瞳、闇のような気配――セイラ。
野蛮の魔女の頂点に立つ者。
「ねぇ、ルネイア。あんたまた笑ってるの?」
「だってさぁ、セイラ様。真面目な顔してると、怖いんだもん」
ルネイアは明るい声で返す。
彼女はこの組織の潤滑油のような存在で、いつも空気を和らげていた。
その時――扉が勢いよく開かれた。
「セ、セイラ様!! たいへんな事態でございます!」
駆け込んできたのは、野蛮な魔女の一員。息を切らし、顔は青ざめていた。
「何事だ?」
セイラが低い声で問う。
「メルガ様、スルネ様が……投降なさいました」
「……何だと?」
その場の空気が一瞬で凍りつく。
ルネイアが目を見開き、テーブルの上の杯を落とした。
「嘘でしょ。あのメルガとスルネが?」
「信じられない……」
「まだ続きがございます」
報告の魔女が声を震わせる。
「二人は、リヴィエールに留まると……」
セイラが椅子から立ち上がる。
深紅のマントが翻り、周囲の空気が震えた。
「馬鹿な……メルガが? あの女は“誰も信じない”を信条にしていたはずだ」
「はい……ですが、さらに――」
「さらに?」
「二人は……健司という男に、恋をして告白した、と」
その瞬間、会議室にいた魔女たちがざわめいた。
「な、なにぃ!? あの健司とかいう人間に!?」
「狂ったのかしら……?」
「信じられない……」
ルネイアは目を丸くして笑いだした。
「ぷっ……あははは! 嘘でしょ、それ!? あのメルガが恋!?」
セイラは笑わなかった。
ただ、鋭い瞳を細め、声を潜めて言った。
「――その話、誰から聞いた?」
報告の魔女はおびえながら言葉を継ぐ。
「現地にいた者から直接……そして、もう一つだけ……」
「言え」
「2人は、“セイラ様を惚れさせるのも時間の問題”と……そう、言っていたそうです……」
……シン、と音が消えたような沈黙が落ちた。
誰もが息を潜める。
セイラの拳がテーブルに叩きつけられ、石の天板が亀裂を走らせた。
「……誰がそんなことを言った?」
「め、メルガ様と……スルネ様が――」
「違う。あの2人はそんな軽口を叩く性格じゃない」
セイラの瞳が炎のように燃え上がる。
「……ルメ」
静寂の中に、その名が落ちた。
ルネイアが目をぱちくりさせる。
「え? ルメって、あの孤高の? まさか、こんなところに――」
その瞬間、部屋の隅の影が、ふわりと揺れた。
黒い靄が形を変え、やがて人の姿になる。
「バレちゃったかぁ~。ふふっ、セイラってほんと、鋭いよね」
「やっぱりね」
セイラの声は冷たい。
「ルメ、何のつもりだ?」
ルメは肩をすくめて笑う。
「別に? ちょっとからかいに来ただけよ。ねぇねぇ、もし本当に健司があなたを惚れさせたら、どうする?」
「ありえない」
セイラの返答は即答だった。
「私は2度と恋などしない」
「ふ~ん」
ルメが歩きながら、軽く指を振る。
その周囲に小さな光の粒が舞い、セイラの過去の幻がちらりと浮かんだ。
焦げた戦場、血の香り、そして一人の青年。
その光景に、セイラの眉が一瞬だけ動く。
「やめろ」
「やっぱりね、まだ心の奥にいるんでしょ? “誰かを愛した”あなたが」
「黙れ、ルメ」
セイラの足元から黒い風が迸る。
ルメは笑いながら後ろに跳んだ。
「こわ~い。でもさ、素直じゃないところ、変わらないね。
そんなだから、仲間を健司に取られるのよ?」
その言葉に、セイラの怒気が爆発した。
周囲の空気が歪み、風の渦がルネを包む――だが、彼女の姿はそこにはなかった。
「……あら?」
セイラが周囲を見渡す。
「また消えた……」
天井の梁の上で、ルメが楽しそうに足を組んで座っていた。
「ねぇセイラ、“愛”って、燃やしても消えないんだよ。あなたも、そろそろ気づいていいんじゃない?」
「くだらない。私はそんなものに縋らない」
「ふふ、そう言うと思った。でもね――あなたの中に“愛を憎む理由”がある限り、きっとまた出会うよ。健司とね」
ルメはウインクし、風のように消えた。
残されたのは、何ともいえない空気と、静かな沈黙。
ルネイアがぼそりと呟く。
「やっぱりルメって、いちばんタチ悪いわね……」
セイラはその場に立ち尽くし、拳を強く握った。
心の奥に、消せない痛みと、微かな揺らぎが生まれていた。
「……健司、か。あの男、いずれ会うことになるかもな」
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