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第一部
第41話
しおりを挟むそうして侯爵家に戻って一週間が経った日、エルーシアは親族一同と面会する事になった。本家最後の後継者としての面会だが実際はエデルが値踏みされるとわかっていた。
当主だった義兄が認めなかった相手と駆け落ちして勝手に結婚した。エデルは貴族でもない。親族の長老方にはよく映らないだろう。
エデルは私が守るんだ。喪服を纏い心中気合を入れて面会に臨んだが、二人はあっさり認められた。ラルドの喪が明けてから、と爵位継承の日取りも決められる。そのあっけなさにエルーシアは拍子抜けだ。だがエデルの話を聞いてさらに驚愕する。
「親族の皆さんでしたらもう会いましたよ?」
「ええ?!いつ?!」
「帰ってきた二日後だったかな。エルシャが眠っている間に」
「うそ?大丈夫だった?虐められなかった?」
「ないですよ?エルシャのことは本気だときちんと話せばわかってもらえました」
「え?!わかってもらえたんだ?!」
「はい、それはもう。皆さん良い方ばかりでした」
エデルの笑顔にエルーシアが愕然とした。女性に強いと思っていたが実は年寄りキラーだったのだろうか。剛腕すぎるだろう。だが面会では皆エデルのことをそんな和やかな目で見てる感じではなかった。一体何が起こったのだろうか。何事にもそつがない夫をまじまじと見た。そこで以前ドロシーが言っていた言葉を思い出した。庶民のはずなのに確かにエデルはどことなく気高い感じがする。
「エデルはお母様と一緒に暮らしていたのよね?」
「はい、昨年母は亡くなりました」
「お父様は?」
「父‥ですか?どこかにいるとは思いますがいきなりなんですか?」
「えっと、怒らないでね?エデルのお父様は貴族ではなくて?」
和やかに微笑んでいたエデルが目を瞠る。驚くエデルは珍しい。エルーシアはしげしげとエデルを見上げた。流石に突拍子がなかったか。
「え?は?僕が貴族の落とし子だと?誰がそんなことを?!」
「誰とかじゃなくてそうかなって。エデルってどことなく気品があるというか。あ、エデルが貴族だったらいいな、なんて思ってないから!本当よ!」
酷いことを言ってしまったと慌てて否定するがエデルは動じていない。
「うーん、母が一人で育ててくれたので何とも。生物学上の父はいたでしょうね。恐らく親族のどなたかが調査していそうですし僕の報告書を取り寄せま」
「いいの!やっぱりいらないわ!」
「でも気になりませんか?実は僕は高貴な出かもしれませんよ?」
にこやかにエルーシアに微笑むエデル。高貴な出。エデルが王族?!その妄想にエルーシアの目からぴえと涙が飛び出した。
「エデルが王子様?!イヤッ結婚取り消されちゃう!」
「でもエルシャもお姫様になれますよ。王子と結婚ってよくないですか?」
「全然よくないわ!もうやめて!」
涙目で睨みつければエデルが嬉しそうに破顔する。笑顔で抱き寄せてくるエデルが愛おしい。塞ぎがちになるエルーシアをエデルは甘やかしてくる。抱き寄せてキスをして甘やかす。その甘さは義兄に似ていると思った。エデルの優しさが傷ついたエルーシアを少しずつ癒していた。
ラルドの喪が明けた後にエルーシアはトレンメル侯爵当主となった。爵位継承と同時にエルーシアは配偶者にエデルを指名した。婚姻は結んでいたが改めて侯爵家当主として式を挙げた。
当主になったエルーシアに護衛がついた。ルイーサだった。その力量は十分知っている。屋敷に戻ってからルイーサの姿が見えずエルーシアは心配していた。あの夜の騒ぎ以降、ルイーサは姿を消したとドロシーから聞いていた。
「改めまして、ルイーサでございます。エルーシア様の護衛の任につきます」
茶色の髪を高いところで一つに括り衛士服を身につけたルイーサは恭しく頭を下げた。これが彼女の本当の姿なのだろう、エルーシアはなるほどと納得した。帯刀し衛士服を纏うルイーサは確かに凛々しい。侍女のお仕着せよりしっくりきている。背後で目を爛々とさせているドロシーから黄色い声が聞こえてきそうだ。
「侍女に扮していた頃は色々壊してしまいそうヒヤヒヤしておりました。あんな動きにくいスカートで侍女の皆さんは凄いですね。この服装の方がやはり楽です」
「あの時酷いことにならなかった?」
「はい、容易くございました。散々引っ掻き回した後に上司の手引きで逃れました」
「上司?」
ルイーサはチラリと背後を見やる。そこには寡黙な家令が立っていた。エルーシアの視線を受けてオスカーが黙礼をする。エルーシアは衝撃で目を瞠った。冷酷と思っていた家令が自分を守っていた。予想だにしていなかった。
「え?あなたに私の護衛を命じたのはオスカー?」
「はい、そうでございます」
なぜオスカーがそのような命を?混乱するエルーシアにオスカーが静かに答えた。
「先代様のご意志です」
「先代?父が?」
「はい、ご遺言を全うしております」
父はエルーシアが赤子の頃に亡くなっている。父の形見も何もない。そう思っていた。
「父が‥守ってくれてたのですね」
母から譲り受けたロケットを握りしめる。自分で思っていたよりも自分はひょっとしたら二人に愛されていたのだろうか。そう思えば目頭が熱くなった。
当主になったエルーシアの最初の試練は帳簿だった。財務は領地管理業務では避けて通れない。エデルから教えを受けるがやはりよくわからない。
「エデルは財務にも明るいのね」
「以前そういった仕事をしてたので」
「すごいのね。なんでうちに来たの?」
エルーシアの疑問にエデルはにこやかだ。
「住み込みの条件がいい仕事を探していました。紹介状をつけてもらえるツテがあって。侯爵家に奉公に上がるなんてなかなか出来ないですし馬も嫌いじゃなかったのでいいかと思いました。お陰でエルシャに出会えました」
帳簿を見ることができる人間が馬の世話をする。その違和感はエルーシアでも感じられた。だがエデルは馬の扱いもうまかった。エルーシアを抱えて駆けた馬の綱さばきでわかる。だからそういうこともあるんだろう。エデルの笑顔を見上げ僅かな違和感を押し流した。
エデルは領民の、特に村長や農夫に溶け込むのは早かった。試験農場を開き新しい農具の導入や収穫物の加工、手が空く冬の間の産業開発にも着手する。領地管理に着任早々でいくらなんでも話が進みすぎだ。エデルが笑顔で種明かしをする。
「男は拳と酒で語り合うものです」
「拳?ケンカ?」
「腕相撲ですよ。力比べは惜敗しました。農夫相手では分が悪いですね。でも酒では圧勝しました。まあそういうところで馴染んでいくものです」
「たまに夜出かけてたのはそれだったのね」
「こっそりしてたのにバレてましたか。遊んでた訳じゃないですよ?新参者が高いところから命令するだけでは反発されますので。少しだけですが農作業にも参加してます。子供の頃は自給自足で畑も耕してました。同じ目線に立つことも大切ですから。僕が貴族出身じゃなくてよかったです」
気が荒い農夫を手玉に取る。頑固な村長たちと意志を通じ合わせる。扱いが恐ろしく手慣れている。庶民出身故だろうか。それともエデルだから?まるで生まれついた領主のように次々と発揮されるエデルのカリスマと管理能力にエルーシアは驚いていた。
「泥臭いところは全て僕がうまくやります。エルシャは社交界をお願いします。あれは僕では無理です。今度の拝謁と王宮夜会が気鬱です‥」
「エデルなら大丈夫よ?ダンスも上手だったわ」
「ダンスの相手はエルシャ限定ですがね?」
「あんなに上手なのにほんと不思議ね?わかったわ。料理は腕のいいシェフにお願いするわね」
領地管理はエデル、社交界や邸の管理はエルーシア、自然と仕事の分担がなされた。昼間は共に助け合い夜は睦み合う。常にエルーシアの傍に立つエデル。エルーシアが失ったものを補うようにエデルはエルーシアの毎日に溶け込んでいった。
そうして一年と三月の年月が流れた。
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