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しおりを挟むあれから市川の態度はいつも通りだった。
けど、翠のいない時に二人きりになったり、帰ったり、部屋に行ったりはなくなった。
最初のうちはそれがありがたかったけれど、日が経つにつれてやはり市川は翠の方が良かったのかという思いが大きくなっていった。
途中気の迷いがあったが、最初からわかっていた事とはいえそれはオレの心を大いに傷つけた。
市川よりも、むしろオレの方が避けている。
毎日一緒に食べていた昼食も、適当な理由をつけて別々に食べたり、それが出来なかった日はただただ黙って二人の前で食べた。
市川を避け、翠も避け、次第に自分でもわかるくらいに以前のように戻った。
そんなある日の放課後。
「碧、なんか最近オレに隠し事してない?」
「え?」
教室のオレの席、その机にまるで犬の伏せの姿勢のように両手に顔を乗せて上目にそう聞いてきた。
ぎくりとする。
翠に隠していることといえば、市川と付き合っている事。
キスをした事。
襲われた事。
市川が、翠を好きだという事。
こんなこと翠には言えない。
言ったらオレと市川を繋いでいる細く脆い糸が切れてしまう。
(でも、その方が良いのかな)
そう何度も考えた。
こうなった今では、そんな糸などいっそ切ってしまった方が良いのかもしれない。
けれど今まで生きてきた中でのほんの少しの暖かみがそれを阻む。
一秒でも一瞬でも、あんな風に優しく触れられたら忘れられない。
離れたくないと思ってしまう。
「碧」
「……」
黙り込んでしまったオレに、翠は身を起こす。
じっと見据える目を逸らしたくなった。
「最近様子おかしいし、元気もなくなった。何か悩んでんじゃないの?」
市川とした事、された事、全部を翠に話した方が良いのだろうか。
でもそれでもし翠も市川の事が好きだったら。
それこそオレは目も当てられない。
今まで翠に隠し事なんてなかったけれど、これだけは言えない。
言えるはずがない。
「碧」
「……何もないよ。翠に隠し事なんてするわけないじゃん」
少しの間を置いてそう言うオレに翠は眉を寄せる。
当たり前だ、不自然すぎるぎこちない笑みを浮かべているのだから。
「碧」
「翠、もうほっとけって」
やはり腑に落ちないのだろう、再度問おうとした翠の声にクラスメイトの声が重なる。
「そうそう、兄弟でも話したくない事なんかいっぱいあるって」
「つーかもともと翠みたいになるのが無理なんだから」
「……っ」
笑って言う言葉の数々に鼓動が早まる。
『翠みたいになるのが無理』
そんなのわかりきっている事だ。
今更誰かに言われなくたってわかりきっていたはずなのに、タイミングが悪すぎる。
もっと前なら、笑って流せたかもしれない。
もっともっと前なら、市川とそういう事になる前なら、またかと、僅かに胸を痛めただけて済んだかもしれない。
けれど今はその言葉が胸にぐさりと刺さって抜けない。
もう嫌だ。
ぼそりと呟く。
きっと一番近くにいた翠にも聞こえないくらいの小さな声。
出来る弟がいるのはオレにとって自慢だ。
けれど両親にとっては弟が出来るのに何故兄のオレが出来ないのかという事になるらしく。
可愛がられていないというわけではない。
けど、どうしても翠との差はあるように思う。
親戚や周りの態度もそうだ。
『翠は偉いわね』
『なんでも一番で凄いわ』
『にこにこしてて翠くんは可愛いわね、なんて言われちゃった』
『碧はどうして出来ないのかしらね』
『翠くんの方が楽しいんだもん』
『ああ、翠のおまけか』
『平井のもう一人の方だろ』
翠、翠、翠、翠
みんな翠ばっかりだ。
やっとオレを、『碧』を見てくれると思ったのにやっぱり『翠』の方へ行ってしまう。
「……っ」
「碧?!」
何かが爆発しそうになって乱暴に立ち上がり走り出すオレに、驚いた翠の声が聞こえた。
*
教室を出て階段を下り、特別教室の前に至った所で呼び止められた。
「平井?」
「っ、市川……!」
市川だった。
そういえば、二人で市川を待っているところだったなと思い出す。
「……どうした?」
「いや、えっと……」
様子のおかしいオレに気付く。
ここで立ち止まっている間に翠に追い付かれた。
市川に返事をする前に、腕を掴まれ振り向かされる。
「碧!」
「っ、翠」
「?翠?」
突然物凄い勢いで来た翠に驚く市川。
それはそうだろう、仲良く教室で待っているはずの二人が何やらもめているのだからそれは驚きもするだろう。
翠は市川の姿など気にせず問いつめる。
「どうしたんだよいきなり!?」
「なんでもないって」
「なんでもないわけないじゃん!あ、あいつら?あいつらの言うことなんて気にしなくて……」
「違う!」
「え?」
彼らの言葉はただのきっかけだ。
今までずっと長い間溜まってきたものがとうとう我慢出来なくなってしまったのだ。
「違う、あいつらじゃない」
「?じゃあ何?どうしたんだよ?」
そっと目元を拭われる。
歪む視界に、翠の濡れた指。
自分が泣いているのだと気付いた。
情けない、こんな事で泣くなんて。
両頬を包まれ額が引っ付くくらいに近付き顔を覗き込まれた、と思ったら。
「っ、え?」
暖かいものが一瞬にして頬から離される。
見ると、市川はオレから引き剥がすように翠の両手を掴んでいた。
「晴太、何するんだよ」
「あ、いや……」
こんな些細な行動がオレに追い討ちをかける。
翠がオレに触れるのがそんなに嫌なのだろうか。
こんな時くらいオレを見てくれたって良いのに。
「……だ」
「ん?」
「もう、や……」
「うん?」
オレの小さな小さな声を漏らさないように優しく聞いてくる翠。
それはいつもならオレの心を解きほぐすのに絶大な効果を発揮するのだが、今のオレには却って逆効果だ。
くしゃりと、自分でもわかるくらいに表情が崩れた。
「もうやだ」
「え?」
「みんな、翠ばっかり……っ」
「……碧?」
何の事だと首を傾げる翠を睨み付け、叫ぶ。
「いっつもいっつも、みんな翠ばっかり!翠しか見てない!」
小さい頃からずっと、何をやっても上手に出来るのは翠。
褒められるのも良い子だと頭を撫でられるのも皆に囲まれ笑うのも翠。
同じ双子なのに、どうしてこんなにも違うのか。
「なんで?なんでみんな翠ばっか……っ、オレは翠のおまけなんかじゃないのに、父さんも母さんも、みんな翠ばっか褒めて、そりゃ翠の方がなんでも出来るし明るいし楽しいのはわかるけど、オレだってオレを見て欲しいのに……っ」
「碧……」
息つぐ間もなくしゃくりあげながら言うオレに、痛ましげに顔を歪める翠。
「オレが初めて好きだって思えた相手だって、オレの事ちゃんと見てくれてると思ったのに、なのに、結局翠の事しか見てなくて、結局オレの事なんて見てくれてなくて……っ」
「……好きな相手?」
「一緒にいて、オレ一人浮かれてたのがバカみたい、こんなんばっかで、みんな翠がいればそれでよくて……っ、オレ、翠といると、すごい惨めな気持ちになる……っ」
「……っ」
「もう嫌だ、嫌だよ……翠なんて、翠となんて……っ」
双子じゃなければ良かったのに。
その言葉は辛うじて飲み込んだが、次に続く言葉が見当たらない。
「……碧」
「……ごめん、暫く話したくない」
「!!!」
息を飲む気配。
傷付いた表情をする翠。
今のオレにはそれを気遣う余裕なんてこれっぽっちもなかった。
まだもう一つ。
もう一人に伝えなくてはならない事がある。
「市川」
目の前で声を荒げるオレを呆然と見ていた市川を呼ぶ。
限界だ。
オレにはもうこの関係を続けていくことが出来ない。
それに、市川だってまさか身代わりだと思っている相手から本気で好かれるなんて思っていないたろう。
いい迷惑に違いない。
「ごめん、もう無理」
「え?」
「もう終わりにしよう?いくら似てても、やっぱりオレじゃ代わりになんてなれないよ」
「?何……?」
「……ごめん」
顔が見れなくて、俯いたまま告げる。
目から零れる涙が床に落ちた。
そのまま、当然ながら翠の顔も見る事なんて出来ず、すんと鼻をすすり、その場を走り去った。
これで何もかも終わり。
市川の優しい目も言葉も仕草も何もかも、最初からオレのものではなかったのだから。
これで良い。
これで良かったんだと、強く自分に言い聞かせた。
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