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しおりを挟む「実はさ、杏と付き合う事になったんだ」
「……え?」
真樹が復学してから数日。
記憶がなくても身体が覚えていたのか思ったよりも早く生活に慣れ、ホッとしていた矢先。
構内を歩いている最中に内緒話をするように真樹が告げた一言に、一瞬で目の前が真っ暗になった。
今、こいつは何と言った?
「迷ったんだよ、俺、付き合ってた相手がいたっぽいけど思い出せないし……ていうか何の連絡もないし、もしかしたら向こうも俺の事なんかなんとも思ってないのかなって思って」
恋人がいたらしいというのは、一人暮らしのはずの部屋に揃いの食器や二本並んだ歯ブラシを見つけてそう思ったらしい。
その時も俺は傍にいたが、自分が恋人なのだと言い出せずにいた。
高校生の時の真樹は男同士で恋愛をするなんて想像もしていなかっただろうから混乱すると思ったんだ。
混乱して、拒絶されて、万が一汚い物を見るような目で見られたらと思うと怖くて言えなかった。
それが悪かったのだろうか。
だからこんな事になったのだろうか。
「それなら、俺も好きにしようと思って思い切って杏に告白してみたんだ」
そう言って笑う真樹。
音沙汰のない顔も知らない思い出せない恋人より、
今まさに恋焦がれている相手の方が良かったらしい。
(なんとも思っていないなんて)
そんなはずないじゃないか。
ずっと傍にいたじゃないか。
病院で目が覚めた時から、ずっと、一番傍に。
「そしたら、杏もいいよって言ってくれて」
「……っ」
照れ臭そうに頬をかく真樹。
俺以外と付き合うという事が、そんなにも嬉しいのか。
頭では忘れてるとはいえ、俺と過ごす中でほんの少しも気持ちは動いてくれなかったのだろうか。
身体に触れても、何のデジャヴも感じずにいたのだろうか。
「ずっと好きだったけど、まさかオッケーしてもらえるとは思ってなくてさ」
幸せそうな笑みを浮かべる真樹を見て、じりじりとしたものが胸をせり上がって言葉の一つ一つが俺の心臓を抉っていく。
バカだ。
我慢出来るはずなんてなかった。
傍にいるだけで良いなんて。
真樹の温もりを知った後で、そんな事出来るはずがなかったんだ。
「……っ」
痛む胸元を無意識に掴むと、固い物に触れた。
真樹から貰った指輪だ。
サイズが合わなくて、交換してくると言った真樹を制して貰ったそれ。
真樹が俺の為に買ってくれたというだけで嬉しくて、例え指に嵌める事が出来なくても手元に置いておきたかったそれ。
いつか絶対新しいのを買うから、それまで預かっていてと言われて、チェーンに通してお互いのを交換したのに。
真樹の元にも同じ物があるから、これさえあれば、いつか俺の事を思い出してくれると、そんな淡い期待を抱いていたのに。
(もう、そんな日は来ないんだ)
思い出ばかりか俺の存在すら忘れてしまった真樹が、そんな約束を覚えているはずがなかった。
(なのに、こんなのいつまでも大事に持ってて)
本当に、バカみたい。
「!川内!?」
ぐらりともつれる足。
とっさに踏ん張って、なんとか倒れないで済んだところを真樹が支えてくれる。
(こんな時に)
ずっと触れたいのを我慢していたのに、こんな最悪のタイミングで触れられるなんて。
ああ、でも久しぶりに触れてくる真樹の手は、相変わらず暖かくて心地良い。
このまま引き寄せて、抱き締めて欲しいと望んでしまう。
(往生際が悪いな)
もう、真樹の事は諦めるべきなのだろう。
「川内、大丈夫か?!具合悪いのか?!」
「ううん、大丈夫。ごめんな、支えてもらっちゃって」
「え?あ、いや、そんな事……」
肩に触れる真樹の手をそっと離して、しっかりと地面を掴む。
悪いのは具合じゃなくて気分だ。
この上なく気分が悪い。
一秒でもこの場に留まっていたくない程辛い。
辛い、けど。
「広瀬」
「ん?」
「良かったな、その子と付き合える事になって」
震える声をなんとか堪え、俺はそう言うしかなかった。
所詮俺は、事故に遭えば忘れてしまえる、忘れても思い出す努力すらして貰えない、その程度の存在でしかなかったのだ。
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